弁解の余談
ところで、Sさんの賃料請求に、当方は出向いて相手の事情を聞きだして対応をした。これは一般的に金の回収だけを目的にするならば、やらないほうがいいかもしれない。というのは、相手の事情を知ってしまうと、取立てがやりにくくなるからだ。
つまり取立てする側の論理として、「借りた金は返すべし、返さないのが悪い」で、ひたすら押し通すのが良い。その正義の論理一つで、相手の言い分を聞かない方がいいだろう。相手の言い分を聞いてしまうと、どこかで情が移ってしまい、振り上げた拳をおろせなくなる。このSさんの場合も、事情を深く知ることで、当初のこちら側の正論が崩れてしまったわけだ。拳を振り上げたはいいものの、どこかバツが悪くなってしまう、あるいは「これは悪」と決め付けられないナイマゼな感情がでる。
ここは当方の重要な主張の一つである。各個人の中の固定化された正義と悪を、一旦混ぜ合わせてリセットせよ、ということである。その上で、当初できていた善悪の構図(この場合は賃料不払い)を、どのように解決するかというメタ思考をやるのだ。全ての人がこれができれば、地球上の争いは激減するだろう。
しかし人間そう簡単には行かない。自らの正義に固執し対象を悪の側に固定するのが普通だ。
非常に触れづらい問題ではあるが、オウム関係者の事件被害者への謝罪に触れる。上祐氏らひかりの輪の方では、謝罪の意を示すために、直接被害者との面会を求めているようだ。が、河野さん以外はうまくいっている様子はない。数年前だが私自身も、被害者の関係者からこう言われた事がある。
「あなた方(オウムの被告人・受刑者や上祐など)から反省や総括を色々聞いたけど、どれも伝わってくるものが無いんだよ。」
この方によると、林郁夫受刑者も同じだったとのこと。林郁夫受刑者は、裁判で泣きじゃくり教祖をボロクソに批判して、謝罪の意を示した。正直彼の謝罪でも駄目となると、もう人間辞めるしかないのではないか。
我々オウム関係者の謝罪が不十分だと言ってしまえばそれまでだ。しかし、不遜ながら当方には、被害者側が謝罪を認められない・受け入れることができないと固執する種々の理由があると推測する。簡単に要約すると、事件前の比較的幸福な人生と事件後の比較的不幸な人生、謝罪を受け入れることによってその人生の意味・意義を否定することになりかねない。更には、社会・国家としてのテロとの闘いの象徴的存在となっている以上、テロを起こしたオウムには拳を振り上げ続けなければならない。その価値観からすれば、常にオウムは悪であり、謝罪も反省も、いや接触すらも受け入れ難いということになる。
ところで最近、オウム側もこれにささやかな逆襲を試みている。既出だが、アーレフ本体が、被害者側弁護団の発言に対して「弁護士の徹底的な謝罪がない限り賠償契約を結ばない」としたことだ。弁護士が被害者集会において、「アーレフは賠償する気が無い」旨発言したことに因縁をつけているわけだ。アーレフの本音としては、契約で毎年の賠償額を縛られたくない、というものだ。よって、弁護士に謝られては困るし、仮に謝罪されても謝罪として認められない。
被害者がオウムの謝罪を拒否するのと、オウムが被害者側弁護士の謝罪を拒否する問題。問題としては前者の方が遥かに深刻だ。が、当方にはこれは裏表の関係で連動しているようにも思える。アーレフ側も、社会的圧力を免れるために、一定額は賠償していく用意はあるだろう。ひかりの輪側は、当初年間最低300万目標800万で契約した。仮にこの5倍としても、最低1500万目標4000万。黙っていても1500は賠償するのではないか?
アーレフ側は、弁護士が鬼のような取立てをするのではないか、という妄想は捨てた方がいい。少なくとも宇都宮弁護士は、弱者の立場をよく理解されているし、(公言していいのか分からないが)私含めた信者の生活を気遣ってくださったこともある。弁護士側も「賠償する気がない」というのは間違いだったと認めても良いのではないか。弁護士は「発言は間違いだった。アーレフが真剣に事件のことを反省謝罪するつもりがない、という趣旨だった。現にあなたがたは麻原信仰を捨てていないし。」といえばいい。そうすれば、アーレフ側は反論できない。
賠償そのものは、双方にとって利益がある。双方の価値観のこだわりを捨てれば、物事はスムーズに進む。7月にも話し合いがあったようだが、どうなっただろうか。
さて、Sさんの連帯債務の解決方法だが… 。
(つづく)
コメント
最初に読んで目についた箇所
これを行なって双方冷静な判断ができた上での話し合いは意義あるものになると思います。
わたし自身も意識して行きたいと思いました。
白黒
教団内で主体的に表立ってオピニオンを掲げている人を知りません。中の人で、教団そのものがどのような意思を持って何処へ向かっているか知っている人はどれくらい居るんでしょうね?この教団は誰のもの、誰の責任で動いているのでしょうね?中に居る人間ですけど、どうにもわからないし、どうにもできない。
悪が悪でなくなってしまえば、正義も立場を失ってしまいますね。
両者、オセロ石のように相互依存のアイデンティティを共有している一体のものですね。
「これが正義だ」と宣言すれば、悪が確定する。
逆に「これが悪だ」と宣言すれば、正義が確立する。
戦いのモチベーション確立の構造ですね。
これも、訴訟好きの家族の指示なんじゃないの?って思えますが、どうなんでしょ。
反省する気がないって言われたら、いや、ありますよって契約したあとで、それはそれとして今度は弁護士にきちんと文句をいえばいいだけなのに、いちいちこうゆうくだらないこじつけで人のせいにして払わない時期を延ばしたって微々たるもんでしょ。
面倒ばっか起こして馬鹿みたいなんですよね。
やっぱり払いたくないからゴネてるだけでしょ?
そんなことをしているので、逆にひかりの輪がどんどん善人に見えてくるんだよね~w
gdgd
>面倒ばっか起こして馬鹿みたいなんですよね。
>やっぱり払いたくないからゴネてるだけでしょ?
こんなにグダグダなのは変ですね。
なので、よけいにわからない…
内部で方針がまとまらないんでしょうか?
大師のみ足のもとに から
って どういう意味よ!
普段の生活に
よく起る
小さな欲望にも
また
注意する必要が在ります
人の目に付こうとしたり
賢く見せようと
するのは
欲望なのです
また
何か話したい
何か書きたい
何か表現したい
…
と思うときも
大抵は
ちっぽけな
我の
欲望でしょう
言おう
書こう
表現しよう
…
とすることが
真実で
親切で
役に立つ事だ
と
確信が持て無い
のなら
何も
表現し無いのが
今のあなたには
良いかも知れません
あなたが
表現しようとしていることが
上の三つの条件を
備えているかどうか
を
表現する前に
よく考えてみましょう
そうでない事だったら
表現し無いのが
いいかも知れません
from
「大師のみ足のもとに」アルキュオーネ:アルシオン:(クリシュナムルティ)
実は、私は以前、烏山の地域住民団体の幹部の方と非常に親しい間柄になったことがありまして、その際、「実は、そろそろ解散したいと考えているのだが、辞めるに辞められない方が何名かおり、頭が痛い」と仰っていました。
公安の方や、警察の方を駐在させても、そんなのは完全に税金の無駄遣いであると、地域住民の方で仰っている方が何名もいました。
>さて、Sさんの連帯債務の解決方法だが… 。
さあ!今こそ公開して下さい!
なぞなぞを出されて、答えが分からないと、夜も眠れないタイプなんで!!!