過激な理由

コメント欄にありました内容についての回答です。小生のやり方、記述が過激であるという点について。
私は元オウム幹部です。どうせ真っ黒な経歴です。今更かしこまろうと関係ないというのもあります。ブログ等で人に迷惑をかけるわけでもないのならいいかなと。
過激で挑発的であるのはワケがあります。ソフトにそれとなく問題を提示しても、全く効果がないからです。私が団体にいた当時、信者らに麻原信仰の偏りを指摘し続けた経験からそう思うのです。
アレフ信者が麻原と真理の絶対的正義に凝り固まる。しかしその正義に拘れば拘るほど、排他的になり冷徹非情になる。この行き着いた先がオウム事件でした。この点について、私は98年頃から薄々と感じだし、事ある毎に信者らに説法会等の機会で諭していました。ただそれを数年続けても余り顕著な効果は見られません。どころか、教団を取り巻く現象はどんどん悪化していったわけです。住民票不受理や団体規制法という形で。
それで私は2003年以降、この点について更に核心部分に迫る議論に突っ込みました。
「尊師を絶対視すればするほど、現実のしがらみで苦しんでいる人達に非情になっていくんだ」
「理想(尊師)を追求したいのは分かるが、それは絶望を増大させる結果になっている。」
「理想は絶望の根源でもある。」
この内容を最初に話した時のことは、信者らが面食らっていたのを覚えています。絶句といいましょうか、「今日は正悟師なんだか変な話をするなぁ」という感じです。ハトが豆鉄砲を食らったような荒木君の顔が忘れられません。信者らが説法に期待していたのは、いつも「尊師は素晴らしいです、だから尊師に帰依しましょう。」という内容。自分たちが信じていることを正当化して欲しい、というだけなのです。
別の女性幹部信者は、涙を流してこの話を聞いていました。「泣いて感動するような話でもないんだけど変だなぁ」と思っていましたが、感動ではありませんでした。泣いて怒っていたのです。「尊師を悪く言うなんて赦せない」と。「こりゃダメだ」と思いましたね。
結局追い込まれた状況でも気づきたくないわけです。洗脳の対象、しがみつくことによって自分が楽になる、正当化される、その対象を絶対に手放したくないわけです。国家財政破綻でユーロ離脱寸前になってもデモとストライキで抵抗する国民と同じってことです。
「住民反対運動で追い詰められても、尊師信仰は辞められない、もっと尊師信仰を深めよう」
「ユーロ離脱まで追い詰められても、借金は返したくない、返せない、贅沢は辞められない、我々の給料を減らすな!」
自分がやっていることの結果でクビが締まっているのが薄々分かっていてもダメなんです、両方とも。要するに、権利・権限だけ主張して、義務は果たしたくないというわがまま。
何事であれ、問題の本質に迫れば迫るほど、白黒はっきりすることが出てきます。仮にあなたが誰かにお金を貸していたとしましょう。それとなく「返してね」というだけで話が済むならいいでしょう。でも現実問題済まないことの方が多いでしょう。どうしても返してほしければ、相手に具体的期日と返済額を決めるまで迫る必要があります。それでもだめなら強制的に差し押さえる必要が出てきます。それとなくほのめかして、だけでは、返してもらえず泣き寝入りするだけかも。
私はというと、2004年以降は、麻原原理主義で家族を後ろ盾にする信者らと、ケンカするしかないわけです。信者らは、麻原を絶対視せよとの家族からの秘密指示を大事にするわけです。私が「それ家族の指示だろ?」と突っ込むと、「いやそこの所は曖昧にするしかないですよね」と。しかし内部と外部の責任を取るのは、団体トップの私になるんです。私は「こういう家族の裏指示があって麻原を絶対視しろとあるんです。信者はそれを聞いてますが、責任ある私の立場では無理です」と白黒はっきりさせるしかないんです。
この私の団体内部のスタンスに、正悟師も反対するわけです。「あなたはご家族を大事にしていないでしょう!!」と。ただ発言するその正悟師らは、当時余り自分達が前面に出ず責任を問われなかった正悟師達です。しかし私が逮捕されて、自分たちに責任がかかる立場になって、やっと分かるんです。権利主張して、責任・義務を果たさないわけにはいかない、と。要するに人間って自分自身のクビが締まるまで分からないもんなんですね。
正悟師ですらこれです。まして況んや末端サマナがいつ気づくか、です。
資本主義社会の抱える問題は、オウム問題絡みでも幾度となく触れられてきました。「オウムを生み出した我々の社会自体にも問題があるのでは?」と。
オウム問題以外の日々起こる問題も同じです。資本主義の影がもたらす問題はどのメディアでも取り上げます。それ以来一体メディアは何回取り上げてきたことでしょうか?その結果がこれです。
何しろ相手は70億人の洗脳です。巨大すぎます。どれだけ私一人がわめこうが悪態をつこうが、ダメージを与えることすら難しいです。それでもやるだけやってみよう、というのが小生の気持ちです。
大多数の人にとって受け入れがたいというのは事実でしょう。でも私の過激で挑発的な主張に、「う~ん、何かあるな」と思ったあなたは、かつての私、アホなオウム信者、アホな正悟師より「エライ!」ってことになるでしょう。尤もこれまでの所、ほとんど相手にされていないというのが現状ですが。
但しこの方法だけでは、致命的とも言える欠陥が残ることになります。
(つづく)
コメント
う~ん、
が、
私の見解は前からなんとはなしに語ってきたように、
もう何段階か複雑というか・・なんですね。
福島の人でも様々な見解に分かれてきてるようですし。
ええと・・・いいやまあお続け下さい。
経済とか
でも人間には必ず外に出て行く時が来る。
ある程度成長した子供が母親から離れるのと一緒ですね。
オウム信者は出て行かなくてもいい場所を見つけたと錯覚している。
人生は、守られ、英気を養い、未来に出て行く繰り返し。
今のオウムは弱い弱い家畜の集団でしかない。
現実の今を見据えず、思考上の「未来がない今」で停止している。
こちらも過激
【麻原の人格分析①概論】 オウム問題の解決のために必要な、麻原の人格分析
http://ameblo.jp/aleph-mondai-taisaku/entry-11207207342.html
1 オウム問題の解決のために必要な、麻原の人格分析
2 「空想虚言症」の特徴とその特徴に符合する麻原
3 「誇大自己症候群」に基づく、麻原の人格分析
4 「誇大自己症候群」に基づく、麻原の人格分析
5 「誇大自己症候群」の特質と麻原の言動の比較検討
6 麻原の妄想的な信仰と「誇大自己症候群」
管理人のみ閲覧できます
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201108160151.html
まじめな話、そろそろ新しい生き方を模索しないと苦しくなってきてる元信者も多いのでは?
大昔の人びとは就職していなかった、ということに気づいたのだ。
人間は、何千年も何万年も、就職しないで生きてきた。わずか百年前でさえ、多くの人びとは就職していなかった。
自分たちが食べる分だけの作物を育てる「小さな農」を行いながら、好きなこと、個性、天賦の才を活かした仕事をして一定の生活費を得る。お金や時間に追われることなく、人間も地球もストレスから解放されるライフスタイルである。
http://ameblo.jp/mainen-netaro/page-17.html#main
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前にも紹介したHPですが、勉強になります。
私も職場に疲れ、脱サラすることにしました。
朝八時に車通勤する生活するとは自分でも思いませんでしたが、やっぱり無理でしたw
間もなく、山奥深く野生生活する予定です
テント持参で遊びにこれる元はウエルカムですw
秘密コメント様
>共通1次試験全国1位
これは誤解でして、東大理科一類50人クラスのトップという情報が歪曲したのではと。
ここのブログの思想はいかがでしょうか?
またいいヨガ、宗教の見分け方があればご教授ください。
いろんな経験をされている野田さんに時間のあるときにコメントいただければ幸いです。
行ったら多分昔暴走族だってっていうシンちゃんが出てくると思います。
ここに晒したから、多分対策はうってくると思いますけど、アレフ側は。
>いいヨガ、宗教の見分け方
それは目的によると思いますね。単に健康になりたいとかいうのなら、余り思想色が濃くないヤツが良いでしょうし、人生をかけるつもりなら、責任ある指導者がいるところのほうがいいでしょう。
いずれにしろ受ける側と指導する側それぞれの問題があります。私自身も自分自身が0から宗教を作って、人が0から学んでいくのを見届けた、などという経験を持っているわけではありません。
あなたのことも全く分からないので何ともいいようがありませんが、一つ言えるとしたら、あなたの動機次第ではないでしょうか?動機がよければそれなりに良い先生に会えるでしょうし、エゴイスティックな動機なら酷い目に会うかも知れません。ただ後者であってもそれはあなたのエゴを知らしめてくれる現象であると言うことです。それに気づければいいんですが、通常は「あー酷いヤツに酷い目に遭った」となります。
答えになっていないかも知れませんが、とりあえず以上です。
「炎上マーケティング」と同じですね。
早川教授は現実を見ようとしない福島県民(特に農家)をわざと煽って注目させて、
逃れようの無い現実問題を突きつけてる。
いみじくも「福島の農家はオウム信者と同じ」と言ってる。
「いや、それではオウム信者にあまりにも失礼だった」と。
確かに、我々信者が事件で経験したことをまさに今、
福島県民、日本国民が、拡大コピーで経験していると思います。
↓ だから青プリン教授の煽りのことを言ってるわけであって、原発事故に関する評価ではない。
ついでに貴殿の言わんとすることにも興味ない。
>福島の人でも様々な見解に分かれてきてるようですし。
そりゃそうだろ、信者内部でもそうだったんだから。