意識化8
前回の記事(意識化7)を書いたのは4ヶ月以上前だったので、その後の変化含めてTさんの例を挙げて書きます。
大体人間不信・自己否定に陥っている人というのは、心に壁を作っています。そこに親兄弟も含めて、誰も他人を立ち入らせないようにしているのです。その理由は端的に言えば、「傷つきたくない」から。彼らは甘い期待を寄せて心を開いた人間から裏切られる、傷つけられることを恐れています。最初からあらゆる人に対してガード・防御線を張った対応をするわけです。結果として彼らは、嫌いなことを嫌だ、欲しいものを欲しい、と言わないで、表面上取り繕ったりします。
彼らは悪意があってウソをついているわけではありません。いわゆるウソ吐きは、お金が欲しいとか何らかの利益目的で意図的にウソを吐きます。しかし彼らの場合、自己保全とは言っても、存在のかなり本質的レベルでの守りであり、無意識レベルで守っているのです。ウソのレベルが違う証拠として、Tさんは基本的にウソを言いませんし、言えません。一年程前に仕事を取る為に、住んでいるのとは違うエリアのチラシ配りに応募してもらったのですが、もの凄くウソが下手です(「住んでいるエリアが違うのになぜチラシ配布員募集チラシを持っているのか?」ということについてウソをついてもらって応募させた)。
で、小生は、物事の本質の部分をいじくるのが好きなので、この比較的近い人には、そのガードしている領域に踏み込んでいくわけです。そうすると、防御線近辺で色々と抵抗し出します。これは本人達の側からすれば、ある一定以上親しくなることを避ける為の拒否反応です。
昨年の初め頃、Tさんが上記チラシ配りを始めてしばらくして、小生がTさんに頼んでいた別の仕事(実はこれもチラシなのだが…)が「嫌だ、やりたくない」と言い出しました。彼がこういう仕事について、「嫌だ」というのを聞くのはその時が初めて。その前の兆候としては、リフォーム手伝いの際に、黙って行方不明になってしまったことがあります。要するに近づきすぎた小生に対する拒否反応です。
口に出してはっきりと「嫌だ」という以上、そこから先には踏み込めません。踏み込むと関係が破綻して逃げ出してしまう可能性があります。それでもはっきり「嫌だ」と意思表示するまでに至ったことは進歩だと考えて、しばらく放置することにしました。
すると3ヶ月程経って、突然電話が来ました。「あの~近くまでチラシ配りに来たので…」と。要するに近づきすぎると怖いけれど、離れすぎるとそれも寂しいという相反した感情です。
そこで近づいて来たところを、また嫌がっていた仕事も含めてやらせます。ところが一年もしないうちに「もうチラシ配りは嫌です、絶対やりません」となります。これが去年12月でしばらく放置しておくことにしました。
すると2か月程して、また突然電話がかかってきました。
「あの~、私まだ大丈夫でしょうか?」
彼がこういう風に聞くのは、大抵放浪の旅に出てしまって、生活保護が廃止になっていないかを心配しているのです。田舎の親父に会いに行ったものの、ケンカして帰るところがなくなったとのこと。丁度ゴミ屋敷の仕事が出てきそうなタイミングだったため、「仕事あるから帰ってきなさい」というと帰ってきました。
帰ってきたといっても、素直に仕事ができるわけでもなく紆余曲折があります。これは省略しますが、嫌がっていたチラシ配りは到底無理なので、比較的抵抗が少ないゴミ片付けをやってもらうわけです。
それでも予定していた仕事の朝になると、「やっぱり気分が悪い」となり「すいませんが、今日は行けません。世間様からこんな人間要らない使わない、関わりたくない事を言われているのは確かです」とメールが来たりするわけです。
しかしそれまでのように、単に「気分が悪い」とやりたくないことを押し殺して無意識で体調に変化を与えていたレベルから、「私はダメ人間なので嫌われていますから」という無意識の回路に落とし込まれていた解釈が現れてきています。
この「ダメ人間だから嫌われています」という自己否定の前には、「甘えたい、頼りたいけど、否定されるのが怖い、嫌われるのが怖い」という無意識の想いがあります。そこで傷つかないように、先回りして「自分はダメ人間なので嫌われていますから」と表明してしまうわけです。
そこの無意識の部分は、本人も見たくない部分なので、そろ~りそろり、やんわりと深層心理の解説をしていくと、突然「仕事なにすればいいんですか?」とやる気を出す。かと思えば、三日目まではその仕事を真面目にやるも、四日目には連絡不能トンコ状態。
こんな感じで、問題の本質に近づくにつれ、腫れ物に触る対応になります。気を遣って仕事をしてもらっても、1年のうち数ヶ月は距離をおく冷却期間が必要になったり。3歩進んで2歩下がる、というより、3歩進んで2.9歩下がる、あるいは3歩進んで4歩下がっているのか…、という感じ。これで50のおっさんが、死ぬまでに何歩前進できるか…というと、大体先が見えてしまいます。
(つづく)
コメント
とはいっても、本人がこっちに近づいてこない限り如何ともしがたく、時間をかけて気長に待つしかない、というお話し。
きっぱりと、教えてあげましょう。彼らは守るべき家族も財産もなにもない、
あとは菩薩の光によって、明を得、そして幻影による苦しみから解放されると。
それこそが、野田さんの役割でしょう。