元オウム教団幹部 野田成人のブログ

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 昔は悪徳とみなされていた金貸しが、現代は当たり前の時代になっている。というより資本主義に無くてはならない存在なのだ。これは昔悪だったものが、善に入れ替わった例かもしれない。それで資本主義は、発展してきたのだから、善ってことか。しかしそれも行きすぎると悪になる。

 現代では株式・債権・通貨取引で流れるお金は、実体経済の規模を何倍も上回る。実体経済ってのは、実生活の消費財など実需に基づく製造生産なんかだ。真面目にコツコツ物を作って頑張っても、金融市場次第でたちまち努力が水泡に帰すこともある。日本だったら円高になれば、作った物が海外で売れなくなる。円高不況の可能性だ。元々経済を発展させる為の手段に過ぎなかった金融が、今はメインになっている。製造業そのものを脅かす位、ハバをきかせてしまったわけだ。

 金持ちセレブは、あくせく働かないで金融資産を株や債権に投資する。多少冷や汗は流すかも知れないけれど、こういうのは貧乏人からすればやっかみの対象かも。「自分で働かない金貸しと保険屋は嫌いだ!」って人も見かける。真面目に働いているのが馬鹿らしくなるからね。

 金融というのは、現実の色んな仕事に関わってきている。何か新たな仕事をするにも、銀行経由で金持ちからお金を借りなきゃいけない。例えばビルを建てるとして、労働者が工事現場で働いているとしよう。土地や完成したビルを担保にしてお金を借りているなら、金利を支払わなければならない。金利分の支払いは、労働者がもうらう工事現場の賃金と同じ支払いだ。金利がなければ労働者の賃金は増えるはずだろうに、働かない金貸しに上前はねられたみたいなもんだ。こうやって金持ちは働かずして、一般労働者の上前をはねる。勿論、金貸して返ってこないリスクも負っているんだけどね。昔は悪徳商売だったから、金貸しユダヤ人には、返済踏み倒しだけじゃすまなかった。返済求めて提訴したユダヤ人の財産が逆に取り上げられたり、リンチの逆襲を受けたりした位なのだ。でも今は彼らの天下だな。

 金持ちは、大体資産を株や債権にして貯め込んでます。その方が利息がつくからですね。でも仏教の概念からすると、「お金持ちが貧しい者に布施するのは当たり前」なのだ。まあここまで言い切るのは違和感があるかも知れない。でも「金は天下の回りもの」「宵越しの金は持たない」ともいいますよね。経済本来の意味からしても、お金を貯め込んでしまうと社会の潤滑油としての意味合いが無くなってしまう。奉仕をしてもらった時に、感謝を表す手段としてのお金っていう考えです。貯め込んでしまうと、無用の長物と化してしまうかもよ。これを聖書と仏典の話で考えてみる。

 いきなり聖書の話でモードが変わります。旧約聖書の出エジプト記。ユダヤ人が預言者モーセに引き連れられて、エジプトを脱出した時の話です。何十日も荒野を歩いて旅したわけですが、彼らの食料は天から降ってきた「マナ」。彼らの神「ヤハウェ」が、必要な分だけ毎日与えたって話らしい。

 朝になると地表に雪みたいに「マナ」が積もってたらしい。それを毎日必要な分だけ取っておくようにという話だった。余分にとって翌日に残しておいた分には、腐ってウジがわいてしまい、モーセに怒られてしまう。しかし安息日は、神様もお休みらしいので、その前日に二日分だけ取っておくことが許された。その場合は、翌日になっても腐ることはなかったらしい。要は、必要な分だけ取っておくのは良いけど、それ以上蓄えてもマイナスってことね。

 仏典にも似たような話があります。「創世期経」に出てくる内容で、これは人間界じゃなくて魂が天界からどんどん落ちてくる時の話。

 天界において住人は、耕さないで生えてくる米を朝夕必要に応じて取って食べていた。しかしその中で怠惰な住人が出てきて、「朝夕二回取りに行くのは面倒くさい」と考えた。彼は朝取りに行く時に、夕方の分も取って蓄えることにした。するとその様子を見た別の怠惰な住人はこう考えた。「毎日取りに行くのは面倒くさい。ならば2日分一遍にとって蓄えておこう。」こうして2日分取って蓄えるようになった。更にこれを見て、4日分、8日分と蓄える住人が出てきた。これが貯蓄の始まりという訳なのだ。

 しかしこの貯蓄をした怠惰な住人はどうなったのかというと、なんと人間界に落ちてしまったんだな。人間界に落ちると、今度は米を自分で耕さなければならなくなったんだ。怠惰になって蓄えたが為に、堕落して働かざるを得なくなったってことだな。

 両方とも現代人にはおとぎ話みたいに聞こえるかも知れない。しかし私は現実的に、今の金融システムでそういうことも起こり得ると考えてます。それはまた続きで。

http://www.nunochu.com/bible/02_exodus/exo16.html

コメント


!!!!!

やっぱり一番おもしろいのは、教義についての話題ですね。

この文章の「金持ち」の部分は、「サマナ」や「松本家」に置き換えられるのではないでしょうか?

>こうやって金持ちは働かずして、一般労働者の上前をはねる。
                 ↓
 こうやってサマナは働かずして、一般信者の上前をはねる。

>「お金持ちが貧しい者に布施するのは当たり前」なのだ。
                 ↓
 「松本家が貧しい者に布施するのは当たり前」なのだ。

>「自分で働かない金貸しと保険屋は嫌いだ!」
             ↓
 「自分で働かないサマナと松本家は嫌いだ!」

>金持ちは、大体資産を株や債権にして貯め込んでます。
                ↓
 麻原彰晃尊師は、大体資産をサリンやLSDにして貯め込んでます。

そして最後に野田さん。
あなたもそろそろ脱会してもいい頃ではないでしょうか?

気分を害したらごめんなさい。
でも、あなたには金がどうこう言う資格はありませんよ。
いちど瞑想してゆっくり考えてみて下さい。

I Am

名無しさんはユダヤの神様のようだ
名前が無いからI am who I am.

それは置いといて、

ものを言う資格って、そんなに簡単に奪っていいものなのかな?
正悟師の発言権を奪っていった人々にこそ問いたい
この人こそ、この人のみ発言するべきだ、とお墨付きを与えるのは、(少なくとも教団内で)誰かいるのかな?その人は偉い人にちがいない。
もの言わぬ世界のなんと静かなことか。

当人が権威者でなくても、権威を背景にすれば、とんでもないことも平気でやってしまうのが人間。そして宗教の落とし穴。自己責任の黙殺とエゴ追求の正当化がむくむくと動き出す...
最近あった宗教団体絡みのリンチ殺人もそういう背景があったんじゃないかと。

雑感

>真面目にコツコツ物を作って頑張っても、金融市場次第でたちまち努力が水泡に帰すこともある。
>日本だったら円高になれば、作った物が海外で売れなくなる。円高不況の可能性だ。

日本側からだけ見ればそうかもしれませんが、他の外国だって同じ条件(為替差損が出てしまう可能性があるなど)であり、 「日本だったら円安になれば、作った物が海外で売りやすくなる。(円安好況の可能性)」 ということも考えれば、「金融市場=悪」とは必ずしもいえないと考えます。


>元々経済を発展させる為の手段に過ぎなかった金融が、今はメインになっている。

元々、金融業はあらゆる業種とかかわりを持つことができるインフラ的な業態であり、金融サービスそのものも、資金が不足しているので資金を調達したいという借り手と、資金余剰があって資金をうまく運用したいという貸し手(または出資者)のそれぞれのニーズを満たすことができるという極めて合理的なシステムです。 (リスク回避目的などでも使われますが) したがって、社会的に大規模かつ頻繁に金融サービスが使われることになり、当然、経済的にも大きな影響力を持つということになります。

以上を考えると、「元々経済を発展させる為の手段に過ぎなかった金融」という見方は、金融が本来持つ重要な社会的役割とパワーを度外視した(または、金融を矮小化した)見方のように感じられます。


> 金持ちセレブは、あくせく働かないで金融資産を株や債権に投資する。
>多少冷や汗は流すかも知れないけれど、こういうのは貧乏人からすればやっかみの対象かも。
>「自分で働かない金貸しと保険屋は嫌いだ!」って人も見かける。真面目に働いているのが馬鹿らしくなるからね。

「金貸しや保険屋」業界であっても、実際には営業担当者・事務処理担当者など明らかに「真面目に働いている」という感じの部門の人がほとんどなわけで、「自分で働かない」というような見方は偏見でしかないでしょう。


>金持ちは、大体資産を株や債権にして貯め込んでます。
>・・・
>経済本来の意味からしても、お金を貯め込んでしまうと社会の潤滑油としての意味合いが無くなってしまう。

債券や株式の購入は、「現金・預金」という資産を「有価証券(株式や債券)」という資産に変えて、「現金・預金」を結果的に市場に流している(少なくとも一時的には)ことになるため、「お金を貯め込んでしまう」ということとは逆だと思います。


> しかしこの貯蓄をした怠惰な住人はどうなったのかというと、なんと人間界に落ちてしまったんだな。

ここは人間界ですから、貯蓄(財物の蓄え、金融資産の蓄えを含めて)なしには生きていくことが難しいということになるでしょう。

貯蓄に励んでもいいかな。

>天界において住人は、耕さないで生えてくる米を朝夕必要に応じて取って食べていた。

>しかしこの貯蓄をした怠惰な住人はどうなったのかというと、
>なんと人間界に落ちてしまったんだな。


その話と並行して、
sexし始めたことも載っています。
で、「不倫をなした」と非難した人は阿修羅界に落ち、やった当人は人間界へ落ちたと。

わたしはこの2つの話はリンクしていると思いますね。


現実問題として、貯蓄しないと生きていけないのが人間ですな。
お金がないと一番困るのが食べ物です。
もし、食欲がなくなったとしたら、貯蓄する必要はなくなりますな。
こうなるともう、その人は人間界のカルマが無くなってしまったと言えそうです。
その前に性欲を無くさないとね。

「マハーヤーナ」等で、成就者の体験談に性欲が消えた後、食欲に悩まされたとかいう記事がありました。
やはり、食欲がなければ、性欲もないということですな。

わたしもこうなりたいと思いますが、そうもいかないようで・・・。


>わたしもこうなりたいと思いますが、そうもいかないようで・・・。

食に関しては、食べるときの心の持ち方で、少しづつ変わってきますよ。私も10年ほど前と比べて明らかに少カロリーになりました。
やっぱり食の本質は苦しみ、供養の瞑想とかやっていると、ゆっくり変化していきました。
軽い断食はいいかもしれませんが、心のついていかない無理な食事制限は決してなさらないでください。

仕事するのは悪であるということ

実は正悟師とまったく逆の論理を耳にしたことがある私です。
ユダヤ人が金貸しをするのは、それが聖なる職業だと考えるからだ、というもの。
旧約聖書では、創造するのは創造主の特権であって、被創造物である人間は、自らなにかを創り出すなどという傲慢なことはしてはいけない、つまり、仕事をするのは悪である、
とされているので、そう考えられているのだ、というのです。
羊と穀物をささげたら、穀物つくったほうがおこられた、穀物は、人間が育てたもんだからだ、とかいう話があるそうで、、、。
こんなんどうですか、正悟師?

責任の所在

>羊と穀物をささげたら、穀物つくったほうがおこられた、穀物は、人間が育てたもんだからだ、とかいう話があるそうで、、、。

それはユダヤで主流となるものでしょうか?
ユダヤは狩猟民族でもないので、羊は世話して育てるものなので、穀物とたいして変わらないのですが。
聖書でも、創世記あたりで人間が汗水たらして仕事しなくてはならなくなったとありますから、悪いことというより、人間の根本的制約(原罪みたいなもの)からくる必要性にすぎないということですよね。
後付けの善悪規定と、おこられるという、その罰則は宗教的社会規範そのものです。

ダビデ由来の思想で、どのあたりからそうなったのか分かりませんが、中世近世ヨーロッパの支配的思想では、人間の創造力を悪魔的にとらえることが多かったですね。これは当時の支配構造に由来するものだと思います。

人間は限られた制約の中でベストを尽くす以外には無いといえますね。それを神様が否定するなら、後の責任は神様任せでいいでしょう。

VT正悟師もよく言ってた「わし、やるだけやったよね?」
正悟師が追いやられた今、後は教団のもっと偉い人が責任持つしかないです。

金貸しが聖なるもんだとか、悪だとかは、基準によって変わるもの。
誰がどういう基準つくって、どう評価しようと自由です。

仕事するのが悪であるということ

>それはユダヤで主流となるものでしょうか?
ちょっと誤解があるかもしれませんが、この話しは、有名な聖書のなかの逸話であるそうで、この二つの供物に対して、ユダヤの神様が言ったのが、仕事して作った供物などけしからん、的なことであるらしいのです。
もしかしたら僕の読んだ本がいい加減なものなのかもしれません、だれか聖書に詳しいひといたら解説ねがえませんか?

いらんはなしでした

僕が言いたかったのは、もともと、ユダヤ社会で、昔から、金貸しが悪徳とは考えられていなかったとすると、陰がきわまって陽に転じるように、悪徳が、善に転じたのだ、という話しじたい成り立ちませんね、ということだったんですが、まあ、いらん話でした。
話しの腰を折ってすいません。
続き期待しています。

せっかくご返事いただいたので

>金貸しが聖なるもんだとか、悪だとかは、基準によって変わるもの。
誰がどういう基準つくって、どう評価しようと自由です。

その基準が、ユダヤ人に関する限り、おおむね旧約聖書にじゅんずるといっていいわけでしょう?

ソース出して下さい

旧約聖書においても「あなたのところにいる貧しい者に金を貸すなら(中略)利息を取ってはならない」 (出エジプト記22:25)、あるいは「金銭の利息であれ、食物の利息であれ、すべて利息をつけて貸すことのできるものの利息を、あなたの同胞から取ってはならない」(申命記23:19)と記されています。

そもそも

イエス・キリストは実在せず、聖書は他宗教の混合物である、という考え方が存在しています。キリストがいなかったなら、勿論、ソロモンやダビデもいなかったんですね。
ユダヤ・キリスト教はでっち上げだったのです。いろいろ本が出ているので、興味のある人は参照されたし。

聖書を学ぶには「週刊聖書」がサイコ~!! 旧なあぷるの方々は皆さん素晴らしい!!

旧約聖書にこだわりすぎても・・・

>すべて利息をつけて貸すことのできるものの利息を、あなたの同胞から取ってはならない

以下のような「旧約聖書」の性質(異端者や異教徒を排除するような性質のこと)を考えると、「利息を、あなたの同胞から取ってはならない」というのは、あくまでも同じ思想を持つ同教徒からは、利息をとってはいけないという意味でしょう。
(異端者や異教徒から利息をとることは正当化されていると考えるのが自然)

現在の金融などがグローバルに展開している世界に、このような旧約聖書の考え方をそのまま適用してもかなり無理があると言わざるをえません。

=================================================================
旧約聖書に見る「同類殺し」
 
モーセの十戒には(人を)「殺してはならない」とあるのだが、
実際には旧約聖書には「同類殺し」(人殺し)の記述がたくさんある。

(中略)

・出エジプト記32章には、戒律に反して偶像崇拝を行ったイスラエルの民に対して、モーセは神の言葉として、「あなた方は、おのおの腰に剣を帯び、宿営の中を門から門へ行き巡って、おのおのその兄弟、その友、その隣人を殺せ」と告げ、この日3000人の民が同朋によって虐殺されている。

(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=137279 より)

=================================================================

あのねえ、教会の権力が強大になってきたから、聖書主義者、無神論者、そして啓蒙思想家たちが現代経済学の基盤を作ったの

ユダヤの人たちは何も持ってないから知恵を持つしかなかったんだよ
ヘイトクライムはやめなさい
野田さんもういいからコミュに戻ってきなさい 僕は暇なんです。

「マナ」と経済

> 今の金融システム

この資本主義至上主義的な現状が、いずれ変化することは必至でしょう。
ただし『他人の褌で相撲を取って』享楽を味わっておられる方々は、資本を待たない誰かが、新たな仕事をする為には、銀行経由で金持ちからお金を借りなきゃ商売も事業も出来ないシステムになっている事の恩恵として、『他人の褌で相撲を取る』ことから享楽を味わえている事に、感謝される方々で満たされ、これに気付かれれば「金は天下の回りもの」「社会の潤滑油」として適切に流す(消尽する)事になるならば、資本主義もまだまだ棄てたものではない要素があるように感じられます。

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ジョルジュ・バタイユの普遍経済論

1、普遍経済とはなにか

 普通我々が「経済」という言葉を用いるとき、念頭に浮かべるのは主として貨幣にまつわる経済活動のことである。そのなかには生産もあれば消費も含まれるが、いずれにせよそれらは数字によって明瞭に計算され得る。

 ジョルジュ・バタイユが「普遍経済」というとき、それはそのようなことを意味しない。そこで問題とされるのは、地球上に在るエネルギー全般のことである。それはまず事実としての太陽エネルギーであり、そしてそれによって成り立つ、あるいはそれとアナロジーの関係になる地球上のすべての生命活動のことである。

 対象を太陽エネルギーに限って考えてみることは、バタイユのいわんとするところをイメージとして理解するのにもっとも好都合である。それはたしかに単なる象徴である以上であり、それはまさしく我々が生きていることを条件づけている根本的な事実であるというべきであろう。

 つまりこういうことだ。「われわれの富の源泉と本質は日光のなかで与えられるが、太陽のほうは返報なしにエネルギーを-富を-配分する。太陽は与えるだけでけっして受け取らない。」

我々に与えられている生のエネルギーは常に過剰なのだ。これが根本的な事実である。しかしエネルギーが過剰であるとはどういうことか。エネルギーが過剰であるとどうであるのか。

 この著書の目論みは最初から顕かにされている。すなわち、「いわば大胆な転覆。てんでんばらばらな考えと、見ることを欲しない苦悩にしがみついている諸問題の行きづまりにの代りに、世界と合致した、一つの力学をもたらすこと。世界の動きの自由さに諸概念を釣り合わせる思想の窮極的自由は、予想に背を向けることによってはじめて手に入るのではなかろうか?」

 「世界と合致した、一つの力学をもたらすこと。」これがこの著書の目論みである。つまり逆に言えば、われわれにとってエネルギーが過剰であるという事実は、これまで常に隠蔽されてきたということである。「隠蔽されてきた」というのはたしかにすこし言い過ぎかもしれない。太陽エネルギーが常に有り余っていること、そんなことは取り立てて言われなくてもだれしもわかっていることかもしれない。しかし、だ。これがこの著書がことさら「呪われた」という穏やかならない名をもつことの所以である。

 われわれにとって常にエネルギーが過剰であるということは何を意味しているのか。それはわれわれにとって常に生産のためのエネルギーが、そして成長のためのエネルギーが過剰に与えられているということだ。しかしながら生命体の生産と成長は限りなく持続し得るものではない。それに対して、太陽エネルギーはわれわれにとってほとんど無限といっていいほどに与えられている。このことは次のような帰結を招く。

「もしもその組織(たとえば一個の有機体)がそれ以上成長しえないか、あるいは剰余が成長のうちに悉く摂取されえないなら、当然それを利潤ぬきで損耗せねばならない。好むと好まざるとにかかわらず、華々しいかたちで、さもなくば破滅的な方法でそれを消費せねばならない。」

 このことが、われわれに突きつけられている事実の最終的な姿である。エネルギーが過剰に与えられていることから、最終的にはそれを「惜しみなく(代償なしに)」消費せざるをえないということまでが、地球上の生命体にとっての基本的な物質的条件なのである。そしてこのような条件を全体的視野として見据えながら、その中に人間の諸々の経済活動、あるいはもっと広く言えば、諸エネルギーの関係の推移を位置づけていくこと、これがバタイユの謂う「普遍経済」である。

http://www7.plala.or.jp/akkoneko/2-1.htm
より引用
--------------------------------

これを私的解釈に基づき、仏教的視点に翻案すれば、無償(見返りを一切求めることの無い)の布施こそが、普遍経済の鍵だと言っているのでしょう。はたしてこの流れが近未来にどのように経済社会状態として、実現可能性が在るのでしょうかね???ある気はしてるが・・・何時・・・

因みに「マナ」とは、日本神道では麻邇(マニ)、仏教では摩尼(摩尼宝珠)、キリスト教では、Mannaを「神の口より出づる言葉なり」と表現されていて、どれもが人間精神を構成する最小単位の実体を表している言葉の言葉であるようで、「太初に言あり」の人間活動全般を言語とみる視点に由来する発想と「マナ」は大きく関係しているのであって、二元性を備える言葉の機能性に焦点をあてているように思えるのだな!この「マナ」は・・・・・

ソースかあ、、、めんどくせーな

なんだか、お話にちゃちゃをいれた形になってしまって、悪いことをしました。
二つのお供え物の話は、アダムとイブのお子さん、カインとアベルのお話です、このお話、なぜ神がカインの供物を無視したのかについていろいろな解釈がされているようで、穀物は仕事によって創り出されたものだから、という説が主というわけではないのかもしれません。
ソースですが、微罪で拘留されているとき読んだ、かの(悪名高い?)うのまさみの本だった気がします。
これ以上、この話しに難癖つける気はありませんので、のんびり調べて、もし見つかったら、そのときにお知らせしたいと思います。
続きをたのしみにしています。

アベルだってぇ

漏れのことが話題になっとる(笑)

不悪口言う

チョッパリの欠陥板、ハングルが出ないではないか!

아벨(Abel)

理治さんはバタイユとヴェイユが好きなんだね
僕も嫌いではないんだけれど・・・

厳密には資本主義と市場原理主義は異なります。また今度日記で話しましょう。

272エロマッサージの件

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