文春

週刊文春のくだらない記事を見て検索で飛んできた方へ
以下の内容を文春に送ってあります。当ブログ常連の方には、耳にタコの内容ですが…。
週刊文春編集長 殿
冠省、元オウム幹部の野田成人です。貴誌の2012年6月14日号菊地直子特集記事について、小生の顔写真まで松本死刑囚・林泰男死刑囚と並べて掲載していることについて、貴誌の姿勢を確認させて頂くと共に、小生の現時点でのスタンスをお伝えするものであります。
小生は現時点ではアレフとは無関係ではありますが、2007年3月のアレフ代表就任前後から積極的にマスコミ等への対応をなしてきた経緯があります。それは麻原の家族(妻と三女)が教団に干渉し始めて以降、それまで広報であった荒木浩もほぼ完全にマスコミ対応を取りやめた為、小生がその代役を務めざるを得なかったわけです。教団が閉鎖的になり、住民その他が「中で何が起こっているのか分からない」となれば必要以上に不安をかき立て不要なトラブルを招き、双方にとって余り好ましくない結果になりかねないからです。ネット上にブログも作成し情報発信し続けておりますが、これらの外部対応は、一連の凶悪事件を起こした団体の幹部であり、事件後も数年間はその反省・謝罪等をすることもなく、指導的立場に有り続けたことに関する社会的責任と言いますか、わずかばかりの償いという意味もありました。
しかしながら私自身は、オウム事件を総括するに当たり、一般的には容認されないであろう結論に至りました。「なぜオウムが登場し事件を起こすに至ったか」というマスコミ各社も「一応は」掲げたその問いに対する私なりの回答は、現代社会を根底から覆すものでした。ここでは詳しく述べませんが、要約するならば以下のようになります。
・ユダヤ・キリスト教の一神教的思考が生み出した近代合理主義の社会システムは、その一神教的性質により近未来において自滅する
・麻原を絶対神とする一神教のオウムが起こした事件は、その雛型である
・近代合理主義を生み出したプロテスタントがその自滅の主役を演じる、それはプロテスタントが建国し、現在は衰退しつつある超大国アメリカである
(以下この見解については「キチガイの戯言」とします)
もう少し具体的に述べますと、近代が生み出し人類が恩恵を受けてきた政治・経済・科学が、人類のクビを締める結果に至るということです。グローバル資本主義は、解消不能な国家財政赤字に袋小路に入っておりますが、増税や緊縮財政により経済システムを維持しようとしても、民主主義の選択がそれを阻止します。これは現実に今の日本でも消費増税問題として起こっています。科学の問題は、原発問題がその典型ですが、いたる所に存在しています。
話を戻しますと、上記見解に至った以上、小生は単にオウム事件を「バカでしたゴメンナサイ、もうやりません」だけでは済まない、それどころの話では無いという形で、逆に社会にアピールしていくしかないと考えております。そこで小生は、機会を見ながら上記内容をマスコミに対しても訴えるように努めてきました。
しかしながらこれまでのマスコミ対応から得た結論は、個別の記者が一定の共感を得るケースが仮にあったとしても、それを報道することはなく、逆にオウムを悪者として一般読者が溜飲を下すような安易な勧善懲悪論しか流れない、ということです。
昨年のオウム裁判終結に当たり、数社の対応を受けました。その中で「現在もアレフには若い信者が増え続けています。その大きな理由の一つには、現在の社会が経済成長等が限界に達して先が見えない閉塞感に満ちあふれていることがあります。既存の価値感に不満だから、別の絶対的な価値感(オウムの絶対神麻原)を求める人が後を絶たないのです」と述べ、上記見解の内資本主義と民主主義の相克等について述べたことがあります。その記者はそれなりに共感していたようの思ったのですが、しかし記事になったのは、以下だけです。
「野田元幹部は事件への謝罪を込めそう総括する一方、『若い人が希望を見いだせない今の社会では再びカルトが台頭してもおかしくない』と警鐘を鳴らす。」
「現在、ホームレス支援に取り組む野田元幹部はこう呼び掛ける。『派遣切りや引きこもり、社会は事件当時より悪化している。若い人が捨て鉢になってカルトに居場所を見つけるかもしれない。我々が社会を発展させる段階で失ったものを取り戻す努力をしないと』」
これが一番マシな内容で、他は「何をか言わんや」という内容ばかりです。つまり小生が、「社会の土台・屋台ぐらそのものが、崩れかかっているという大問題が存在している」と指摘するにもかかわらず、結局はオウム個別の問題やカルト問題の方しか取り上げないということです。それ以来小生はマスコミへの対応を変えました。上記内容を主張することが無駄になるどころか、逆に矮小な問題に押し込められて誤解され続けるだけだ、と考えたからです。
それ以外にも、マスコミ対応を変えた理由はあります。現在私はホームレス支援を含む貧困層への支援をやっています。お金に困っている人と個別に信頼関係を作る必要がありますが、信頼関係が出来る前に過去の経歴がバレると、警戒されてしまうのです。それら含めた一般社会での仕事や付き合いなどもありますので、昨年末からできるだけ顔出しは遠慮して頂けるよう、個別に接触してきたマスコミにはお話させて頂いております。しかし貴誌が、過去の写真であったとしても、あのような形で顔出しするならば、真面目に小生と信頼関係の元やりとりしているところは、バカを見る結果になりかねません。
貴誌におかれましては、小生のこのような事情変更を認識する機会もなかったかも知れませんので、今回明確に通知させて頂くと共に、①今回わざわざ死刑囚と並べて顔写真掲載まで行ったのはどのような判断基準があったのか ②上記内容をお目通し頂いた上で今後はどのような対応をされる予定か 少なくとも②については明確に回答頂けますようお願い申しあげます。回答先は誠に勝手ながら次のメールアドレスまでお願いします vv991966@mail.goo.ne.jp (今菊地・高橋の件もあり電話対応はしていません)。
折角なので、上記「キチガイの戯言」についてもう少し触れさせて頂きます。現実の問題としては、日本の消費税だけではなくギリシャのユーロ離脱やそこから飛び火したスペイン等で現在進行中です。しかし本命はやはり世界中にばらまかれたドル札、その裏付けとなる米国債が最後の爆弾になるでしょう。これは少し真面目に経済を勉強すれば、誰でも分かることです。「借りたお金で、価値あるモノ・サービスを提供してお金を稼ぎ、借りたお金を返す」。この「信用創造」という原則が守れない以上、現在の経済システムは破綻するしかありません。しかし一般大衆はそれを受け入れませんから、国家財政で急場しのぎを繰り返すしかないですが、これが巨大なネズミ講となりつつあるのが現状です。
「金は借りて使いたいが、返したくない」。結局このエゴが、ほとんどの現代社会の問題の根元であり、更に突き詰めるならば「近代自我」とそれを生み出した一神教的思考に行き着くわけです。この一神教的思考を別の形で表現すれば、拝金主義であり、「お金がすべて」という考え方が他の価値観を全て駆逐している現状が一神教的であると主張しております。昨今の生活保護問題などその典型でもあります。
小生はその「お金がすべて」ではないところに、経済の本来の意味である経世在民(=世の人々を救うこと)の価値観を再生させるべく生活保護問題に関わるようになりましたが、現時点では国民全ての意識の問題として根深いことに気づかされつつあります。結論として、「人間痛い目を見なければ変わらない」ということから、「自滅」に至るしかないと考えます。これは人間にはもはやどうしようもない流れです。
貴誌とは部署が違い恐縮ですが、今年春先に月刊文藝春秋で再掲された「日本の自殺」は37年前に書かれたモノとは思えない素晴らしい内容でした。それを当時取り上げた貴社の姿勢も賞賛されるべきものであります。しかしあのような時代への警鐘は、何度となく様々な局面で主張されてきたことであり、近年になるにつれその回数は増えてきた筈です。にもかかわらず人間のエゴの増大を止めるどころか、悪化の一途を辿っているのは、押しとどめようもない時代の流れだからです。宇宙論によると、50億年後地球は太陽に飲み込まれて消滅するそうですが、この大宇宙の流れに如何に人間が対処しようとしても、無駄なあがきに過ぎません。その大宇宙のサイクルで、人間含めて地球上の存在には抗いようがない流れがあります。占星学では12800年をサイクルとして考えますが、それは1つの周期であり、丁度現在がそのサイクルの転換期であり、文明自体が一神教的思考から多神教的思考に移行する時期だということです。
昨年の震災直後に「天罰」発言をした石原都知事は、人間のエゴが文明を滅ぼすということを理解し、なおかつ都知事という立場に有りながら一般大衆に向けて発言しました。彼は「新堕落論」を著しましたが、これは文藝春秋に掲載された記事を元にしたモノで、大変鋭い見方をしていると考えます。「憂国の士」という言葉は、彼の為にあるようなものです。ただ残念なことに、彼は彼自身が一神教的思考に嵌っていることに気づいていないのです。時代の流れは、一神教から多神教に転換し、多神教的土壌の日本は新たな時代を担う価値観を創造する可能性を秘めている、というのが小生の見解です。
石原氏は尖閣買取の問題で一般大衆の支持を集めています。次の国政選挙で彼が評価する、同じく極めて一神教的な橋下氏と連携し、国政の中心に座る可能性もあります。石原氏は、徴兵制や核武装の必要性を訴えており、もし彼が国家運営に関わるならば、きな臭いムードが漂うであろうことは容易に想像できます。
歴史上返済しきれぬ程の国家財政赤字は、徳政令かハイパーインフレか戦争(あるいはその組み合わせ)によってしか解消されたことはありません。内政で国民の不満が高まっている時、政治家が取る最も容易な解決方法は、外敵に目を向けさせることです。また戦争は膨大な需要を生み出し、一時的に経済を活性化させます。一神教的な石原氏と橋下氏は、いや閉塞した社会からのブレークスルーを求める一般大衆が、彼ら二人をして戦争という自滅に向かわせる可能性は少なくないでしょう。
結局「経済成長だ」「無駄を省いて効率化」という拝金主義における一神教的思考が、世の人々を救うという「経世在民」とは逆の結果をもたらすわけです。それは「全ての衆生を救済する」という大義名分を掲げた麻原原理主義(=一神教的思考)が、人々を不幸にする無差別大量殺人を犯したのと同じなわけです。
このアナロジーは人間の行動・思考パターンを高度に抽象化したものなので、一般的には極めて理解しづらく、まさに「キチガイの戯言」としか映らないであろうと、小生も自覚しております。しかしなぜ理解出来ないかというのは、「日本の自殺」や貴社の雑誌において石原氏や大手メディア主筆他著名人が何度となく警鐘を鳴らしてきた通り、欲望にまみれた一般大衆にマスコミ・政治家が迎合し、深く思考させることなく低俗な欲望を満たす情報のみを垂れ流してきたからです。これは麻原のグルイズムに洗脳された信者らが、自ら思考することなく麻原の指示のみを絶対視して自滅に至ったことともダブります。近代自我(=エゴ)に洗脳された現代人は、お金と物質欲のみを絶対視して突き進み、自滅に至る結末しか残されていないように思われます。
話を写真掲載に戻しましょう。小生としては、事件の謝罪反省検討の結果、上記見解を一般大衆に向け主張させて頂く事が、あの団体の中枢にいた者としての使命であると考えております。しかしこれまでのマスコミ対応の経験では、その肝心な部分はほとんど伝えられることはなく、逆に「凶悪・醜悪なオウム」という紋切り型報道にしかならず、逆に小生が発言する意図が180度逆の意味に誤解されると考えて至ったわけです。大変失礼ながら、貴誌の該当記事も一般大衆の低俗な欲望を満たすという例に漏れていないように思われます。そのような記事に小生の実名掲載はともかくも(これも望ましいとは考えていませんが…)、写真掲載までする貴誌の姿勢は確認させて頂く必要があると考えた次第です。端的に申しあげて、「そんな低俗な記事に断りもなく実名・写真掲載しないで欲しい」ということです。
逆に、石原氏が貴社の雑誌に寄稿しているように、小生の上記内容の論文を掲載頂けるなら、いくらでも顔写真掲載は容認しましょう。それをして頂けるなら、こちらから原稿掲載料を広告代として差し上げてもいいくらいですが、ほぼ100%貴社はやらないでしょう。社会の公器という役割を一部になう貴社は、オウム事件で汚れた経歴の小生に、一部であっても荷担することはしないでしょう。それが時代の流れであり、「日本の自殺」他の真っ当な主張を「わかっちゃいるけどやめられない」で脇へ追いやってきた要因です。人間痛い目に遭うまで分からないものなのです。それは私含めたオウム信者も、オウムを嗤う一般大衆も、全く同じと言うことです。
もう一つ実現性のありそうな提案を致しましょう。もし本書面の主張全部もしくは一部を、貴誌の記事として掲載することです。「オウム事件の反省どころか責任を社会に転嫁し事件容認とも受け取れる狂気」という、まさに「どうしようもないキチガイ元オウム幹部の戯言」として取り上げ攻撃を加えるならば、攻撃対象を探し続けている一般大衆には受けるかも知れません。その場合は記事内容にもよりますが、写真掲載も容認致しましょう。
単にこちらの意図に添わない場合には、写真掲載をしないというならそれでも構いません。いずれにせよ、貴社含めたマスコミの報道姿勢に大きな懸念を有するものです。一般的には理解しがたいであろう「キチガイの戯言」を、最後まで飛ばすことなく読んで頂けたとしたならば、耳障りする失礼な内容をお詫びすると同時に、感謝申しあげます。早々。
平成24年6月7日
野田成人
◆おまけ
別の取材依頼に書いた返信
これまでマスコミ対応をしてきて思うことですが、結局個別の平田がどうやって逃げていたのか、教団での役割がどうだったのか、そのような個別具体的で断片的な情報を寄せ集めることに終始しているように思います。その結果流れる報道は、単調で孤独などことなく不安な日常に対して、いかがわしいもの・凶悪醜悪なものに「うわぁー」と目を背けながらも覗き込んむという刺激、そのような特異な情報を与えるワイドショーにしかなり得てこなかったと思います。起こった出来事が、話題として旬な内に報道するという、井戸端会議のネタ提供のような大衆迎合姿勢では、それが限界でしょう。そのような報道にこれ以上時間を割くのは無駄だな、と感じています。
オウムが登場したのは、現代の物質的快楽追求の資本主義に対するアンチテーゼとしての精神主義を追求するものが集ったからです。その流れは経済が行き詰まり閉塞感漂う現在においても変わりません。そのオウムがなぜあのような事件を起こしたのか、その深い意味を説くには、キリスト教誕生以前の世界史から、一神教がどのように現代に至るまで人類に影響を与え続けてきたかを見直していく必要がある内容です。少なくとも2000年以上にわたる人類の大きなテーマです。端的に申しますと、一神教的な直線的歴史観、現代に当てはめれば経済が右肩上がりに成長し続けるという妄想・洗脳。それが大きな災いを生むということです。オウム事件は一神教的過ちの雛型だったということです。
この内容をメールで簡単に書ききることはできませんし、旬の井戸端会議ネタ・ワイドショー的報道とは相容れないと考えております。
オウム事件の意味合いは8割方拙著「革命か戦争か」に記してありますが、それはお目通し頂いたのでしょうか?当方のブログもどの程度ご覧になられたのでしょうか?
> 資本主義との関連も含め、野田様の知識を一度きちんと伺わせて頂いた上で、
> この半年間の動きをどのように見ていらっしゃるか、お話を聞くことができれば幸いと考えております。
前回の平田報道でも、マスコミ各社のこのような言辞に私は騙されてきたと感じております。仮に一度会ったとして、せいぜい2-3時間です。その中でどれだけ述べようとも、結論は「ワイドショーネタの素材・一次情報を得るために、オウムネタに関しては野田成人と個人的関係・コネを作っておいて情報を得る」というそこに留まりますね。
現代人の大きな過ちの一つは、知識を取り入れることで分かったつもりになってしまうことです。しかし人間の経験の本質的な価値は、「主客合一」することから生じます。川上哲治(←王貞治から訂正)の「ボールが止まって見えた」ってヤツですが分かりますか?分からなければ分かるまで自ら経験するしかありません。川上哲治(←王貞治から訂正)が人の何倍も努力して、夜中に素振りを繰り返したようなアプローチが必要です。しかしそれは野球に興味がない人からすれば、単なる「野球バカ」です。
オウム事件の根底には、人類史に深く関わっている一神教の問題があります。そこまで突き詰めた人は、現役・元信者含めてほとんどいないでしょう。私はそれを語れる数少ない人物だとは思っていますが、その価値観に興味のない人には全く意味が無く、実際コメントにもありますが「未だにオウムに洗脳されたバカ」としか映らないのです。しかしその人も含めて人類は未だ一神教的思考の限界が理解できず、現在「ギリシャはユーロ離脱か?」「スペインに飛び火」「安全資産として日本国債に逃避しているが消費増税の行方によっては日本も…」と右往左往しているのです。
以上、かなり結論を強引に結びつけただけの内容なので、傍目には飛躍しまくりでしょうが、オウムネタでそこまで追求する覚悟はありますか、ってことです。もし覚悟がおありなら、「じゃあ真夜中の素振りからお願いします」ってことになりますが、結論を実感できるまでに●●新聞は辞めざるを得なくなるような大きな課題だと思います。如何しますか?
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空と陰陽
宇宙の根本法則ともいうべき
空と陰陽の法則ですね。
空と陰陽の法則については
「タオ・コード」
「ガイアの法則Ⅰ・Ⅱ」
「タオの法則」
という書籍に著者の実体験・実感をもとに
非常に分かりやすく現代人向けに解説されています。
これらの本は
陰陽を超えてずっと存在している
本当の自分である空の意識に導くことを意図して書かれているのが
非常によく分かります。
世界的スピリチャルリーダーのエックハルト・トールの本
「パワー オブ ナウ」
「ニューアース」
も、本当の自分である空の意識に導くことを意図して書かれています。
近代インド最大の聖者といわれているラマナ・マハルシが提唱した真我探究の実践は
ダイレクトに本当の自分である空の意識に導きます。
ラマナ・マハルシの真我探究の実践に関しては
「あるがままに ラマナ・マハルシの教え」
という本に詳しく書かれています。
夜明け前が一番暗い。
人類いまは生みの苦しみを経て
夜明けを迎えようとしています。
簡単に信じ込んじゃう人がいるから困り者ですね。
こんな、低俗な雑誌は信じませんけど。
戯言どころか、しごく誠実な内容だと思います。
こういう誠実な力のある文章は滅多に読める機会も無く、とても貴重ですね。全く同感です。
野田さんの書く文章で、いつも意識の中 昏くぼんやりと思うことが明晰になり、これが嬉しいのです。
キリスト教関係者を含めていま自分の関わっている大事な人達が、果たしてどんな風に理解するか分からないですが、全く同感する私への評価はどう変化したとしても構わないので、ぜひ読んで貰いたい内容です。
それにしても、書くのは非常に丹力の必要な作業でしょうね。疲れを感じるときもあると存じます。お身体にお気をつけて、頑張ってくださいね。
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