元オウム教団幹部 野田成人のブログ

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 教団から出た人を数人、住居他世話してきた。その内麻原信仰を続けているのは、1-2割程度だろうか。麻原信仰を続けている人の中には、「カルマを受ける」という聖俗の観念にとらわれている者もいる。約半数くらいだろうか。その結果、なかなか社会にもなじめない。

 例えば、私個人が色んな人に対応するにも限りがある。辞めた人などで精神不安定な人の話し相手になってもらう人などもいてくれると助かる。大村さんなどはそういう点で「安心施」をしている。が、その「カルマ受ける」洗脳が強いと、それもできない。

 先日も辞める人の相談を受けた。しかし、こっちにべたべたされても困るので、仲がよかった辞めた人を聞いてみた。すると、Xさんと仲良しだったという。早速Xさんに連絡を取ってみたが、結論としてXさんは、「自分も調子が悪いから、今はできない」とのこと。

 Xさんは、麻原信仰と「カルマ受ける」という聖俗の観念にとらわれている。それが故に調子が悪いと私は考えている。しかし、本人の選択としてその思想を選択肢続けている限り、如何ともしようがない。麻原信仰が体に影響をもたらしているケースは少なくない。Xさんのケースはあくまで一例に過ぎない。

 ちょっと症状は違うが、98年頃教団で、「体が動かなくなる」とか「ちょっと物音がしただけでダメなんです」という人が数人いた。当時はその原因がよく分からなかった。「音がするとダメなんです」と言われると、こちらも何にも出来ない。

 しばらくその人達を観察していて、原因が分かった。要するに、「抑圧された嫌悪」。それが体に影響を与えていたということ。彼らに共通するのは、八方美人的な要素。教義的な「こうすべき」「こうしてはいけない」が、彼らの心を縛る。逃げ場を失ったストレスが、体と心を蝕む。それが症状として現れていた。

 それは自己否定と言っても言いかもしれない。

「グルと真理が絶対、自分は汚れている。」

 こればかりやらされた結果だ。辞めて麻原信仰から抜けた何人かは、それに気づいている。

 他方、完全に抜けきれず、漂流している人もいる。それまで人生をかけて追究してきた「グルと真理」を否定できずに、苛まれているものもいる。辞めて自殺した人が数人いるが、無関係な話ではない。

 「ボーダーライン上」の現役サマナにも該当者はいる。教団の原理主義者達には、彼らを救うことはできない。恐らく加害者であることすら、気づいていないだろう。原理主義者の信仰心と、不良サマナの疑念は、表裏一体。

 「真面目にやらないなら出て行ってもらう」と支配しながら、幹部は不良サマナに自らの疑念を投影する。いわゆる2・8の法則、あるいは2・6・2の法則というやつ。

 「じゃあ何とかしてやれよ」と仰るかも知れない。しかし本人達が「地獄の恐怖」で呪縛され教団から出ようともしない以上、こちらも如何ともしがたい。

コメント


ユーチューブで面白い動画をみつけました。

http://www.youtube.com/watch?v=tl3DjHJ5gCs&NR=1

私にはかなり効きました。他の人も効くかもしれません。



カルマの授受

なんてことがあるのか?


わたしもこの命題に格闘しております。

堕胎のカルマ、
例えば、某元マハーポーシャ社員は、下向後、デパートに勤めていた時に指を切断したとか。
一般人でも、堕胎を強要した男性が指を切り落としたなんてことを聞きました。

前者は自分で決断したことですから、自分のカルマでしょうが、
後者はちょっと違うような?
単に邪気を受けたのかもと考えてしまいましたね。

まあ、どうなんでしょうかね。

もし、堕胎のカルマのある女性とお付き合いをしたとしたら、
カルマの授受はあるのか?
なんて、考えると怖くなります。

カルマねえ・・・。

そんな人たちに一言。

受けたらいいじゃん。
それが到達真智運命魂だろ!
お前ら到達真智運命魂だろ!

それが出来ないんなら、アレフなんかやめろ!

私はカルマの授受を恐れる時点ですでに嫌悪が生じているのではと考えます。実際に脱退後、介護の仕事を実践してみました。老人や認知症の方にベタベタに触りまくりです。その結果、自分の思考や性格は変わりませんでしたよ。まあ肉体的にも精神的にも疲れましたけど。同じように自分の不調を他人のせいにする時点で嫌悪は生じていると考えます。周りの人間やカルマ、エネルギーに流されない。どんなに俗世にまみれようと自分の足で立ち、少しでも仏教の教えを体現することが大事と考えています。

まぁ言わせて貰えば、

これに関しても、あまり短絡的な決定論にしないことですね。
気孔にも通じる話ですから、あるとしたらとても複雑です。
あるわけないじゃん、としたらかなり多くの神秘主義者が魔女狩りの憂き目に会う。

って前も話しましたねこれ、デジャブです。

魂の進化というものは、簡単に分けると四つの段階によって表わすことができる。この四つの段階とは、表層意識によって潜在意識を抑圧した段階、潜在意識が解放され善悪の区別がなくなり煩悩だけになった段階、そしてそれらが浄化され、もともと魂の本質というものは、つまり自分自身の生きているこの状況、生きることというそのものが衆生のためであると考える大我の状態になった状態、そして心が静まり空に没入し寂静の状態になった状態、この四つの段階に必ず魂は進化のプロセスを求めなければならない。

麻原彰晃が法のすり抜けをしようとして失敗した 国の最高法規として認知されている日本国憲法を読んでみることだ。
 但し、これは多くの若者が見過ごしがちな矛盾を含んではいるが

答えはひとつではない

身体が動かなくなるのは自らの嫌悪 抑圧されたストレスとも限らない。

呪詛 念を受けると身体は半金縛りの状態になる。
前のコメントに共依存は転移するので医師も避けるだとか
確かに想いは浸透するし感染する。
カルマの移行はある。

だから身体が動かなくなるとか自閉症になるとかはない。
普通は多少調子悪くても縁のあったひとが困ってたら話を聞いたりする。
制限内で。

調子悪いから駄目ですじゃ何においても自分の殻を破れないし甘えがどんどん強くなっていくんだろうな。

で 都合の良い捩曲げた法則で自己正当化。
あと自分に対しての言い訳。

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一個上

そういうことはあったかも
お互い小学生でしたからね

潜在意識が関係している

>「体が動かなくなる」とか「ちょっと物音がしただけでダメなんです」という人が
>数人いた

こういうことは潜在意識が関係しているらしいです。

催眠療法とかいろいろと方法はあると思います。

石井裕之さんはそのあたりに詳しいみたいですし、

他にも詳しい人はいると思います。

図書館に行って調べてみたらどうでしょうか。


でも税金で生きているなら、カルマを受けているわけですよね?
心の問題では?

「カルマ」も一つの方便

真っ当にPCデータのような物質的な性質移転と考えたなら、まず量的なことが問題となると思います。その人の耐性の閾値を越えた場合、耐え切れなくなって調子を崩すとか。あとはその種類。

普段は多少のことではそれほど問題となるほどのものじゃない。
よほど一つの要素を重点的に密接に触れ合い交換しない限り。

普通の方でも満員電車で気持ち悪くなるのはこのためかもしれませんね。

しかしそれがほんとに他のカルマかどうかについては十分注意深くいる必要があると思います。思い込みはほんと手ごわい。

但し以前夢野さんが指摘してたように、オウムの一般的に語られるカルマ論は粗雑だと思います。あれは便宜上の理解し易いよう仕立てた説明の仕方であって。私は実際はカルマというのは完全に内的データ的ではないかなと思ってます。自・他のカルマがエネルギーとして外的に振舞っているように見えるだけの話。(それを言ったら外的事象全ても錯覚だと説明しなきゃならなくなるかな・・)

想念や感情は今顕現したデータ、それもカルマ。
物質や空間もカルマ、あれもこれもカルマ・・全てがカルマのなせる技。

言ってみればアーカシックレコードといわれるものも暗在系にあるデータも同種。

だからカルマというものの捕らえ方も一つの大雑把な概念でしかない。そういうメカニズムにまずは着目してもらうための概念。

更にその完璧であるカルマを「超える」とはなんぞやw
単純な概念というものは、単独では必ず限界が訪れます。
ここにきたら別の複雑系概念や直感力などが当面の道具として必要になる。
(両界曼荼羅的掌握?)

そのずっとシュヴァルツシルト面を越えた向こうに「悟り」があるのかな。

だからカルマがどうだとあまり知った顔で語り過ぎると胡散臭く見える訳ですね。
(私もか)

いや、推測です、私もまだまだ全然分かってない。

都合の良い カルマ受けました

>でも税金で生きているなら、カルマを受けているわけですよね?
心の問題では?

その人税金で生きてるの?
生活保護の人だとしたらとんでもないですね。
もらうものはしっかりもらって他人には与えない。
でも都合の良い言い訳がその人なりにあるんでしょ。そこまで自分を守ってどうすんのかね。
Xさんて生活保護の人ではないんじゃない?

引き寄せはいいかもね

引き寄せの法則を使うのはいいかも知れないですね。

でもたぶん、こういいます。
「自分が悪いから、外に出ると引き寄せてしまって気分が悪くなる」

要するに、働きたくない、出たくない。

オウムだとそれをカルマでごまかす。
一般だと他の理由にする。

それを批判しても仕方ないのだが、、、
よくあるひきこもりですが、

これが脱会していなくてもあり、脱会してもあり、
中でバリバリやってた人でも外ではカルマ悪いから働きたくないと名言する幹部もいるし、
結局、やりたくないことはやりたくないわけで、
働きたい人は働きたいから働くので、

まあ、どっちもどっちだし。。。
引き寄せたいものを引き寄せてるだけで、、それで生活保護でも仕方ないかなぁ。。
生活保護もちゃんと更生できるシステムとはいえないから、楽しいとはとても思えんが。

わかってねーな相変わらずw

「ある」「ない」の話じゃないでしょうが。
「そんなもの存在するわけないのに、あると思ってるお前らが間違ってる」
って議論じゃないでしょ。

「あってもいいし感じるのも勝手だがそれに逃げるなよ、そんなんじゃあ何もできんぞ。
自分達で言ってる『衆生の救済』すらできるわけがなかろうが」ってことじゃん。

追記
あー、一個上削除しよった。

篠澤教授に三千点さん

ごめんなさい、論点ズラしちゃったこと自覚しております<(_ _)>

>もし、堕胎のカルマのある女性とお付き合いをしたとしたら、
>カルマの授受はあるのか?
>なんて、考えると怖くなります。

お水業界、指のない人だらけになるでしょう。
オウム死刑囚とお付き合いをしたら、両手両足の指すべてなくなるかもしれません。


>表層意識によって潜在意識を抑圧した段階、

これは、サマナの皆さん、

>潜在意識が解放され善悪の区別がなくなり煩悩だけになった段階、

これは、麻原サン。

>その人税金で生きてるの?
>もらうものはしっかりもらって他人には与えない。
>でも都合の良い言い訳がその人なりにあるんでしょ。そこまで自分を守ってどうすんのかね。

これも麻原サン。麻原サンのコピーとか、クローンとか。

就職浪人や受験生は、首を切られそうで切られない、落ちにくい教祖のウン○でつくったお守りをもらうとよいでしょう。


>教団の原理主義者達には、彼らを救うことはできない。恐らく加害者であることすら、気づいていないだろう。原理主義者の信仰心と、不良サマナの疑念は、表裏一体。

モラル・ハラスメントと言うのでしょう。

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加害者であるとともに自分も被害者であるという事に気づいていない。自己正当化という安楽な毛布にくるまって自分の身の回りで引き起こされたことが認識できずに自分たちが引き起こし続けている罪ですら認識出来ない。
これほど長期におよんでいる以上、病としては症状が固定されているとしかいえないんだよね。

自分は悪くない、自分は被害者ではない。転生の先には立派な事をしていたと認識される。妄想の中での自己正当化、現生ですら夢うつつの中で、その現生から夢見る世界での栄光を欲しがる。今を生きているという事の意味を見失っている。

そんなの生きているとはいえないんだよね。

みずからの罪を認識し真摯に向かい合う。物理学などを引用するようなすっとっんきょうな情報通貨概念をふりかさざす、物理でいう並行宇宙っていうのはね銀河ほどの情報をもつ巨大さ、素粒子並のミクロな情報系の中で仮設されるものなんだよね。宇宙にとって人間のしねんなんかどうでもいい事だし、それに私たちは触れる事もできないんだよ。

基礎理念すら理解せずに適当に聞きかじった言葉で自己正当化おこなう。その場で自分が正当化できれば、その場でぬくぬくしているつもりになる。けれども、寒さも凍えもしっかり心も体もつたわっている。

いつか最後の時を迎える時、きっと自分は他者や人を苦しめたという自覚がうまれるのだろうとおもう。けれども、その瞬間は永遠と続く。
それが無限地獄なんだろうね。

体が動かなくなる

「体が動かなくなる」「大きな音に過敏になる」「世間の動きに関心がない」
典型的な心身症だね。どこの産業医でも、そう診断するだろう。
こまったことにオームの人々はそれを苦痛として受け取らずに自己正当化なさる。
すこしでもそういう症状があるならば症状が悪化するまえに診察を受けるべきだとおもう。

はい

それも我々全ての実在の本質、エゴの本質と翻訳してみれば正しい。
私は受け入れますよ、ある意味。

なにを他の人に

何を他の人に残すか、ゆめうつろげな世界の中で実存として生きるもののが唯一確実な転生ではないだろうか。あたりまえの幸福を感じられる社会を作る。人の心に伝わるものであり、多くの人が共感もする。
「人に迷惑をかけない」「人を許す」
そうしたものが人に伝わっていけば、それはエゴではなくなるんだよね。
そのために現世であがくんだし、人の幸福そうな顔を見て、その幸福が自分の事のように感じられるんじゃないだろうか。

お題目

>「ある」「ない」の話じゃないでしょうが。(篠澤教授に三千点氏)
うん、そうかもしれない賛成。
聖者ぼんちリンポチェ 氏の考えも、その意気や好し!だ
でも、話には広がりや順序ってものがあるし、もうちょっと「ある」「ない」にこだわってみてもいいのではないか

>あれは便宜上の理解し易いよう仕立てた説明の仕方であって。私は実際はカルマというのは完全に内的データ的ではないかなと思ってます。自・他のカルマがエネルギーとして外的に振舞っているように見えるだけの話。(夢野氏)

いきつくところ、これが本当の答えではないかな
プラーナが起こすといわれる殆どの現象は、心理学的にも説明が可能であるといいます
すべての催眠は、自己催眠の変化でして、他人の干渉とはじつはあってないようなものですね
もちろんみなさんご存知のことでしょうが、、催眠術はコンピュータでかけることもできます
気功治療をプラシボ効果ととらえるなら、コンピュータで気功治療が可能だということです

納得・・・

苫米地抜きの話題だと
いにしえの秘薬もいいこと言うよね。

逆に・・・

抜きと言うよりバリバリDr.Tなんちゃって信仰を演出してますよね、秘薬さん。
いんじゃない? みんなで楽しく踊ってるんだから燃料投下は大切。

hayanoさんすげえ、よくわかったね

うむ

ベチっちはパフォーマーですねか。
当て馬みたいにギャグとして演じてるだけかも。

そういや仏教は物心2元論だ

心を治せば病が治る、的な考えは極論ですよねやっぱり。

カルマうけ病の人に聞いたのですが、オウムに入る前からカルマうけ病でしたよ。
要するに霊媒体質。

アサハラ信仰で病気になったわけでないし、アサハラ信仰やめていたときもあってそのときも病気は進行したし。
アサハラ続けて元気な人もいるし、やめて病気の人もいるし、その逆もあるし、まったく関係なくても病気になるし。

原始仏教はそういや「すべては心の現われ」ではなく、心と身体は別というスタンスで、身体はいづれ病んで死ぬがそれに心が捉われないようにするのが目的で、
釈尊も老いて病気になって死んだしね。
それに12縁起では生から死までは来世に影響をするが今生は過去の業に左右されるので、今生心が成長しても重たい病気になるケースもあるわけだ。

だからまあ、病気を心や信仰のゆがみに結びつけるのはちょいと極論かな。


なるほどそうかもですね、

どちらかというと極論に走りがちな私にはありがたい解説です。

尊敬します

youmybestfrend氏、興味深いこというねえ、拍手。
あさはら式仏教では本来、関係性とは、こちらが干渉するかぎり、干渉を受ける、ということで、それは裏をかえせば、干渉しなければ、干渉も受けない、という性質のものらしいね
肉体と心は本来別のものであるはずのものが、現実的には、あたかも同体であるかのように、影響をうけあっている、このことは、すべては心の現われ、としても間違いじゃあないってことにしてくれると思う
あなたのいう原始仏教の考え、というのも、これに近いんぢゃあないかね
前にも言ったことがあるけれど
この世界は、一体であるとの錯覚でなりたっている世界なわけだし、興味深いとは思うけれど
苫米地信者としては、それでも脳と心は同じもの、という結論です

秘薬さん、一緒としても別としてもいいんですが、原始仏教での考え方は、対機、世俗で生きている以上、世俗の法で生き、内面部分は内面の法で生きるということだと理解しています。少なくとも一切空や唯識でのみ生きるのはバランスが悪いということです。まあ中観にも通じますが、原始仏教の場合には空を定義する必要性を感じないので定義をしてないというところです。
私もワークス一応卒業してますよ。べっちぃセンセイの理論は参考になります。
センセイの理論では原始仏教と中観は同じ、アビダンマで考えても同じともいえます。
ただし、説き方の軸が真逆。
これに気づくと大乗仏教と原始仏教の違いがよくわかります。

クラス経験者の方ですか
彼ほど頭の良い人のお話は、一見分かりやすくても、なかなか本音が伝わってこないですね
ところで、youmybestfriend氏自身は、結局自我は存在すると思いますか?




自我はあるなしの問題ではないと思いますが。。。原始仏教では人間の視点をまず軸に展開しますから、ある、でしょうね。でもそれは時間軸と空間軸をどこに設定するかによるというか。。。ある、から出発して、阿羅漢にいたるまでそれは、ある、ってことでしょうかね。でも、自我は無常です。心とその成分は対象を認識するごとに変わりますし。無常だから無我。よって自我はない。

そこは、

言葉の定義が難しいですね。
仏典でも部派によって様々な定義が為されてきた。
それ以上は意味が飽和・拡散しますから当然です。
あなたはいる?・いない?
ちゃんといるでしょ、少なくとも何らかの内・外の観察経験は出来ている、起こっている。
どうあれそれ自体が神秘的で奇跡的なことじゃないでしょうか。
それが一つのヒント的な答えでしょうか。

あのーこのえらそうなキャラはあくまで演出ですあしからず本とは何も分かってない馬鹿です冗談ということで

それは、苫米地論の踏襲であって
あなたの考えではないのではありませんか?

>自我はあるなしの問題ではないと思いますが。。。
いやいやー
苫米地流で自我と称される、実在するともいえるし、しないともいえる自我、とは別の、本当はこれこそが自我と言える確固たる存在はは実在しないのか?という議論はありですよ。
ここで、あると捉えるのが、仏教以前のインド土着のバラモン教であったり、アサハラ流を筆頭(?)に一部の密教であったりすると思いますし、実際のところそんなかっこたる自我はどこにも存在しないとしているのが、苫米地流他主流でしょう
これは苫米地流とアサハラ流の唯一(?)の違いであるように私には思え、この点に関するお話はとても大事なのではないかな、と思ってきました、オウム流仏教を完全に叩き潰すためにも(失礼)。
わたしだって、その、確固たる自我、の存在を信じることが、争いを生んできた根本原因であろうことは、分かっているつもりだけども、根拠なしに否定していいことなど何もないわけだし。


素?

原始仏教が対機的なら、わたしは、対局的なのです
機会に応じて変ずるどころか、その機会のなかにあっても、その局面に応じて煙に巻きます(だめじゃん)

わたしは、教えてほしいのであって、教えるなどとおこがましいことを考えているわけではありません
hayano氏は真我は実在派?幻派?
その根拠とともにどうぞお教えください



べっちぃセンセイも何も、原始仏教では無我前提だし、、、オウムは真我でしょ? これはサンキャ哲学から来てるのかな。仏教は真我は説かない。べっちぃセンセイは基本中観でしょうね。だから無我。大乗仏教でも基本無我だ。

 無我は自我の否定、もう一つは実体の否定を表すように聞いてます。それと仏教(中観)は基本的に形而下学なんで真我みたく体験不能なものを保留したかも
 Aでいう真我は魂に近いですね、正確な論理が見当たらない。もとより真我は体験できないからA修行で真我につながるのは至難でしょう

 ヘルメス学では「全」と呼ばれ、C・ウィルソンも真我に当たる概念をヒトの虚無を防ぐミームとして注目。自分は無我と真我を、とくに矛盾するとは考えなくなってきました
 さしずめ真我≒命ですか

>真我有無?

私に宗教のことを聞かれても解りませんです。昔も今もこれからも、信者経験無いから。

無我真我は矛盾しないですね。説き方の違いだけ。原始仏教的には常に人間の見方を軸にしてるもんで規定しても意味ないやんっていうことで、この軸がころころ変わるようだとわけわからん状態にはなる。

証明できない、ということが証明できる世界とはこれいかに

べっちい他主流派では、無我、オウム流では非我という論はもう聞き飽きた感じでしょうか?
オウム流では、我は無い、は解釈の間違いで、我に非ず、真の我ではないとするのが正しいとします
私はだあれ?肉体?記憶情報?、そんなものに実体は無いじゃないだから我
ってのは最初から無いようなもんだよ
私はだあれ?肉体?記憶情報?そんなものには実体は無いじゃないそれは私ではなくて、私は、ちゃんと実態をともなって心臓に宿っているよ、の違いかな
お釈迦様の生前はその教えが文字にされることは無かった、というのが一般論ですが、オウム流ではこれも否定、生の声の記録としての経典を翻訳するという立場でした
その経典の解釈も独特
一生懸命経典翻訳していたようですが、彼らが調べた範囲では、非我と解釈しても矛盾はなかったということなんでしょう
なんとしても、論破したい部分です

オウムの仏教の最大の誤っている部分は、論(アビダンマ)が欠落しているところです。(というかそれ以前に真島事件が起きてるからアビダンマがあったら困るわけよね。)
根源仏典はなかなか良いのですが、いかんせんアビダンマの軸がなくパーリ語の動的なニュアンスがなかなか伝わらないので誤解釈は生まれやすいですよね。それでもさすがにアサハラの静かな波動は伝わりますがね。(波動がすばらしくよいのと同時に極悪事件を起こしているというのが、もっと世に伝わらないものか。。。)

ひかりになってやっと唯識を取り上げましたがそれもアビダンマがない状態での取り上げ方なので中途半端。
アビダンマの一部が倶舎論や唯識として発展したと見るのが妥当だと思いますし、日本の坊さんも大概これは押さえてますよきっと。

これがないと都合のよい解釈がまかりとおってしまうので、論破したいのであればアビダンマが必須でしょう。
南伝と北伝では若干差異があるようです。八正道も南伝と北伝では差異があります。
南伝ならば水野弘元先生の「アビダンマッタサンガハ」は必須。北伝のアビダルマは何がいいでしょうかね。

 仏典はあまり知らないですがA教義における「縁起」の意味が特殊すぎて、愕いたことはあります。団体は仏典を信じないのかと思いそうになった(笑
 重複しますがAの真我説は以下の2点で検討の余地がある。1、真我は多だとする錯覚。この影響で真我(仏性)に遠い・近い、優劣などの差別意識が生まれやすい。ライプニッツのディレンマと同じで神(シヴァ)との距離感も出てきますね。2、真我を主体とは気づいてない処。客体化(体験)できるみたいに思うと魔境のリスクが大きすぎる
 長くなるので、詳細は機会を改めて

youmybestfriend氏、個人的には、オウムには論も経もあったと思います

とても興味深いのですが、できれば、非我無我のお話をもうすこしししていたいです
とくに苫米地氏のクラス経験者の方ならわかっていただけると思いますが、本に書いていることが、苫米地氏の本音とはかぎらないと思います
彼もきっと、彼の論を妄信することを望んではいないと思うし、なぜ彼の説が正しいか、なぜ彼の説にひかれるのか、含めて、無我論を支持する、非我論を支持しない、
そのほかのご主張の、おのおののかたのそう思う根拠をお聞かせねがいたいです
ぜひ、難しいことでなくともいいんです、自由なご意見をどうか、たのしみにまっています


オウムの論はあまりに大雑把で少なくとも仏教の論としては??ですね。概念として捉えたら論ではなくなってしまう。少なくとも阿羅漢以上のステージの者が救済のために降誕するというのは論理としてありえない。菩薩ならありえますが菩薩は凡夫なんですよ仏教論理では。

べっちぃセンセイの本は数冊くらいしか読んでません。本の内容は一般向けで簡単にしか書かれてないですよね。
賢いので簡単な言葉で真ん中省かれてるようですが、中観とアビダンマを勉強しつつ考えるとナルホド!と思える部分は多分にあります。

未来から今、今から過去を観る、というのは、刹那生滅と同じ。
最高に広い未来をイメージしてゴール設定するっていうのは、言い方を変えればいつでも死を考えるのと同じ。
やり方としたらチベット仏教などのイメージを使った冥想の現代版といいますか。
これは大乗仏教的ですが、上座部ではやりません。これだと集中はできるが観察はできないから。ただ、ゴールから現在までを詳細に見ていくのならば観察とも共通するかな、という気もします。

脳機能学者なんて、そんな学問ないわけでエセといわれますが、脳機能の分析ってアビダンマに類似です。
ただし、心は物質に宿るけど宿っているだけだというのが仏教ですから、ここは違うかな。

非我無我はどちらの説き方を選択するか、ですよね。

正直、これにあまりこだわっても。。。どっちでもいいと思ってますが。。。上座の長老もこれに関してはクダラネーって感じで論議はしないですよ。

無我って言葉にした時点で誤解が生じる気もする。

ニルヴァーナだってパーリ語のnibbanaは吹き消えるという意味です。ニルヴァーナという世界があるわけではない。この語感から来るニュアンスの違いは大きいです。

インド文化圏の言語って動詞形が主。漢語文化圏は名詞形。この語感の違いはでかい。法輪って固定した輪、じゃないですよねあれはおそらくは。動きがあるだろうし、向きを変えたらたぶん波ではないかと。

般若心経ロック

>なんとしても、論破したい部分です

オウム信者から勧誘があったら、

「教祖の人はどこにお住まいですか」
「布施はどのように使われますか」
「地下鉄サリン事件の被害者数を知っていますか」

これで答えに窮するはず。論破できます。
さらにストーカー勧誘してきたら、
手かざしとかお祈りをしてあげましょうと言う。
カルマを受けて大破するでしょうw


>なぜ彼の説が正しいか、なぜ彼の説にひかれるのか、

「うみねこ」や「ひぐらし」が人気があるのと同じ。
荒唐無稽な謎に人はとり憑かれるのです。
ギャンブルに大金をはたくのと同じ。当たった瞬間の快楽がすべて。


で、無我も彼我も非我も真我も大我も実我も仮我も
http://www.youtube.com/watch?v=3CcIH7oxBP4
http://www.youtube.com/watch?v=CqObdToAn8U&feature=related
みんなで踊ればいいと思うよ。我を忘れて。

>上座の長老もこれに関してはクダラネーって感じで論議はしないですよ。
くだらないのは、数学的に点が存在するといえるか、という論であって、自我が数学上の点
と同じような存在なのか、ということについては、別
極めて盛んに議論されてきた歴史があるようですよ
平行線のようなので、このくらいでやめておきましょう
実に楽しい時間でした、ありがとう

>菩薩ならありえますが菩薩は凡夫なんですよ仏教論理では
苫米地氏の説もそれに近いかもですかね、苫米地流般若心経説で菩薩の定義について言及してらした
ただ、たとえば地蔵菩薩が凡夫であれば、地獄に赴いてまで、亡者を救おうとはしないのではないかな、だから凡夫とするご説は疑問、苫米地氏も凡夫とまではおっしゃってなかったと記憶しています、この場合凡夫とは、仏教の修行をしていない普通の人、位の感じですか
オウム流では、菩薩を、到達真智運命魂と珍訳、あ、失礼、新訳
この発想の背景には、オウム流仏教の、すべての魂はニルヴァーナへといたるが、すべての魂が真智を得るわけではない、という説とつながりがありそうです
他の苦悩を背負う修行によって、真智に到達する、という概念があり
修行して、自分だけ天国に行ければいいやと考えるか、他の人もいっしょにと考えるか、の一点で菩薩(真智に到達する魂)かそうでないかが決まるということのようですね
他人の苦悩を取り除こうと志向する修行者全般のことを菩薩とよび、
アラハンのほうが偉い、という言い方とかは、この場合できないということになりますね



阿羅漢は悟った心、と定義したほうがよいのかなぁ。。と思ってます。
阿羅漢と菩薩は全く違うものを定義しているので比較自体ができないですねぇ。。
菩薩は釈迦の前生のひとつの寓話で、ひとつの悟りもせずに10の波羅密を続けたという、この10の波羅密を説くための道具として菩薩が出てきたのかなと。まあ他にも弥勒のことが出てくるお経がありますが、心の定義としては出てこないですねぇ。。アビダンマにも出てこない。仏陀は尊称だから出てこないのは当然ですが。
阿羅漢道、菩薩道といいますが、悟りを目指す阿羅漢道と善行の菩薩道、大乗も上座も両方あるのが普通だし。

>長くなるので、詳細は機会を改めて(夢野氏)
楽しみです

>阿羅漢は悟った心、と定義したほうがよいのかなぁ。。と思ってます。(youmybestfriend氏)
なるほど、わかります

野田さん2ちゃんにひどい方がいます。

野田さんとわたしは野田さんを通し困った人の役に立つような
わたしの精神的利益を願った関係でその関係は壊れていないのに
わたしをキチガイストーカーと叫び続ける人がいます。
あちこちに書かれて困ります。
野田さんと親しいふりをしていますよ。
しかもわたしは野田さんに電話してないですよね。(7ヶ月前にたった数回程度)
その後全く電話をしていません。
野田さんの家の周辺にも行ってないですよね。(昨年7月に一度ですね)
ストーカーとは持続的に電話や自宅周辺をうろつき
観察したりする人のことをいうのでしょう?
おそらくキチガイ発言をする方は元オウムの方だと思いますので
かなりの病を今だに引きずっているのでしょうか。
かなり重症な例だと思われます。
知らない方に嘘つきといわれるほどのストーカー行為をわたしは
していませんよね。
あのような方がいるのでネットに出ないようにとおっしゃったのは
よく理解できました。
しかしわたしもきちんと書いておかなければと思いました。
嫌がらせはよくない行為だと思います。
野田さんと個人的なトラブルがあれば直接謝っていますし
粘着して誹謗中傷をいわれる必要はないです。
はっきり書かせて頂きましてありがとうございます。

勝手にお久しぶり

要するに、合成によって、臨場感が高まることをゲシュタルトの形成と呼ぶのだ
両の目から、違った角度から同じものを見た映像を同時に見ると立体的に見える、マジカルアイなんていって一時期はやったけれど、これもゲシュタルトの形成
合成によって高まった臨場感を、きわめてお手軽に体験させてくれる
これは視角についてのみいえるわけではない、認識全般に普遍的にながれる癖のようなもので、聴覚にだってゲシュタルトによって立体的に聴くしくみが存在するし
じつは、、、記憶の合成によって、単なる記憶の集まりに過ぎない情報空間の臨場感を、物理空間に感じるのと同じ程度まで高めることもできる
ノーベル賞もの

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