アレ?
おーん、アカン、ついに阪神が「アレ」してまう。
いや~、ど~でもいい、ほんっっっっとに、どぉ~~~~~~~~でもいい話である。しかし、悲しいかな、「三つ子の魂百まで」、という現実にはなかなか逆らい難い(とは言っても一円もお金かけないし、ヤフーニュースで朝見るくらいなんだけどw)。
小生ですらこうなので、世の阪神ファンは相当沸き立っていることだろう。
野球など、そもそもがエンタメ興行であり、どうでもいい虚業である。その虚業が人間の行動に影響を与え、いつの間にか実業になっている。阪神が「アレ」した場合の経済効果は、1000億円規模という試算もある。
いや、今日本人にとって野球と言えば、大谷翔平だ。今年3月のWBC世界一でも評価を上げた彼のFA市場価値は、700億とも1000億とも言われる。
虚業が実業になるのは、多くの人の関心を集めることで、お金が動くからだ。これはスポーツだけではなく、ジャニーズ性加害問題で揺れ動く芸能界も同じだし、王座戦で八冠達成の期待がかかる藤井総太氏の将棋界も同じだ。
特定の人間が、不特定多数の関心を集める。人々はそこに憧れ、子供たちは野球や将棋等を始める。しかし関心を集める勝ち組になれるのは、ほんのごく一握りに過ぎない。
華やかな勝ち組と比べれば、ほとんどの人は相対的には負け組だ。比較対象がなければ自己卑下も起きない筈だが、世界が狭くなった現代では、否応無く他人と比較する思考が起きる。インスタ映えを競うネット上の虚飾は、個々人の自信のなさと裏表である。
虚業がいつの間にか実業になる、もしくは手段がいつの間にか目的になる。このようなことは、文明文化の発展段階でよく起こる。今あなたが覗いているインターネットは、初期は研究機関が学術論文を共用する為に作った手段に過ぎなかった。しかし、今はネット自体を生業(なりわい)として、経済活動する人があまた存在する。
いやそもそも現代の経済自体、虚と実が入れ替わった典型である。人間の実生活に係わる生産活動を実体経済というが、そこから派生した株・債権・為替などの金融経済の方が、何倍も規模が大きく、また金融経済も、輸出入に伴う為替決済や、事業資金集めのための起債など実体経済の裏付けがあるものより、単なる利ザヤ稼ぎの取引の方が何倍も規模が大きい。その金融経済に実体経済は常に振り回される。
単なる利ザヤ稼ぎ取引だけを見てみれば、そこに何ら生産性は存在しないが、そのような虚業で荒稼ぎをする金融機関や個人が存在する。そのような虚業に憧れる人も後を絶たないが、個人で成功する人はこれまたごく一部である。
この二極化する経済は世界共通だが、下層救済のために各国政府は債務を増やして大盤振る舞いをし、債権バブルを膨らませている。
いずれこの債権バブルは弾けて、通貨そのものが単なる紙切れに成り下がるような事態に人類は直面するのではないか。これが小生の12800年周期仮説である。奇しくも、中国の不動産バブルも崩壊直前状態で、世界経済への影響も無視できない。
様々な側面で国際的分業が進んだ現代では、生産の労働力は国境を超えより安い地域に求められる。戦後の経済成長で比較的早く恩恵を受けていた日本は、海外の安い労働力に仕事を奪われジリ貧である。
これらの変化も、金さえ回っていればそれ程気にはならなかっただろう。しかし「一億総中流」からバブル崩壊を経て、ハタと気が付けば「一億総下流」ともいうべき惨状が間近に迫っている。ここに至る半世紀余りの間に失ったものを、我々は見直すべきだろう、と小生は考える。その一つは、先の記事でも述べた家族関係を始めとする身近な人間関係である。
現代人は、金で買う豊かさに慣らされ過ぎた。人間はこれまで、スマホがなくとも、今のようにモノが満ち足りていなくても、世界の裏側の事が分からず見聞きできる世界が半径数キロしかなくとも、貧しいなら貧しいなりに幸福を見出し、それぞれの時代を過ごしてきたのである。
貧しいなりの幸福を取り戻す、その為のキーワードは「足るを知る」。これは習慣というか生き方の問題で、すぐには変えられないかもしれないが、やろうと思えば誰にでもできる。はっきり言うて、そらそうよ。
どーでもいい事は置いといて、リアルの関係性で、小生がそのお手伝いをできるなら幸いです。
コメント
中道 四諦 八正道
そんなもんやろ そうやろなぁ
はっきり言うて そらアレよ
そんなんお前 アレやんか
おーん おーん おんおーん
阪神タイガース アレ アレアレアレ
無常であり、苦しみであり、実体がなく、自己ではない
(苦しみの真実)
外の現象に喜びを求めるほど、苦しみが生じる
(苦しみの生起の真実)
中の自己に安らぎを求めるほど、苦しみが滅する
(苦しみの滅尽の真実)
中の自己に安らぎを求める中道は苦しみの滅尽に至る道である
(苦しみの滅尽に至る道の真実)
中の自己は生じもせず滅しもせず、常住であり安らぎである
(自己を根本とする)
中道の実践法は八正道である
「私は無上の安らぎであるニルヴァーナを求め
無上の安らぎであるニルヴァーナを得た。
~ 仏陀釈迦牟尼の言葉 ~ 」