意識化4
自称ダメ人間Tさんを例に取りながら、家庭環境に問題があった性格の修正について述べています。片親であるなど、両親の愛情が十分に注がれることなく幼少期を過ごした場合に、甘えることが出来ずに抑圧された性格が形成されたりします。その抑圧に閉じ込められた感情を解放させることが必要となるのです。
何にしろ相手は、親ですら信用できなかったわけですから、人間不信です。更には親に愛されなかったという思いから、「自分には愛されるだけの価値がない」という自己否定に陥っています。親にすら愛されなかったという辛い思いがあり、それ故同じように傷つきたくないために、人に心を打ち明けたり赦したりすることをしなくなっています。そのような閉ざされた心を開くための信頼関係形成がまず第一歩です。
要するに寛容・寛大な心を持って相手を受け入れるという慈悲・母性原理の実践です。ここまでは普通の慈善団体と全く同じです。通常の慈善活動と小生の支援活動の違いは、そこから先に父性原理の実践があるかどうか、ではないかと考えます。父性原理の実践とは何か?これは母性原理・弛緩と対立する緊張で、具体的には相手に対する「締め上げ」です(深い意味では自分自身に対する締め上げにもなっていますがここでは述べず、後で少し触れます)。
こちらと相手との関係が徐々に深くなるにつれて、それに比例した力で相手を締め上げていくことになります。この締め上げは、相手の欠点を修正するためのモノです。
例えば拙ブログでも取り上げた内容ですが、元ホームレス含めた支援対象者の3割前後は、もらった保護費の使い込みをします。それで当方に払うべき家賃を払えなくなったりするのです。中には初回の保護費からそれをやる輩(やから)もおり、「落としました~、もう泣きそうですよ」などという白々しいウソをつく人間もいます。
この「落としました~、もう泣きそうですよ」とウソをつく最悪の部類の人間には、小生は容赦なく述べます。
「次それやったら、即座にたたき出すから覚悟しておいてね!」
余りここで手の内を明かすわけには行きませんが、このように締め上げたとしてもダメな人間はダメなままです。そうなった場合は、容赦なく強制執行をしてでもたたき出します(そこまで該当したのは現時点で1世帯)。
強制執行をしてまで叩き出す、というのは、皆さんの慈善活動のイメージにそぐわないかも知れません。一般的な弱者(=支援対象者)のイメージというのは、いたいけでか弱き存在が、不当な圧力であるいは極めて不遇な運命によって、経済的に困窮した状況に追いやられている、というものかも知れません。そのような存在も確かに存在するでしょう。
しかしあなたが法曹関係者あるいは医療関係者など、専門的に相談を受けることを業としている立場でないとしたならば、あなたが遭遇する弱者(=支援対象者)は、何らかの性格的問題・欠点を有しています。その欠点あるが故に問題ある状況に追い込まれるわけです。その欠点とは、これまでも述べてきた通り、例えばお金の管理ができない、怠け者である、ギャンブルに弱い、浪費癖、約束が守れない、ウソをつく、自分で判断・決断出来ない、人間づきあいが出来ない、等々。
それらの欠点を有した支援対象を、母性原理の実践・慈悲により優しく受け入れる。それはそれで善であり功徳になるわけですが、それによって支援対象の欠点が修正されるわけではありません。母性原理の実践だけを続けるとするならば、むしろ逆に欠点が増長するようなことにもなりかねないです。
例えば新宿や池袋の炊き出しに来ている人達の半数近くは、ホームレスを抜けるつもりが無い人達です。彼等の意識には、「炊き出しがあるから食っていける」「働く必要もないし、役所で面倒くさい保護の手続きをする必要も無い」と考えているところがあります。炊き出しが彼等を堕落させている側面があるのです。
小生自身も当初認識が甘かったわけですが、炊き出し等の一般的慈善活動により、か弱きいたいけな存在が、立ち直って社会復帰を果たすというケースは少ないです。なぜならつまずいた原因が、修正されることなく内在されたままだからです。
(つづく)
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