元オウム教団幹部 野田成人のブログ

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 東条英機元首相のお孫さん、東条由布子さんが、今夏の参院選に立候補するとのこと。東条元首相は、いわずとしれたA級戦犯の筆頭格、極Aだ。靖国神社へのA級戦犯合祀に賛成し、ここ最近盛り上がってきた分祀の流れに警戒感を示しているらしい。合祀か分祀かを世論に問いかけたい気持ちもあろうか?

 ミクシー上で、ニュースアンケートというものがある。そこでこの東条氏の政界進出・立候補について、賛同するか・しないか、アンケートを取っている。そこでの結果は大体6:4で賛同派が多数。うーん、このままいくと当選かも。同じミクシーニュースアンケートによると、「公人もしくは私人として靖国参拝すべし」が約7割、「参拝控えるべし」は約1割。国民はあくまで強硬路線なのだ(まあそれが愛国心?)。

 ここ最近の靖国問題と日中関係を簡単にまとめてみると…

・小泉首相の強硬参拝で日中関係は悪化(2005年の反日デモ等)
・安倍首相、就任直後に訪中・訪韓。参拝についても明言せず、関係改善ムード。
・米議会での慰安婦問題の謝罪要求議決。訪米にあわせて安倍首相が謝罪。
・富田メモ、卜部日記で、合祀が昭和天皇の御意ではない疑い濃厚に
・御意でない報道で、世論も分祀論に傾く流れ
・安倍首相が真榊料を靖国神社に納めていたことが問題視される


 拙い私見ではあるが、安倍首相と上祐の立場が、なんだかだぶって見えてしまう。。。それはアーレフ発足前後の話と、今回の新団体発足前後両方の事態で。

●アーレフ発足前後
・99年までの教団は麻原原理主義・強硬路線で社会との関係は悪化(微罪での強制捜査・住民票不受理・新法制定)
・2000年上祐復帰前後に、社会の圧力に押されて事件の謝罪

●新団体発足前後
・04~05年、上祐軟禁中、荒木正大師代行(と揶揄されてます)らの麻原原理主義・強硬路線で、社会との関係は悪化(微罪での強制捜査・逮捕起訴・有罪判決)
・当時代表だった上祐の改革路線をよそに、末端信者は「グル・松本家絶対信奉」が圧倒的多数派。当然真面目に謝罪など考えてない。
・上祐、新団体でアーレフ路線も欺瞞的だったと更なる謝罪・反省の姿勢
・上祐の脱麻原路線に対しても、公安庁・オウムウォチャーらは「またウソだろ」。まだ教材が残っているのいないの、やっていること同じだ、どうのこうのと問題視。

 昭和天皇の発言で「コロッ」と分祀に流れちゃう人がいる点は、ウチの場合、松本家の意見に左右されるところ。A派は松本家四女家出騒動があるまでは、松本家全体の総意として「事件の謝罪でグル否定する上祐は魔境」。ところが松本家内部でも意見の相違、ケンカをしていると分かると、考えを変える人も出てきたのだ。

 しかし四女が何を言おうと、訳の分からん宗教理論で屁理屈こねる人はこねる。「上祐魔境」「事件の謝罪はグル否定につながる」と荒木・上田・杉内ら極Aは強弁する。こりゃ、昭和天皇が何を言おうが、分祀反対の東条由布子氏(極A・東条英機の孫)、訳の分からん宗教理論で分祀不可能と強弁する靖国神社と似ているな。結局好き嫌いかな。

 もし仮に今夏の参院選大敗で、安倍首相引責辞任とでもなれば…。これは靖国問題・対中柔軟路線が災いしたとも言われてしまう。末端信者に教団を追い出された上祐とそっくり。。。。

 安倍首相、本当にトップのお立場さぞや大変かと推察致します。私は靖国参拝断固反対です、中韓と仲良くしましょう。国民が何と言おうとリーダーシップを発揮されることを望みます。アーレフの劉少奇こと野田成人からのメッセージでした。


※劉少奇 中国の国家主席(1959-68年)文化大革命で権力奪回を図る毛沢東の標的とされる。実権派の最高指導者として徹底的な批判に晒され、中南海に軟禁、1968年に除名、失脚へと追い込まれ、1969年に開封市の監獄で獄死。その内記事にします。





コメント


劉少奇と言わず

 VT正悟師には、劉少奇と言わず「アーレフの小平」くらいにはなって頂きたい物です。
 ただし、20年前~30年前の対中観で得意げに時事問題を語って欲しくは無いですけれども。

おお、思い出した。久しく國神社に参拝してなかったから今日こそ参拝に行こう!

サンディタさんって以前の「大阪CBI」さん? よろしければ「ひかラ~♪」板へもおこしください。西村リンクの掲示板筆頭の「栗」と略された板。

類推するに

野田さんが
> 日本とオウム 極Aを支持する類似点

この記事で明らかにしたかったのは、

> 靖国神社のA級戦犯を合祀か分祀かを世論に問いかけたい気持ちもあろうか?
> アーレフのA派の末端信者に教団を追い出された上祐

> 劉少奇 中国の国家主席(1959-68年)文化大革命で権力奪回を図る毛沢東の標的とされる。実権派の最高指導者として徹底的な批判に晒され、中南海に軟禁、除名、失脚へと追い込まれ

> 結局好き嫌いかな。

最後の引用の『好き嫌い』にすべては集約されると類推できます。

A級戦犯を合祀か分祀か?
背景にある問題は、大日本帝国が多くの近隣諸国の人民を傷つけたのは、万世一系の天皇の統治する日本国が、大東亜共栄圏構想を大義名分として、英米等に対抗するために彼らの植民地を奪い、アジアを日本の勢力圏にするために行なった、大東亜戦争の戦争責任者や戦死者を祀る靖国神社に参拝することは、近隣諸国の感情に配慮してることになるのだろうか?

この近隣諸国の経験に基づく感情に配慮するかしないかに、大きな問題が潜んでいるでしょう。

少し事実をおってみましょう。

靖国神社は明治2年(1869)に明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争(徳川幕府が倒れ、明治の新時代に生まれ変わる時に起った内戦)で斃れた人達を祀るために創建されたものです。
国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀り、明治10年の西南戦争後は、外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達を祀ることになった神社です。

「靖国」という名前には「国を安らかでおだやかな平安にして、いつまでも平和な国につくりあげよう」という、意味がこめられているそうです。

明治天皇は、日露戦争がはじまるとき
  よもの海 みなはらからと
        思ふ世に など波風の たちさわぐらむ
(世界の国々はみな兄弟と同じはずなのに、どうして平和がみだれてしまうのだろうか)という深いお悲しみの御製をお詠みになったそうです。

戦争は本当に悲しい出来事ですが、日本の独立をしっかりと守り、平和な国として、まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、戦わなければならなかったとされています。こういう事変や戦争に尊い生命をささげられた、たくさんの方々が靖国神社の神さまとして祀られているそうです。

大日本帝国憲法
第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第3条天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第4条天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ


大東亜戦争の直接の思想背景には、
大東亜共栄圏を提唱して、東アジア・東南アジアに日本を盟主とする欧米諸国に対抗するための共存共栄の新秩序(国際秩序)を建設し、欧米諸国(特にイギリス・アメリカ)の植民地支配から東アジア・東南アジアを解放するというスローガンでもって、大東亜戦争(太平洋戦争・十五年戦争)において日本が大義名分として近隣諸国に軍隊を派遣した事実があります。

1943年11月5日~11月6日に東京で当時の日本の影響下にあるアジア諸国の国政最高責任者を招請して大東亜会議が行われた。そこでは、大東亜共栄圏の綱領ともいうべき大東亜宣言が採択され、大東亜共栄圏を大義名分として近隣諸国に派兵した。

大東亜宣言を善解すれば、大東亜共栄圏の目的は、アジアの植民地群を列強の支配から解放、独立させ、EUのような対等な国家連合を実現させることであったとも理解できます。

しかし日本軍占領下で独立を果たした国々(フィリピン、ベトナム、ラオス、ビルマ、カンボジア、満州国)の政府と汪兆銘政権は、いずれも日本政府や日本軍の絶対的指導の下に置かれており、ソ連に対する東欧諸国、アメリカ合衆国に対する中南米諸国のような、事実上の植民地化を目指したに過ぎないという見方が一般的であります。

そして日本軍は占領地域で傷害・虐殺・強姦・搾取を行ったのち、実質的な独立を与えぬまま敗北し撤退してしまった事実があります。



こうして事実を掲げると分かるように、

A級戦犯とA派は非常に類似部分が沢山あります。

A級戦犯というより合祀されている靖国神社に敬意を持って接している日本人の方々と、A派の類似性ですね。

万世一系の天皇が統治する大日本帝国は、東南アジアを解放するというスローガンでもって大東亜戦争を正義の戦いとして戦った。現在は天皇は象徴となっても、靖国神社に祀られた英霊は神として、明治天皇の御製の思想を正しいと信じ込み、近隣諸国にとやかく文句を言われる筋合いのことではないと思いたがっている。

A派は、武力行使の計画や実行に直接関与した経験は、ほとんどないが、元教祖のスローガン(苦悩からの解放)だけは正義と信じ込み、いまだに元教祖などの関連者を信頼して、近隣住民にとやかく文句を言われる筋合いのことではないと思いたがっている。

結局、潜在意識(集合的無意識)に生じる識別は、好き嫌いかによって、無意識に選択されてしまうのが全体の傾向となってしまう可能性が高いものなんだということでしょう。

個人的に好き嫌いで謂えば、神とは日本の国の為に貢献して亡くなったすべての人という意味であれば、まぁ容認できます。
けれども、あえて戦争で日本の国を守るために、斃れた人達に限定する英霊というのが好きになれないですね。←戦争や戦いをしなければ、神として靖国神社では仲間に入れられないのでしょ。


うわぁ

>A級戦犯とA派は非常に類似部分が沢山あります。

ホントにそっくり!!

近未来に

VTさんに是非とも聞いておきたいのですが、三女が結婚・妊娠・出産した場合や、将来的に長男や次男が結婚して子供をもうけたりした場合は、A派またアーレフはそれに対してどのような見解をとられるのでしょう? 冗談のようにきこえるかもしれませんが、そんな時期は意外とすぐにやってくるかもしれません。もう長男や次男も数年たてば成人ですし、三女のスキャンダルからすればもうすでに子供がいたなんて話もあるかもしれませんからね。

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どうも
ちなみに串を使っているのですか?

子供

三女・長男・次男ならA派は不問でしょう。むしろ喜んだりして。
私や末端サマナの意見は通りません。

子供

赤ちゃんポストをお使いになるのでしょうか。
あるいは「奇跡的な発生をされたのです!」と言い張るのでしょうか。

VT正悟師さま、河本理治さま

VT正悟師さま
>ホントにそっくり!!
 戦前・戦中の挙国一致体制 ≒ 北朝鮮 ≒ A派   です。

河本理治さま
 実際に靖国神社を建立したのは、大村益次郎です。
 明治天皇云々は、権威付けのための作り話でしょうね。(ちなみに靖国建立当時、明治天皇は16歳です)
 靖国神社は西洋の国家主義と徴兵制を日本に根付かせるために明治政府が作った人造宗教なので、日本古来の神道的伝統から見ると色々と矛盾が多いようです。

昭和天皇と戦争

河野理治さんのコメントより、

>明治天皇は、日露戦争がはじまるとき
>  よもの海 みなはらからと
>        思ふ世に など波風の たちさわぐらむ
>(世界の国々はみな兄弟と同じはずなのに、どうして平和がみだれてしまうのだろうか)という深いお悲しみの御製をお詠みになったそうです。

昭和天皇も、開戦前にこの明治帝の歌を取り上げて、「私は故明治大帝の平和愛好の御精神を紹述しようと努めている」と発言しています。だけど結局、かつてのクーデター未遂(226ですね)、大陸での事件勃発と戦争拡大を見ればわかるとおり、軍部のエゴは強固で、天皇といえども戦争回避は容易ではなかったのではないでしょうか。

ところが、ですよ。
「戦争はやる迄は深重に、始めたら徹底してやらねばならぬ。また行はざるを得ぬ」
これもまた昭和天皇の発言で、いったん戦争が始まったら「とことん行け」「やるしかない」と後押ししています。

さらに、戦局が行き詰まり、御前会議では最終的に「平和を望む」で戦争は終結です。締めとして、天皇殺害、皇太子擁立の企みという反対派の妨害をかいくぐり、玉音放送がなされました。

結局、昭和天皇にとって、自身の戦争責任もともなう太平洋戦争は「人間が宗教の権威をエゴのために弄ぶとどうなるか、とことんわからせるしかない」ということなのか?というのが個人的見解です。

人間って、「絶対」という価値観に弱いですよね。これを持ち出すと、人間はおかしくなっちゃう。壁にぶち当たって行き詰まって破滅するまで方向転換できなくなる。

サンディタさま

> 靖国神社は西洋の国家主義と徴兵制を日本に根付かせるために明治政府が作った人造宗教なので、日本古来の神道的伝統から見ると色々と矛盾が多いようです。

はい。サンディタさまが仰っていることはその通りでしょう。

ただし、時代の流れに従って、その領域や国の内部の人間の中に生成される、好き嫌いの識別は、外的な思想信条或いはイデオロギーと無関係、独立して生じることはあり得ない実例として掲げただけです。そしてその中にある問題点の分析的解明の先に、その問題点の解決方法が見つかる可能性があるでしょう。

よって古代神道がどうとか、ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の共通する一神教の概念がどうとか、評価したり、正しい概念はどうあるべきか?というところまで踏み込んでの意見投稿は今のところはしていません。

私見は何となくありますが、いずれの場合でも、内と外、個人と大衆、この相互の依他起性を無視しては、現実現象は「生起」も「消滅」もしないでしょう。

どうも政治的な思想はVT正悟師と私はかなり隔たりがあるようです

國神社は英霊の「みたま様」のご遺徳をお偲び申し上げ感謝申し上げるメモリアル施設。超越的な神仏を祀る通常の宗教とは性格が異なります。とりわけ一神教系のアカの指摘は全く失当。某輪っかより一層宗教性は薄い。一昨日も参拝させて頂きましたが。

ほほー

あっはっはっは、爆笑爆笑、天皇を生き神様として絶対視することで、戦争へと突っ込んでいった日本、戦後は、天皇なんて、人間さ、象徴さ、操り人形的で実権などなかったさ、とすることで、天皇を死刑から救い、ひいてはその血脈をかろうじて守ってきた日本、そのときも、敵はアメリカ様でした、と。
アーレフも、教祖様を生き神様として絶対視することで、一連の事件を、ひいては最終戦争を起こそうとつっこんでいったわけですが、失敗?後、ソンシなんて人間さ、象徴さ、とすることで、そう、おんなじアメリカ様相手なのだから、同じように単なる象徴ですよって、主張することで、教団の存続や、教祖の死刑回避?、ひいてはその血脈をかろうじて守ることを、ゆるしてくれるだろうと考える、そんな共通点があるのかなあ。

えぇー

>同じように単なる象徴ですよって、主張することで、教団の存続や、
>教祖の死刑回避?、ひいてはその血脈をかろうじて守ることを、ゆ
>るしてくれるだろうと考える、そんな共通点があるのかなあ。

そうなったらヨカタヨカッタって、それだけではいろいろ今まで犠牲になった人が浮かばれないなぁ。現役の者としてそんなハッピーエンドは悲しすぎる。
エゴで宗教を弄ぶと大変なことになるよ!決してくりかえすなよ!と実例付きで歴史の1ページに刻み込むことで、今後の精神世界がもう少しまともになればいいんだけど。
Aな人々も、このまま突進していくんだろうし、そうなったらそうなったで、また破滅がまっているんだろうなぁ...( ´△`)

快感原則の彼岸

> 「人間が宗教の権威をエゴのために弄ぶとどうなるか、とことんわからせるしかない」ということなのか?というのが個人的見解です。

> 人間って、「絶対」という価値観に弱いですよね。これを持ち出すと、人間はおかしくなっちゃう。壁にぶち当たって行き詰まって破滅するまで方向転換できなくなる

> 戦後は、天皇なんて、人間さ、象徴さ、操り人形的で実権などなかったさ、とすることで、天皇を死刑から救い、ひいてはその血脈をかろうじて守ってきた日本・・・・・・・

「2拍子」さんと「ksd」さんのご意見は、ある同じ視点から、物事を見られた結果、大概の人がたどりつきそうな結論或いは「他山の石」のように観察した結果或いは揶揄できるのだろうなぁという印象を抱きます。

成功者に学ぶ。失敗に学ぶ。という視点で観るならば、外界に起こるすべての事象は自らの要素として受けとめる、自ら成功することも、失敗を是正する可能性も、学び取ることができるでしょう。

何を言おうとしているか?とお思いになられるかもしれません。

宗教的真実を探求してきたつもりにも関わらず、私個人の現実は、これまで、この短い一生で2度も失敗しました。

その最も大きな要因の一つは、すべての真実には『両義性』が含まれていることを認めることができなかったからです。

私の後の方の失敗経験にどのような問題が含まれたいたかと類推すれば、絶対者或いは無限を追求することは皆これまでの人類がおこなってきたことです。絶対者或いは無限、超越者が・ある・いる・実在する・・・・と思うまでは問題はないのです。けれども、それを、肉体を持った生身の人や現実に過去に生きた人に、手段として仮定・想定する・限定するだけのところで留まること無く、同一視してしまうところまで行ってしまうとどうなるかという実例が、過去のオウム真理教において判り易い失敗例として示されているということです。

両義性は、苦楽表裏が最も代表的な判り易い視点です。

ところが「快感原則」の蔓延する現在の資本主義社会で安全球体を成り立たせている政治的思考は、真実を見えなくさせる方法を発展させてきているということです。要するに、楽の追求と維持の為にのみに片寄った視点にしか、資本主義を基盤とした政治的思考は認めようとしない状態に置かれているということです。

両義性のもう一つの視点は、すべては繋がっていて、私一人だけでは生きることすらできないということです。個我があるように思える部分と同時に、その個我は周りのすべての存在物と存在者なしには成立しえない。いや、実はすべての現象は相互依存、依他起性によってしか、起きないということです。

自立的に他者の影響なくしてただ一人で何も変化しないし、何も起きないし、何も眼耳鼻舌身意で、受けとめることもあり得ないと言うことです。

従って自分の外側で、起きているすべての事象を眼耳鼻舌身意で感受するものは、究極的には自分の要素であり他人事ではないということになります。

ところが、「快感原則」に従った見方では、楽は良し、苦は私のものではない、よって自分が直接何かをしたのではないから、外側で起こっている現象が、極悪で苦しいことは、自分とは関係ないこととしてみなす、資本主義を基盤とした思考に染まっているということです。

少なくとも2度の失敗から私がようやく気付かされたのは、真実には『両義性』があるのだということです。この視点で考えると以下のような文章は、私に失敗を乗り越えて、これからも生きていく勇気を与えてくれる認識方法を示しているように思います。

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 グローバル化されつつある地球上の人類は今日、圧倒的に豊かな世界と圧倒的に貧しい世界に、二分化されつつある。物質的に豊かなものたちのつくる世界は、潜在的なテロリズムの脅威を抱え込みながら、あらゆる組織をネットワーク状につないで、安全で豊かな世界の維持のために神経を張りつめている。スラボイ・ジジェクはそれを「安全球体」と名づけているが、この安全球体の内部では、芸術のみならず一切の両義的認識が、しだいに生存の場所を失いつつあることを、今回のシュトックハウゼンの事件(緑の素本論p131-138を参照して下さい)はあからさまに示したみせたのである。

 豊かな世界は、自分たちの生活圏を「快感原則」にしたがって構成しようと、さまざまな方策をめぐらしている。自分たちの生活圏を快感原則にそって認識することは、あらゆる生命体のおこなっていることで、とりたてて人間だけが、五感をとおして取り入れられる感覚からできるだけ不快な要素を取り除こうと努力したり、快感的な幻想を満たそうとするために、あえて現実を歪曲してまでも快感獲得への願望を達しようとしているわけではない。とりわけ、物質的な権力に関して絶大な力を獲得した「帝国」においては、人々が安全なことこの上もなく管理された生活圏の内部で、不快なものからは遠く離れて、洗練されたさまざまな快感的「文化」を享受するための環境が整えられ、よその世界で何がおこっていようともそんなことはおかまいなしの、自分たちの幸福を追求しようとしたというのが、歴史的にも確認できる、人間という生物の生態なのである。

 しかし、快感原則の獲得を目標とするこのような安全球体の内部において、宗教は堕落し、芸術は退廃する。あるいは意味を失う。そしてそのとき、人間そのものが停滞と退廃に陥るのだ。
よく知られたこの歴史的事実の原因をつきとめようとしたフロイトは、宗教と芸術が、快感原則に抗して、快感原則の彼岸をめざした活動であることを本質としていることに気づいた。人間には、快感をもたらすどころが、耐え難いほどに不快な体験が自分にもたらされた現場に、何度も何度も立ち返って、その現場をのぞきこもうとする強い傾向のあることを、フロイトは発見したのである。

 画期的な『快感原則の彼岸』の中で、フロイトは幼児の行動を詳しく観察することによって、「文化」発生の原初の光景に触れる感動的な発見にたどりついた。母親が外出するたびに、不安そうな表情をみせていたその幼児が、そのうちに部屋にあった糸巻きを取り上げて、その糸の一端をつかんだまま遠くに投げ出しては「いない」と叫び、それから糸をたぐり寄せて糸巻きを手元に取り戻しては、歓喜をこめて「いた」と叫ぶのだった。この動作は何度も繰り返され、そのたびに幼児の表情には、満足となにかを征服したという充実感が感じられるのであった。

 フロイトはここから、つぎのように推論した。母親の不在のように、耐え難い苦痛をもたらす体験を、快感原則はできるだけ遠ざけておこうとするだろう。ところが、幼児はその苦痛を引き起こす体験を、糸巻きを利用した行動によって象徴化して、その苦痛の現場に何度も立ち戻ろうとするのである。幼児はこのとき、快感原則に反した行動をおこなっている。あえて自分に耐え難い苦痛をもたらす体験の現場に、象徴化の道具を携えて立ち戻り、その状況を自力で乗り越えようとしていることが理解できる。

 このときフロイトがおこなった観察は、実に深遠な意味をはらんである。まず、人間は自分の欲望にとっての真実の対象が失われ不在であるとき、そこにできた空隙を象徴の働きによって補おうとしているのがわかる。

 つまり、言葉をはじめとして、いっさいの象徴化のための道具が、欲望の対象が決定的に失われてしまっているという現実認識と表裏となって形成されるのだ。この象徴化の道具を手にして、人間は自分の欲望と愛の対象が決定的に失われた現場に立ち戻るである。苦痛と不快に満ちた喪失の体験を通過して、はじめて人間は言葉を手にし、象徴化の道具を手にすることになる。快感原則にしたがっているかぎりは、苦痛と不快にみちた現実にあえて直面し、それを乗り越えようとはしないだろうが、言葉をしゃべる人間という霊長類は、自分をなりたたせている条件が、まさに不快さと苦痛をもたらす喪失の現場であったことを理解して、快感に抗してでも、その彼岸へと向かおうとした数少ない生物なのである。

 宗教はさまざまな儀礼や神話をとおして、その決定的な現場の光景を記念しようとしてきた。あらゆる「聖なるもの」が、壮麗な美に自らを輝かせているその瞬間にも、おぞましくも不快な深淵の闇をのぞかせている。

 象徴化の能力そのものは、視覚に快感をもたらす美に昇華することもできる。しかし、その能力が発生する原初の場面では、それはどんなにしても快感原則によって改造することの不可能な、底なしの空間に触れている。こうして宗教は「文化」に所属していると同時に、「文化」に抗しながら、「文化」の彼岸にも触れようとしてきた。宗教こそ、両義性の最大の貯蔵庫だったのだ。

 したがってこのような宗教は、あまりに完璧に機能している安全球体の内部では、自らの真実を生きることはできない運命にある。もちろん世間では、安全球体の内部こそが、さまざまな形態の宗教の繁茂する、最適な環境であるかのように思われている。だが、それは錯覚にすぎない。宗教は快感原則に従属したとたん、いやそれに触れたとたんに、別種のものに変質をとげる。この別種のものの活動に与えられるべき適当な名称を、私たちは欠いている。そのためにすでに長いこと、私たちの世界は混乱に混乱を重ねてきたのである。

・・・・・・・・・・・・

ベルリンの壁の崩壊が、百年続いたモダン芸術の繁栄に、事実上の終止符を打つことになった。超大国はもはや一つだけ、そこには発展したテクノロジーを駆使して、かつて一度も地球上には実現できなかった安全球体が形成できることになった。その内部では、安全球体の自己同一性を動揺させる、内外からの攪乱要因は可能なかぎり排除されるだろう。安全の基準は、同一性や単純化や安定性をまず第一に考える。

 そうなると、問題は両義性だ。快感原則の内部ですべてのことが運んでいくものならば、なにもとりたてて死の欲動に触れていく両義性のことなどを、まともに考える必要もないだろう。しかし、言葉をしゃべり、象徴化の能力によって生きる人間は、こうしているときにも、たえず死の欲動の打ち寄せる波打ち際に触れている。ところが安全球体をなりたたせている政治的思考は、このような真実を見えなくさせる方法を発達させてきた。感覚の自然な調和を破り、快感原則を踏み越えていこうするモダン芸術は、このような世界では、いままでのような安心できる居場所を得ることは難しくなった。

 まして、その安全球体がテロリズムの脅威にさらされるとき、両義的な思考への不信が、今回のシュトックハウゼンの事件のような形で一気に噴出することになったのだ。シュルツ氏は一人ではない。おびただしい数の見えざるシュルツ氏たちが、快感原則の外部をめざそうとする者たちを、厳しく監視していることを忘れてはならない。安全球体に包み込まれた芸術は、今後ますます二重言語の使用に熟達する必要にせまられるのではなかろうか。真意をけっしてあからさまに言わない、表現することによって隠す。このような二重言語的思考によって、なかば英雄的ですらあった両義的思考による芸術をのり越えていくことができないかぎり、シュトックハウゼン氏を襲った災禍は、明日は私たちのものとなろう。

中沢新一氏著『緑の資本論』より

注:シュルツ氏はシュトックハウゼン氏に対する記者会見で、世界貿易センタービルで起こった同時多発事件は、『あれはアートの最大の作品です』という発言を前後の脈絡を周到にカットして、非人道的発言だとして報道した人です。

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あらゆる内的体験も外界で起こる現象も、自らの眼耳鼻舌身意で感受するものに、もともとその因が内包されていないものを、経験し感受できる事柄はない。

だからこの基準に従えば『両義性』のフロイトがおこなった観察のように、快感原則の内部だけにいては結局、恐れ&恐怖を緩和することは、不能であるということです。

そうであるからといって過去の事件と違法行為を肯定しようとか正当化することは、私にはできません。
その正当化をしようとすること自体に、苦楽表裏の片寄った、楽(快感原則)の内部に留まりたいという欲求が働いていることになるからです。

過去の事件と違法行為を肯定・正当化できないけれども、自分が眼耳鼻舌身意で感受する内外の事柄は、因が私の内部に無いものは決して、感受しませんということに焦点を当てた、反省をしている訳です。

それを集合無意識的に日本全体の潜在的傾向とみなすことと、自己の潜在的傾向とみなすことはパラレルで同質であると意識して分析を加えているに過ぎず、『他山の石』他人事として現象を観察することは私にはできないのです。

いいや、すべきでないと私に言い聞かせているのです。

Zさんへ

Zさんへ
>どうも政治的な思想はVT正悟師と私はかなり隔たりがあるようです
 おそらく、VT正悟師は最近の東アジア状勢の実態を詳しく御存知無いのだと思われます。
 一回中国あたりと経済的な取引をして全損しない限り、目が覚めないかも知れません。
 誰も中国・韓国との友好を願わない者は居ないと思うのですが、彼方がああいう状況である以上、それは非常に難しいと言わざるを得ません。

 ところで非常に面白い掲示板が御座いましたので、忘れない内に紹介させて頂きます。
 VT正悟師が闇雲に友好を望む韓国の現実の姿が、多少は理解出来るかと思います。

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1862431
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1860303

A級戦犯?

A級戦犯についてちょっと気になったので

「東京裁判」の違法性について説明した文を記載します。
こちらの記事は5月なの、すでにご存知のことかもしれませんが・・・。
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 0.罪刑法定主義
 「法なくして罪無し」(罪刑法定主義)というのが、司法の大原則であるから、
 「戦争犯罪」を裁くためには法律の制定が必要である。そこでドイツは1945年8月
 米英仏ソが合意し「ロンドン憲章」を、日本では1946年1月19日「極東国際軍事裁
 判所条例」を作成した。
 
 1.事後法
 急遽裁判のための法が定められたが、法律はそれを制定した時点より後に
 適用されるものであって、「法は遡らない」という法の大原則に違反して
 「東京裁判」は裁かれた。

 2.戦争そのものの裁判
 裁判は既存の法に基づいて行われるものである。「戦争」そのものは
 犯罪でもなく、非合法でもないにもかかわらず、戦争そのものが裁かれた。
 「戦争」が非合法でないからこそ、戦争の手段に関する戦時国際法と
 いうものが存在するのである。
 第二次世界大戦後も多くの戦争があったが、責任者は裁かれてない。
 ベトナム戦争で有罪となった指導者はいたであろうか。

 3.指導者個人の断罪
 「戦争」は国家l行為であり、個人の行為ではない。にもかかわらずその
 指導者個人が裁かれるのでは、国家に対する責任。忠誠が全うできない。
 従来の国際法にはなかったことである。
 
 4.戦勝国の戦争犯罪不問
 戦争犯罪は戦勝国にもあるが、戦勝国は裁かれていないという不公平がある。
 裁判長は「東京裁判は日本を裁く裁判であって、連合国を裁くのが目的ではない」
 として、日本弁護側の主張や証拠書類はことごとく却下された。「東京裁判」が
 戦勝国の復讐のための「私刑(リンチ)」といわれる所以である。石田光成は
 関ヶ原の合戦の戦犯であったため斬首になった、と思っている日本人は一人も
 いないであろう。

 5.判事の選定
 11人の判事がすべて連合国側(米英蘭仏ソ中豪加印比ニュージーランド)
 の人間である。当時フィリピンはアメリカの保護国、インドはイギリスの属領
 であった。しかもこのうち国際法の専門家はインドのパール判事だけで、
 彼のみが日本を擁護し全員無罪を主張した。

 6.有条件降伏の条件無視
 日本は「ポツダム宣言」の条件にしたがって降伏した「有条件降伏」であるから、
 戦争犯罪についても、同宣言10条の「我らの俘虜(捕虜)を虐待したものを含む
 戦争犯罪人」だけが対象になるのである。つまり捕虜虐待等のそれまでにも
 あった通常の戦争犯罪だけが対象になるのである。
 ・・・(略)
 
 7.侵略戦争の定義
 「事後法」として新たに作られた「平和に対する罪」とは、日本が「侵略戦争」を
 起こしたのでそれを罰するというものである。ところが「侵略戦争」とは何かという
 定義が曖昧である。「パリ不戦条約」で「戦争放棄」を宣言したが、自衛の戦争
 は除くとした。しかし戦争が自衛権発動であるのか否かは当事国が決定する
 というのであるから、この「戦争放棄」は空念仏のようなものである。ところが、
 東京裁判では日本の戦争を「侵略戦争」であると、連合国が決め付けたのである。

 8.共同謀議の捏造
 「平和に対する罪」に関しては、日本が共同謀議により侵略戦争を計画・実行
 したと断罪する。しかし被告が一同に会し協議したことなど一度もなく、共同謀議
 などなかったことは明らかである。また内閣は重臣の指名より頻繁に代わり、
 一貫した政策も侵略もなかった(あったらよかったのかもしれないが)。
 そしていづれの首相も、東条英機首相でさえも自分がなりたくて画策してその
 地位についたわけではない。

 9.決着済み事件の断罪
 満州事変・支那事変・大東亜戦争を一貫した戦争として、過去にすでに決着した
 事件まで、その時の条約・協定などを無視して断罪した。張鼓峰事件・ノモンハン
 事件などはいづれも協定済みで決着した事件である。

10.個別問題
 具体的な個別問題はきりがないほどあるが、支那事変勃発の発端となった
 「蘆溝橋事件」の最初の一発はどちらが撃ったかなど深く追求すると、裏で
 中共(中国共産党)が暗躍していたことが明るみに出てしまうので、曖昧な
 ままにされ、その策謀に関する資料が握りつぶされてしまった。そして
 中国国民党代表の梅汝敖(ばいじょごう)判事は自国においては裁判官
 ではなく、東京裁判終了後中国共産党に移っている。

[マッカ-サー証言]
マッカーサーは東京裁判の判決から2年半後の1951(昭和26)年5月3日、米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会において、「日本が戦争に突入した理由の大半は安全保障だった」つまり「大東亜戦争」は「侵略戦争」ではないと発言した。「日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もない。彼らは綿も羊毛も石油も、錫もゴムも、そのた実に多くの原料が欠如している。そして、それらすべて一切がアジアの海域には存在していたのです。もし、これらの原料の供給が断たれたら日本国内で1000万から1200万人の失業者が出ていたでしょう。日本はこれを恐れていました。
したがって、日本が戦争に突き進んでいった動機は、大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだったのです」と述べている。

 渡辺昇一監修 水野靖夫著 
 日本人として最低限知っておきたい [Q&A]近現代史の必須知識 より抜粋
-----------------------------------------------------------
以上、A級戦犯に関してですが、
依然、日本人の間では戦後の戦勝国による占領政策時に(今でも続いてますが)植付けられた歴史観が根付いてるといわれてます。

東条由布子さんが出馬したこと、またそれ以外にも、いまの日本人が抱えている危機感とは、内からも(政界・マスコミ・その他いろいろ)外からもボロボロにされつつある日本の現状・未来に憂いてのことであることは間違いないでしょう。

如何なもんすか?

>以上、A級戦犯に関してですが、
>依然、日本人の間では戦後の戦勝国による占領政策時に(今でも続いてますが)植付けられた歴史観が根付いてるといわれてます。
>
>東条由布子さんが出馬したこと、またそれ以外にも、いまの日本人が抱えている危機感とは、内からも(政界・マスコミ・その他いろいろ)外からもボロボロにされつつある日本の現状・未来に憂いてのことであることは間違いないでしょう。
>
>如何なもんすか?

大昔の記事なので、あまり引っ張りたくないのですが、本人いわく、「特亜問題を踏まえたうえで」の発言なので、教科書的アジア史理解とそのアンチテーゼというところからもう一歩踏み込まないと、有効な議論にならないでしょう。

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