オレ竜
ネットをよく見ていないウチに、中日が日本一になった。阪神に2連勝、巨人に3連勝で、日本シリーズは初戦落としてから4連勝。
ワシが凄いなと思うのは、落合監督のオレ竜(流)采配。結構奇抜な采配で、相手を出し抜いたりする。勿論たまには裏目に出る事もあるが、それでもオレ竜でチームをまとめているところが凄いと思う。
私の記憶に残っているのは、監督一年目の開幕戦に川崎憲次郎を先発に起用したこと。ヤクルトから4年○億でFA移籍したものの、3年間ケガで全く登板機会の無かった選手を開幕投手にしたのだ。ま、普通に考えてみりゃ、「何考えてんの?」っていう話だ。しかも案の定初回に5点取られて降板(一死もとれなかったかも)。チーム内から不満がでてもおかしくない采配だが、それでもきちんとチームをまとめて結果を出すのが、オレ竜の凄いところだな。
落合監督は典型的な下丹田の人である。ちょっと見ると中年太りで腹が出ているようにも見えるが、単なるメタボリックとは違う。下丹田が発達しているから、ハラが座っているのだ。ハラが座っているから、オレ竜で通して結果を出せるのだと思う。
私もハラを鍛えようと最近少し研究しているところです。気功とか呼吸法とか。まだあんまり詳しくないんで、詳しそうな河本さんここにコメントしてください。
今回は、オレ竜万歳、みなさんも下丹田を鍛えましょう、という話でした。
コメント
監督の差?
知略で動かすというより、功徳で動かしている気がします。
これ以上書くと、「オウム脳か?」とか、「まだ脱会していないのか?」と言われそうで。
嗚呼。
HP作成準備のため、PS(パーフェクトスピーチ)Ⅰを教学中でつ。
今のではなくて、教義専門のやつでつ。
下丹田を鍛るとは
> 私もハラを鍛えようと最近少し研究しているところです。気功とか呼吸法とか。
まず、落合中日、日本一おめでとうございます。
ところで落合監督に会って『あんた今年優勝するよ』と言っていた細木数子の慧眼に敬礼したいと思う。ただし、個人的には彼の出生運は知らないので何とも言えないが、54才位の人は、確か巳年かな、そして今年は亥年。う~ん。冲に当たる、亥を制し得るには、相当『自』が安定している干支が出生の表示でないと、幾ら口から出任せを言っているように思える細木数子さんも言わないだろうと思う。
だとすると少し検索をしてみて、癸巳年甲子月甲午日にお生まれのようです。う~ん。さもありなんかな!秋田県南秋田郡若美町出身1953年12月9日生まれらしい。
いずれにしても落合博満氏が腹が据わっているようにみえるのは、闘争に於ける覚悟みたいな面ではそうなのかもしれませんね。
蛇(巳)と竜(龍)は良く似たものでしょう。よって単純に細木数子さんは猪年だからドラゴンズ優勝と単純に考えていた可能性は否めません。
しかし、落合博満氏はどこで何をしていようとも彼の流儀を逸脱した他者迎合性、或いは、果実に執着する生き方をすることはなくて、己がやりたいことをすることを貫き通すでしょうね。それが結果的に果実を生んだに過ぎないという部分は未熟な運命鑑定家である私でも判る出生データであるな~。
腹を据えることが如何に良い未知の結果を生み出し得るかという視点に対しては、未熟なわたしとしましては、肯定的情報は提供し辛いですけれども、いえるとすれば一つだけでしょう。
それはギリシア哲学的に言えば以下ですが、結局、日本中国的東洋思想も同じところに根ざしている宿命を諦め--かつ自由意思に基づき全力で生きることこそが、天法に適うということではないでしょうかね。
それは肝を据えることとイコールであろうと未熟者は考えています。
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「全宇宙に於いて、全てのものはそれぞれの仕方で生きている。ところが我々は、あるものが我々の感覚に訴えるような運動を宇宙から受けていない場合、そのものは生きていないと考える。つまりそれは、その個物の生命が我々には捉えられないということである。のみならず、生きているということが我々の感覚でははっきり分かる物でも、実は我々には感覚できないような仕方で生きている多数のものから合成されているのであり、それら全てのものがそういう生物の生にたいして驚嘆すべき作用を及ぼしているのである。(例えば)人間は、彼を内から動かす内在的諸能力が全然魂を欠くものであったとしたならば、これほど自由自在に動くことはできないであろう。それどころか、宇宙それ自体も、もしその中に存在する各々のものがそれぞれ固有の生によって生きているのでなかったならば、生命のない死物と化してしまうほかはないであろう」
一切者が生きており、従って一切者が魂をもつ故に、魂が観照するということは直ちに全宇宙が観照することを意味する。「一切者は観照を希求し、それが目的として瞻望する。ひとり叡智を有する存在者のみならず、叡智のない動物も、さらに植物的自然も、植物を生育する大地も一切がことごとく、各自に可能な範囲に於いて、それぞれの仕方で観照している。すなわちあるものは真実の観照を、他のものは真の観照の模倣と影像を獲て観照している。……例えば、現に我々は喜戯しているときも、それによって観照しているのではないか。我々も、またすべて喜戯するところの人は誰でも観照しているのであり、かつ観照を渇望しつつ喜戯しているである。子供たると大人たるとを問わず、戯れているか厳粛な仕事をしているかを問わず、全て観照のために、あるいは戯れ、あるいは厳粛に働いているのである」。
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下丹田を鍛るとは2
ヴァジラダラという動功をロシアで実演していたときがあるが、あれは静功を積み重ね、気の流れを体感可能となり、ある程度気の制御が可能になっていない状態で、いきなり極めつけの動功を行えば、ぶっ倒れるぐらいに強烈に効果のある動功の一つであると感じています。
なぜぶっ倒れるかと言えば、いきなり気を上昇させられる身体操作であるからです。
従って壺の呼吸法或いは壺の瞑想法と併用した、易筋経のような静功を行うことが下丹田強化にはとても有効だと思われます。肥田式壮健術も同じ原理に基づき腹式呼吸法を伴って効果を発揮しています。
超俺流は、八卦掌極似の身体操法を使い、出来る限り壺の呼吸法を伴う站椿を、可能な限り大自然の中のエネルギーの満ち溢れているところで、実習することに大きな効能を感じています。
站椿には站式、座式、臥式、行走式、半臥式などあるが、站椿は無力の中での有力、不動の中での微動、微動の中での速度の早い運動を求めるものである。身体がゆるまり、血液循環が早まり、気力が増強されてくる。このときもし筋力を使えば緊張して全身の内在する力が消え、はなはだしきは循環障害を起こすと言われる。
精神的な無形の力を使うのであって、筋肉の力を使えば内部の運動の本質は失われる。有形即破体、無形即神集 と言うものがいる。
身体が完全に弛緩し、精神が完全に収斂すれば(姿勢は不出来でも)精神は高まることが、続けていればおのづとわってくるものであろう。しかしはじめは正しい基本的な姿勢から入ることで気感は素早く感じられやすいものだと思う。
さて、年内に総選挙もありそうですな。
丹田開発
毎日自然に繰り返していたら段々と丹田が熱くなり、締めなくても意識を丹田に向けるだけで全身に熱を発生させることが出来るようになります。
名古屋ドーム
中日ドラゴンズ
見ていて、念で押されてるなーっていう感はありましたね、確かに。
>今回CS一戦から神懸かった強さでしたね。
独特の雰囲気がありましたねドラゴンズ。
幸せを運ぶカズちゃんから何か助言でも受けたのかしら…。
「ブルドック総理」だけは勘弁してもらいたい。
それなら、オマルをしょって元気よくテレビに出演すれば、ハラが座るんじゃないかしら?
さいもんさん
> 毎日自然に繰り返していたら段々と丹田が熱くなり、締めなくても意識を丹田に向けるだけで全身に熱を発生させることが出来る
最も一般人に判り易くかつ体験的に語るとすればこの通りですね。
いや~。さいもんさんが最初にコメント頂いたとき正直誰か特定できないでいて、その後、たぶん、なの方であろうと思って居ましたが今回のコメントで間違いなく何方か確定できました。遅蒔きながらの特定ですみません。
そうですね。締めなくても意識を丹田に向けるだけで・・・これは実習経験者でなければ語れない実体験を書かれている、真実の体験をお書きに成られていると思います。
継続的実習は何ものにも勝る「継続こそ力」「経験こそ真実を如実に語る」その典型でしょう。
ただ、「全身に熱を発生させる」その先があるようですけれどもね。
お懐かしいです。
〉今回のコメントで間違いなく何方か確定できました。
ようやく思い出して頂けましたか。
いえ、どうかお気になさらず。
丹田に意識を集中させた効果のほどは理治さんにもお見せしていたと記憶してました。
〉ただ、「全身に熱を発生させる」その先があるようですけれどもね。
「その先」ですか。
それは大変興味があります。
宜しければ教えてもらえないでしょうか。
横レスで、すみません。
>「その先」ですか。
>それは大変興味があります。
>宜しければ教えてもらえないでしょうか。
横レスで、すみません。
仙道なら下丹田の開発が終わると小周天(ツアンダリー)、大周天(クンダリニーの覚醒)のプロセスに入っていきます。
下記は、そのプロセスについて簡単に記したページですね。
ttp://www.geocities.co.jp/noboish/case/ki-yoga/shimada.html
わたしも横レス
ありがとうございます。
▽サンディタさん
▽お金が貯まっているぞさん
こんな先があったとは、何だか面白くなってきました。
お二人の善意に何もお返しが出来なくて申し訳ないです。
アドバイスをありがとうございました。
さいもんさん
>アドバイスをありがとうございました。
いいえ、わたしはデータを提供しただけです。
修行を進めていくのは他人ではなく自分自身です。
仏陀・如来方が勝手に自分の修行を進めてくれるわけではないですからね。
躊躇
私は「その先」についてコメントするのを躊躇していました。
島田明徳氏はよくご存じでしょう。
何故躊躇したのかは種々の理由があります。
しかしお二方が端緒をお示しいただいたので良いかなと思います。
明徳氏はかなり優れた武道家であると同時に、身体操作と意識の問題に造詣が深いのはご存じでしょう。
心と体・顕在意識と潜在意識・・・・・
あらゆる相対対象は中道(調和)が最終的な最高原理であると感じている私はご紹介されてる方向性は、ややもすると誤解してしまう可能性を払拭し切れない部分がどうしても残ります。
ですから偏ることが最も取り返しのつかない苦悩を経験させるでしょう。
そこから脱出するのは大変です。
今我々は偏した偏りから抜け出すのに四苦八苦しています。
否定は手段であるにも関わらず、現実の現象世界を嫌悪する傾向を強めてしまった経験を有しています。
だから躊躇したのです。現実世界の現象は中立状態で否定も肯定もしない状態が最も必要ですけれども、ややもすると心的現象傾向に”だけ”に偏ると問題が生じることになると考えているからです。
どの道を進むにせよ最後は自己責任
>お二人の善意に何もお返しが出来なくて申し訳ないです。
その心配には及びません。
さいもんさんがこのまま着実に修行を進められたら、私にも幾ばくかの恩恵が返りますので。
ただし、どの道を進むにせよ最後は自己責任だという事を肝に銘じておいて下さいませ。
あくまでも私の見解ですが、大周天(クンダリニーの覚醒)以降のプロセスは今の所オウムの修行が一番安全だと思います。
中年太りのメタボリックと、下丹田の違いはどのように見分けるのですか?
その人の行動パターンで判断するのですか?
私も、腹が出てきたのですが・・。私のは、メタボみたい・・。w
上祐さんのはどっち?