バブル経済
「新築戸建て、今なら球根一個で買えます!」
なんて話があったら、どう思いますか?これ実際に400年ほど前にオランダであった話です。何の球根かというと、オランダの国花であるチューリップ。オランダ中が、美しいチューリップ栽培にこぞって熱を上げた。そんなバブルな時代がありました。
17世紀オランダは、海洋貿易で栄えました。衰退していくスペインに代わり、当時覇権を手にしつつありました。要するに当時の経済大国、ちょっと前のアメリカのように「絶好調!」だったのです。貿易で富を蓄えて、そのお金が向かった先がチューリップ。少し手に入りにくかったのが希少価値を生んだ。
ゆとりのある植物愛好家たちの間で、チューリップの球根は高値で取り引きされた。園芸家・愛好家たちは、さかんに品種改良。多様な名のチューリップが生まれた。「リーフキン提督」「ファン・デル・アイク提督」「フェネラリーシモ」(大元帥の意)「センペル・アウグストゥス」(無窮の皇帝の意、挿絵参照)などなど…。こうした美しい花の球根はチューリップの人気が高まるにつれ価格高騰。球根一個と家が取引される事例まで出た、というわけだ。
===================================
当時の笑えない逸話(ウィキペディアより)
イギリスから来た植物愛好家が、オランダの友人宅を訪ねた。その愛好家は珍しいタマネギのようなものを発見し、その皮をむいて中を開いてみた。友人が帰ってきて「これは何というタマネギですか」と聞いた。「ファン・デル・アイク提督といいます」「ありがとう」愛好家はノートにメモをとりながら質問した。「これはオランダではよくある品種なのですか」友人は愛好家の襟首をつかみ「一緒に行政長官のところに来ればわかります」と答えた。愛好家は金貨2000枚の賠償金を支払うまで、債務者監獄に監禁された。
===================================
どうしてこんな話になったか?チューリップで莫大な富を得られるという話で、一般市民がどんどん市場に参入したからです。市場で値段は右肩上がり。「よし、オレも買うぞ」とみんなが買うので更に加速。転売で利益を得る者が続出した。チューリップは利ザヤ稼ぎの道具と化した。 こうして簡単に儲かった人はこう考えた。
「真面目に汗水垂らして働くのが馬鹿らしい!」
「チューリップ取引で食っていける、いや大儲け出来るかも!」
それを傍目で成功を見た人もうらやんだ。
「みんなが儲けているなら、オレも!!」
国中みんながチューリップで豊かになったという錯覚。
しかし転機は突然やってきた。ある日市場に誰も買い手がいなくなった。借金してまで球根に投資した人たちは顔面蒼白。チューリップ価格は大暴落。市中あちこちで「金を返せ!」「返せない!!」の押し問答が。こうしてオランダ経済は衰退の道へと転落しました。これチューリップ・バブル事件と呼ばれてます。
要するに、単に右から左への利ザヤ稼ぎにはまると、物の価値を見失うって事です。本来実需があって成り立つ経済です。本当に必要とする人に、必要なお手伝いをするのが本質。ところが、人間の心が欲望にあおられると、錯覚の価値に踊らされてしまうわけです。どんなにチューリップが綺麗だからと言って、住んでる家と交換出来ますか?
ところが現在の経済システムでは、たまにこういう錯覚に全員が陥ってしまう。それでみんなが痛い目に遭う。そういうリスクを抱えたシステムなんです。そして私の主張は、米ドルそのものもそうなるリスクがありますよ、ってことです。
・欲望で本当に価値を見失っていませんか?
・質素倹約で足るを知り
・人への奉仕は汗水垂らすもの
・楽に儲かるはどこか落とし穴
・質素倹約で足るを知り
・人への奉仕は汗水垂らすもの
・楽に儲かるはどこか落とし穴
これって宗教ビジネスで儲けて贅沢しているとも子さん・三女さん・アッサージさんへのメッセージでしょうかwww
>ところが現在の経済システムでは、たまにこういう錯覚に全員が陥ってしまう。それでみ んなが痛い目に遭う。そういうリスクを抱えたシステムなんです。そして私の主張は、米ド ルそのものもそうなるリスクがありますよ、ってことです。
現在のアーレフのシステムでは「教団にいるだけで救われる!」という錯覚に陥ってしまう。それでみんなが痛い目に遭う。そういうリスクを抱えたシステムなんです。そして教団は近い将来破綻するリスクがありますよ、ってことです。
「現世は無常なるがゆえに苦しみである」「現世はハルマゲドンで崩壊する」というリスクから逃れるために教団に入ったら、今度は教団破綻のリスクが生じているわけです。
金融取引ではリスク管理の甘い者が大損を食らい、相場から退場させられます。
人生においてもリスク管理の甘い者は痛い目に遭います。
人生においてしっかりリスク管理していても、思いもよらぬトラブルに巻き込まれることもあります。結局生きていることそのものにリスクが内在しているということです。