エゼキエル
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【本記事シリーズ内容はあくまで小生の仮説に基づくものであり、特定の個人団体を誹謗する意図はありません。一般的には『キチガイの戯言』以外に解釈しようがないものですので、ご理解頂けない方はお気になさらぬようお願い申しあげます】
最近ボランティア関係の付き合いで、キリスト教会に行くことがあります。付き合いと言うより、相手方から勧誘を受けている状態なのかも知れません。いわゆるオウムの「導き」?
先日参加した集会には、外国人宣教師が登場しました。日本語ではない説教が、通訳を介してなされました。聞いている半分以上はバイリンガル・ネイティブ、日本人は半分以下。初回参加は小生くらいだったようです。よく意味が分からない通訳説教も退屈で仕方ありませんでした。ですが、周囲が熱心にメモを取ったりする中、余りにも退屈している様子は失礼なので、メモのようなを取るフリをしました。
すると話の中で、預言者ホセアの名前が出てきたので、ちょっと興味が湧きました。話はホセアから同時代の預言者エゼキエルに移りました。その話が、今回のネタ(以下メモ内容)です。
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神は愛する者に苦しみを与える
神はエゼキエルに言った「私はあなたが愛する者を奪う」。
エゼキエルは神に妻を奪われた、神は妻を奪われても「泣くな」と言った。
妻を亡くして心いたんだエゼキエルは、神の心が分かった。
イスラエルは神の花嫁だが、そのイスラエルは罪を犯した。それ故神はイスラエルを滅ぼした。それと同じ苦しみをエゼキエルに味あわせた。苦しみを味わうことにより、エゼキエルは神と痛みを共有した。
あなた方はこの世で笑うべきものではない。借金があったとしても苦しみがあったとしても、神がその涙を拭ってくれる。
日本は偶像崇拝に金をかける国、滅び行く国である。その日本を愛すべきである。日本に対する主の涙を知るべきである。日本をひっくり返すような、主の実りと刈り取りがありますように。
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旧約聖書エゼキエル書該当箇所は末尾添付(※)の通り。
この世は仮の住まい・生きていることそのものがマトリックスのような幻影。それから言えば、預言者エゼキエルが妻を奪われたことは法則そのものとも言えます。それを信者らに説くことは、若干奴隷道徳の臭いはしますが、悪いことではないかも知れません。
最後の「日本云々」の行は、宗教的慈愛の表現でしょうが、彼等は終末予言信者でもあります。イスラエル同様日本も滅ぶことを示唆したものでしょう。ではこれらの宗教的訓戒が、現実に何らかの紛争が日本とその国に起こったときに、理論だけではなく実践としてできるのでしょうか。この点について小生は疑問をはさまざるを得ませんでした。これについては後に言及します。
会合は、説教あり賛美歌ありで盛り上がります。その信者達の盛り上がりを見て、「オウムのイベントとそっくりだな」と感じました。基本的にキリスト教を信じる彼等は、世間一般で言えば「善人」であり、決して悪い人達ではありません。ただ逆にその彼等が熱心にキリスト教を信ずる様は、まさにオウム信者の鏡写しのように思えました。
小生は昨年末「一神教支配の終焉」を上梓しました。この本の要旨は、近代合理主義を背景にした現代文明が、一神教信者ら自らの手によって自滅し終焉する、というものです。このオウム信者同様に「善人」以外の何者でもないキリスト教徒達が、直接的間接的に文明を自滅に導くということになります。彼等キリスト教信者らが盛り上がる姿を見て、オウム信者らが起こした事件を小生は連想しました。
勿論彼等キリスト教徒が、オウム信者達より賢ければ、小生の懸念は杞憂で終わるでしょう。小生のような教団の暴走・事件をゆるしめた愚かな教団元幹部より真理・法則に明るければ…です。
(つづく)
(※)次のような主のことばが私にあった。「人の子よ。見よ。わたしは一打ちで、あなたの愛する者を取り去る。嘆くな。泣くな。涙を流すな。声をたてずに悲しめ。死んだ者のために喪に服するな。頭に布を巻きつけ、足にサンダルをはけ。口ひげをおおってはならない。人々からのパンを食べてはならない。」その朝、私は民に語ったが、夕方、私の妻が死んだ。翌朝、私は命じられたとおりにした。(エゼキエル24:15~18)
by 武田邦彦