fc2ブログ

野田成人のブログ

累積賠償額1640万円

HOMEPR 都市難民 シリーズ物 経済 ニュース イスラム国 幸福功徳 陰陽 オウム 団体存続 雑多 建築リフォーム

精神世界における修行・修養は、如何にエゴを崩壊させるか、という点で共通している。しかしエゴを、自分だけで崩壊させようとするのは困難だ。「自分は自分」と思っているその立脚点を壊すことになるからである。

小さな星に住む「星の王子さま」という有名な小説があるが、足元の星を壊してしまったら、もはや「星の王子さま」ではない。足場がなくなり、宇宙をさまようことになるが、それとエゴの崩壊は似ている。

自分だけでエゴの崩壊を進めるのが難しいので、どの宗教でも、超越的な存在を崇め讃えて、自我意識を抑え込もうとすることになる。それが、それぞれの宗教の神であったり、グル(指導者)であったりするわけだが。

霊的・精神的進化を目指す場合、とりわけグル探しは重要である。どのグルに付くか、によって、どこまで到達できるかという最終到達点も違ってくるからだ。

そこでKさん(前回記事参照)は問うた。

「どのグルに付けばいいんですか?」

「どうしてそのグルが本物だと言えるんですか?」

「そういうグルと、吉村ラーメンのオヤジとどう違うんですか?

 ………

個別回答は省くが、小生はアングリマーラ―の例を挙げた上で、以下のように答えた。

「仮に間違ったグルに付いても、解脱・悟り・内面の本質に対する欲求が強ければ、最終的にそこに導かれることになる」

尤も、Kさんはこれについても、「なぜそうだと言えるのか」とするので、詰まるところの回答が、前回記事の「やるか、やらないか」となる。

仏教は予定説である。予定説とは、前生からの流れで、元々修行する予定だった人は修行する、そういう予定じゃなかった人はしない、というものである(以前、「一神教支配の終焉」で、予定説を批判したが、それは誤りだったので訂正する)。キリスト教含めて、修行するしないは、前生からの流れとしか説明しようがない。

彼にとっては、小生が仏道修行に確信を持っている事自体、「なぜ確信が持てるのか」と疑問だったようだが、小生にも答えようがない。前生からの流れ、としか。

元団体の人で、今もある程度修行をしている人にも聞いてみたが、とても一般の人を納得させられるようなものではない。

では、修行するのは、前生から修行していた人たちだけで、前生から修行してこなかった人たちは永遠に修行しないのか?この点については、そうでもない、と考える。恐らくこのKさんのように、今はそこに踏み込めない人が、どこかの段階で踏み込むようなことになるのであろう。

「やるか、やらないか」

答えようがなく、同じところに行きつくしかない質問が続いたので、Kさんはブロックするしかなくなった。また、どこか精神世界の違うだれかに同じ質問をぶつけるのかもしれない。それを繰り返すことによって、

「悩むだけ時間のムダ」

と気づく事ができるのであれば、その過程もムダではないかも知れない。

(しばらく後につづくかも)

コメント


「たくさん勉強していい学歴といい職歴を得れば幸せになれる!」
という物質的観念が創造され維持され破壊され

「たくさん修行して悟りと解脱を得れば幸せになれる!」
という精神的観念が創造され維持され破壊されると

















という何もない広大無辺な空間が現れてきます。


「たくさん勉強していい学歴といい職歴を得れば幸せになれる!」
という騒々しい思考から解放され

「たくさん修行して悟りと解脱を得れば幸せになれる!」
という騒々しい思考から解放されると

















という何もない静寂の空間が現れてきます。


「たくさん勉強していい学歴といい職歴を得れば幸せになれる!」
という物質的執着から解放され

「たくさん修行して悟りと解脱を得れば幸せになれる!」
という精神的執着から解放されると

















という何もない平安な空間が現れてきます。



物質的執着と精神的執着の両方から解放されると
本当に安らぎます。


執着による喜びと苦しみの両方から解放されると
本当に安らぎます。



外に向かって執着して喜んだり苦しんだりするのをやめていき
中に向かって集中して安らいでいく中道は苦しみの滅尽に至る道です。



初転法輪 中道 四諦 八正道 
http://manikana.la.coocan.jp/canon/tathagata.html

五蘊無我 肉体と精神を構成している五つの集まりは自己ではない
http://manikana.la.coocan.jp/canon/anattalakkhana.html



∞ 心を天地に広げ、心が天地と合一する ∞

~ 空小経・空に関する小さな経(チューラスンニャ・スッタ) 第一章 ~


あるとき、わたしはこのように聞いた。

ある日のこと、仏陀はサーヴァッティのミガーラマーター講堂にとどまっておられた。

そこに、尊者アーナンダが訪れ、このように言った。

「世尊よ、以前ナガラカの町を訪れた時、仏陀は空にとどまっている、と説かれました。
これについて、更に詳しく教えて頂けますか。」

「アーナンダよ、昔にしても、今にしても、確かにわたしは空の境地にとどまっている。
アーナンダよ、汝に空について私は説こう。」

「たとえば、己の心を天空に広げていく。
そのとき、山が消え、川が消え、森が消えて、次第に心が空っぽになり、観念が消えていく。」

「そして、いよいよ心が天空と合一すると、そのときは心の中に天空の観念だけがあり、
それ以外について、あらゆる観念が空になる。」

「たとえば、己の心を大地に広げていく。
そのとき、山が消え、川が消え、森が消えて、次第に心が空っぽになり、観念が消えていく。」

「そして、いよいよ心が大地と合一すると、そのときは心の中に大地の観念だけがあり、
それ以外について、あらゆる観念が空になる。」

「すなわち、己の心を、Aに広げていくと、そのとき、Bが消え、Cが消え、Dが消えて、
次第に、心が空っぽになり、非Aが消えていく。」

「そして、いよいよ心がAと合一すると、そのときは、心の中にAの観念だけがあり、
非Aが消えて、Aも消えて、すべてが空になる。」

 
第二章

「たとえば、己の心を空無辺処に広げる。
そのとき、山が消え、川が消え、森が消えて、次第に心が空っぽになり、観念が消えていく。」

「そして、いよいよ空無辺処に達すると、そのときは空無辺処、その観念だけがあり、
それ以外について、あらゆる観念、空になる。」

「たとえば、己の心を識無辺処に広げる。
そのとき、山が消え、川が消え、森が消えて、次第に、心が空っぽになり、観念が消えていく。」

「そして、いよいよ識無辺処に達すると、
そのときは、識無辺処、その観念だけがあり、それ以外について、あらゆる観念が空になる。」

「たとえば、己の心を無所有処に広げる。
そのとき、山が消え、川が消え、森が消えて、次第に心が空っぽになり、観念が消えていく。」

「そして、いよいよ、無所有処に達すると、そのときは無所有処、その観念だけがあり、
それ以外について、あらゆる観念が空になる。」

「たとえば、心を、非想非非想処に広げる。
そのとき、山が消え、川が消え、森が消えて、次第に心が空っぽになり、観念が消えていく。」

「そして、いよいよ、非想非非想処に至り、
そのときは非想非非想処の観念だけがあり、それ以外について、あらゆる観念が空になる。」

「たとえば、己の心が、無相心三昧に至る。そのとき、山が消え、川が消え、森が消えて、
次第に、心が空っぽになり、観念が消えていく。」

「そして、いよいよ、心が空と合一すると、そのときは、心の中に、空の観念だけがあり、
観念が消えて、空も消えて、すべてが空になる。」

これを聞いたアーナンダは歓喜し実践した。



空大経 (マハースンニャスッタ)大空経

第一章

あるとき、わたしはこのように聞いた。

ある日のこと、仏陀はカピラヴァッツのニグローダ樹の園の中にとどまっておられた。
そして、アーナンダに対しこのように説いた。

「修行者たる者は独りで居るべきである。
独りで居る時は思いのまま離れられるが、
独りで居ない時は思いのまま離れられない。」

「社交を喜び、一時の解脱を得られようか。
交際を楽しんで、不時の解脱を得られようか。
時愛心解脱も、不時不動心解脱も、具わらない。」

「社交を憂い、一時の解脱が与えられよう。
交際を悲しんで、不時の解脱が与えられよう。
時愛心解脱も、不時不動心解脱も授けられる。」

「アーナンダよ、色を愛して、楽しむ者は色が変ることから、悲しみ嘆き、苦しみ悩む。
わたしは、それについて、何の例外も認めない。」

「アーナンダよ、如来は空に達している。
外にとらわれず、内にとらわれず、ただ空である。
心は内に治まり、内に定まり、安定している。」

 
第二章

「心を治め、心を定めるには、如何するか。
比丘が、心を集中していく四つの禅がある。
それでは、この四つの定とか、如何なるものか。

第一の定は、有尋有伺である、第一禅定である。
第二の定は、無尋無伺である、第二禅定である。
第三の定は、正念楽住である、第三禅定である。
第四の定は、捨念清浄である、第四禅定である。」

「彼は空である状態に心を向かわせる。
心を内側に向けて、落ち着かせ、満ち足りる。
そして心が治まり、そのように自覚をする。」

「彼は空である状態に心を向かわせる。
心を外側に向けて、落ち着かせ、満ち足りる。
そして心が治まり、そのように自覚をする。」

「彼は空である状態に心を向かわせる。
心を内外に向けて、落ち着かせ、満ち足りる。
そして心が治まり、そのように自覚をする。」

「彼は空である状態に心を向かわせる。
心を不動に向けて、落ち着かせ、満ち足りる。
そして心が治まり、そのように自覚をする。」

「そして、この状態の心で経行する者は、
もはや欲に負かされず、悪に負かされない。
彼はそのように心を見て、心を見とめている。」

「そしてこの状態の心で瞑想する者は、
もはや欲に負かされず、悪に負かされない。
彼はそのように心を見て、心を見とめている。」

「そしてこの状態の心で会話する者は、
もはや欲に負かされず、悪に負かされない。
彼はそのように心を見て、心を見とめている。」

「そしてこの状態の心で思考する者は、
もはや欲に負かされず、悪に負かされない。
彼はそのように心を見て、心を見とめている。」

 
第三章

「比丘が、いつも、観察しないとならない、
いつも、監視すべきである、五つの欲がある。
それでは、この五つの欲とは、如何なるものか。

第一の欲は眼における色欲である。
第二の欲は耳における声欲である。
第三の欲は鼻における香欲である。
第四の欲は舌における味欲である。
第五の欲は身における触欲である。」

「これら五つの欲に心が躍らない時に、
もはや、五つの欲に心がとらわれないと知る。
そうして、比丘は自ら悟り、自ら覚めている。」

「比丘がいつも観察しないとならない、
生滅を監視すべきである五つの蘊がある。
それでは、この五つの蘊とは、如何なるものか。

第一の蘊は物質の執着の集まり、色蘊である。
第二の蘊は感受の執着の集まり、受蘊である。
第三の蘊は想念の執着の集まり、想蘊である。
第四の蘊は意志の執着の集まり、行蘊である。
第五の蘊は認識の執着の集まり、識蘊である。」

「これら五つの蘊に心が躍らない時に、もはや五つの蘊に心がとらわれないと知る。
そうして、比丘は自ら悟り、自ら覚めている。」

これを聞いたアーナンダは歓喜し実践した。


コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://alephnoda.blog85.fc2.com/tb.php/1717-123c2077

 | HOME | 

プロフィール

alephnoda

alephnoda

野田成人のブログです
メール返事欲しい人は氏名・電話番号必須だけど、書いたからと言って返信が保証されるわけでもありません。結局人間関係は共通の関心ごとがないと成立しないのであって。私が内容に関心を持った場合にやり取りが成立します。
ブログ手伝ってくれるスタッフ募集中
メールは上の画像の vv9919662014 @ じーめいる。コム(gmailです)

月別アーカイヴ

2037-12 : 1
2024-02 : 3
2024-01 : 5
2023-12 : 4
2023-11 : 5
2023-10 : 5
2023-09 : 6
2023-08 : 5
2023-07 : 4
2023-06 : 4
2023-05 : 4
2023-04 : 3
2023-03 : 4
2023-02 : 3
2023-01 : 6
2022-12 : 3
2022-11 : 4
2022-10 : 5
2022-09 : 3
2022-08 : 5
2022-07 : 4
2022-06 : 5
2022-05 : 4
2022-04 : 4
2022-03 : 6
2022-02 : 5
2022-01 : 2
2021-12 : 4
2021-11 : 5
2021-10 : 7
2021-09 : 5
2021-08 : 4
2021-07 : 4
2021-06 : 4
2021-05 : 4
2021-04 : 5
2021-03 : 5
2021-02 : 5
2021-01 : 5
2020-12 : 5
2020-11 : 5
2020-10 : 5
2020-09 : 7
2020-08 : 5
2020-07 : 7
2020-06 : 5
2020-05 : 7
2020-04 : 1
2020-03 : 5
2020-02 : 5
2020-01 : 5
2019-12 : 5
2019-11 : 4
2019-10 : 7
2019-09 : 4
2019-08 : 5
2019-07 : 2
2019-06 : 5
2019-05 : 6
2019-04 : 3
2019-03 : 6
2019-02 : 5
2019-01 : 5
2018-12 : 6
2018-11 : 4
2018-10 : 4
2018-09 : 4
2018-08 : 4
2018-07 : 6
2018-06 : 6
2018-05 : 8
2018-04 : 6
2018-03 : 7
2018-02 : 5
2018-01 : 5
2017-12 : 5
2017-11 : 4
2017-10 : 2
2017-09 : 2
2017-08 : 4
2017-07 : 4
2017-06 : 6
2017-05 : 4
2017-04 : 6
2017-03 : 6
2017-02 : 6
2017-01 : 5
2016-12 : 5
2016-11 : 4
2016-10 : 3
2016-09 : 3
2016-08 : 4
2016-07 : 4
2016-06 : 5
2016-05 : 3
2016-04 : 6
2016-03 : 3
2016-02 : 4
2016-01 : 6
2015-12 : 7
2015-11 : 9
2015-10 : 7
2015-09 : 5
2015-08 : 6
2015-07 : 8
2015-06 : 6
2015-05 : 8
2015-04 : 8
2015-03 : 8
2015-02 : 11
2015-01 : 11
2014-12 : 5
2014-11 : 8
2014-10 : 9
2014-09 : 9
2014-08 : 7
2014-07 : 6
2014-06 : 5
2014-05 : 5
2014-04 : 9
2014-03 : 9
2014-02 : 6
2014-01 : 5
2013-12 : 2
2013-11 : 5
2013-10 : 8
2013-09 : 8
2013-08 : 9
2013-07 : 13
2013-06 : 8
2013-05 : 12
2013-04 : 8
2013-03 : 10
2013-02 : 9
2013-01 : 12
2012-12 : 6
2012-11 : 10
2012-10 : 9
2012-09 : 4
2012-08 : 9
2012-07 : 10
2012-06 : 8
2012-05 : 8
2012-04 : 6
2012-03 : 13
2012-02 : 14
2012-01 : 15
2011-12 : 9
2011-11 : 14
2011-10 : 6
2011-09 : 10
2011-08 : 8
2011-07 : 9
2011-06 : 11
2011-05 : 9
2011-04 : 6
2011-03 : 11
2011-02 : 4
2011-01 : 6
2010-12 : 6
2010-11 : 7
2010-10 : 9
2010-09 : 10
2010-08 : 10
2010-07 : 7
2010-06 : 7
2010-05 : 7
2010-04 : 6
2010-03 : 6
2010-02 : 7
2010-01 : 4
2009-12 : 2
2009-11 : 3
2009-10 : 5
2009-09 : 3
2009-08 : 4
2009-07 : 9
2009-06 : 10
2009-05 : 10
2009-04 : 13
2009-03 : 7
2009-02 : 1
2009-01 : 4
2008-12 : 9
2008-11 : 9
2008-10 : 6
2008-09 : 7
2008-08 : 7
2008-07 : 8
2008-06 : 5
2008-05 : 4
2008-04 : 7
2008-03 : 7
2008-02 : 7
2008-01 : 7
2007-12 : 10
2007-11 : 8
2007-10 : 5
2007-09 : 8
2007-08 : 12
2007-07 : 7
2007-06 : 15
2007-05 : 18
2007-04 : 9
2007-03 : 17
2006-04 : 1
2004-04 : 6
2004-03 : 8
2003-12 : 1
2003-09 : 2
[RSS 1.0]  [RSS FEED]