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野田成人のブログ

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仏教とヨーガに共通する修行の本質とは何だろうか?

いくつかの表現方法によって回答は分かれるかもしれないが、一つの視点としては、心の働きを止滅させること、と言えるのではなかろうか。

ヨーガの最終目的は、心のはたらきを止滅すること(ヨーガ・スートラ)。

瞑想で深く入るためには、思考を止めなければならない。目を瞑っても「あーでもない、こーでもない」と日常のことをグルグル考えるのは、瞑想にはならない。思考を止めることによって、深い意識に入っていく。

それを日常生活でやろうとすると、どうなるだろうか?

スリランカの仏教修行に、アーナーパーナサティー(以下サティー)というものがあるが、これが日常生活においても心の働きを止滅する訓練であるということに、最近気が付いた。

小生は、サティーをやったことがないが、「こういう修行がある」程度には知っていた。どういう修行かという記述をネットから拾ってくると…

「呼吸に対する気づき、アーナーパーナサティはそうした訓練の一つです。息を吸う時にそれに気づき、息を吐く時にそれに気づきます。呼吸の際にお腹が膨らみ、縮む様子に気づきます。

 二番目の訓練は姿勢に対する気づき、イリヤーパタです。歩く時に、歩いていると気づきます。立っている時に、立っていると気づきます。坐っている時に、坐っていると気づきます。横になっている時に、横になっていると気づきます。…」

要するに、一つ一つの所作に関して客体視しながら、感情や想念の渦に巻き込まれないようにし、また逆にそれを静めていくという訓練。

「私は誰か?」

この瞑想と同じことを狙っているわけだ。

だが日常においてこれをやり始めると、現代生活自体が、如何に心を惑わせる情報・データが氾濫しているかということに驚かされる。

水が高いところから低いところに流れるように、一般的には、心を内側に向かわせるより、外側の対象に向かわせる方が楽だ。現代社会の価値観は、如何にして、外側の物質的快楽によって心を満たすか、どういう快楽により人を惹きつけ金儲けをするか。それしかない。

しかしこの外側の欲望を掻き立てる資本主義においては、人の心は、その本質からどんどん遠ざかるような余計な観念・知識・データにより覆われていく。このようにして蓄積されたデータは、深い瞑想への妨げとなる。言うまでもないが、聞いた音楽やイメージが湧いてきて、それに巻き込まれてしまうリスクが高くなるからだ。

(ちょっと短いがぶつ切りで続く)

コメント


10、どうすれば心は静かになるのでしょうか?

「私は誰か?」
と尋ねることによってである。

「私は誰か?」
という想念は他のすべての想念を破壊するだろう。

そして燃えている薪の山をかき混ぜる木の棒のように、ついには
「私は誰か?」
という想念そのものも滅ぼされてしまうだろう。

そのとき真我は実現されるだろう。

11.「私は誰か?」という想念を絶えず心に保つにはどうすればよいでしょうか?

他の想念が起こっても、それを追いかけることをやめ、
「この想念は誰に起こったのだろうか?」
と尋ねるべきである。

どんなに多くの想念が起ころうとかまわない。
想念が起こるたびに
「この想念は誰に起こってきたのか?」
と入念に探究すべきである。

それに対して現われる答えは
「私に」だろう。

そこですぐに
「私は誰か?」
と探究すれば、心は源に引き戻され、起こった想念は静まるだろう。

このように修練を繰り返せば、
心は源にとどまることに熟達するだろう。

微細な心が脳や感覚器官を通って外に出ると
粗大な名前や形が現われる。

心がハートの中にとどまっていれば
名前と形は消え去る。

心を外に出さずにハートの中にとどめておくことは
「内にあること」(アンタール・ムカ)
と呼ばれる。

心をハートから外へ出させることは
「外へ向かうこと」(バヒール・ムカ)
として知られる。

このように、心がハートの中にとどまっているとき
すべての想念の源である「私」は消え去り
永遠に存在する真我が輝き出す。

人は何をするときにも
「私」という自我性なしにそれをすべきである。

もしそのように行動すれば、
すべてはシヴァ神の本性として現われるだろう。

~ ラマナ・マハルシ対話集「私は誰か?」より ~

サンマー 正しい
サティ 気をつける、気づく、気づいている、注意する、心を向ける

サンマーサティ→正念→正しく気づいている・正しく注意している・正しく心を向けている

八正道の七番目・正念~四念処

身念処~身体に正しく気づいている・正しく注意している・正しく心を向けている
受念処~感覚に正しく気づいている・正しく注意している・正しく心を向けている
心念処~心に正しく気づいている・正しく注意している・正しく心を向けている
法念処~法則に正しく気づいている・正しく注意している・正しく心を向けている

~ パーリ仏典 呼吸による気づきの教え(アーナパーナサティ・スッタ) ~

修行者は森に行き、樹下に行き、あるいは空家に行って、足を組んで坐り、身体をまっすぐに保って、
対象に満遍なく気づきを向け、気をつけて息を吸い、気をつけて息を吐く。

最初の四考察(身体に関する組)

一.息を長く吸っているときには「息を長く吸っている」と知り、
  息を長く吐いているときには「息を長く吐いている」と知る。
二.息を短く吸っているときには「息を短く吸っている」と知り、
  息を短く吐いているときには「息を短く吐いている」と知る。
三.「全身を感知しながら息を吸おう、全身を感知しながら息を吐こう」と訓練する。
四.「身体の動きを静めながら息を吸おう、身体の動きを静めながら息を吐こう」と訓練する。

第二の四考察(感受に関する組)

五.「喜びを感じながら息を吸おう、喜びを感じながら息を吐こう」と訓練する。
六.「安楽を感じながら息を吸おう、安楽を感じながら息を吐こう」と訓練する。
七.「心の動きを感じながら息を吸おう、心の動きを感じながら息を吐こう」と訓練する。
八.「心の動きを静めながら息を吸おう、心の動きを静めながら息を吐こう」と訓練する。

第三の四考察(心に関する組)

九.「心を感じながら息を吸おう、心を感じながら息を吐こう」と訓練する。
十.「心を喜ばせながら息を吸おう、心を喜ばせながら息を吐こう」と訓練する。
十一.「心を集中させながら息を吸おう、心を集中させながら息を吐こう」と訓練する。
十二.「心を解き放ちながら息を吸おう、心を解き放ちながら息を吐こう」と訓練する。

第四の四考察(法則性に関する組)

十三.「無常であることを繰り返し見つめながら息を吸おう、無常であることを繰り返し見つめながら息を吐こう」と訓練する。
十四.「色あせてゆくことを繰り返し見つめながら息を吸おう、色あせてゆくことを繰り返し見つめながら息を吐こう」と訓練する。
十五.「消滅を繰り返し見つめながら息を吸おう、消滅を繰り返し見つめながら息を吐こう」と訓練する。
十六.「手放すことを繰り返し見つめながら息を吸おう、手放すことを繰り返し見つめながら息を吐こう」と訓練する。

(パーリ語原典より、井上ウィマラ訳)

ヨーガ・スートラ 1・36

ヨーガ行者が蓮華の形であらわされる心臓に心を集中することに熟練すれば
心の働きはサットヴァの要素が優勢になり、ラジャス・タマスを圧倒して、太陽や月のように光り輝く。

この状態はヨーガ行者の心が波立たない大海のように無辺で静寂なサマーディ(心の集中)に入ることから生じる。

~ 参考「世界の名著 バラモン教典 原始仏典」より ~


心(チッタ)は胸の奥の洞窟にひそんでいる。
この心(チッタ)を制する人々は、死の束縛からのがれるであろう。

~ 仏陀の言葉 原始仏典より ~


わたしは内側に光を燃焼させる。

永遠の火を灯し
常に心を静かに集中していて
わたしは梵行(ブラフマチャリア)を実践する。

心臓は光の場所である。

よく自己を整えた人が人間の光である。

真実と法と自制と梵行(ブラフマチャリア)
これは中道によるものであり、ブラフマン(宇宙原理・宇宙全体を満たしている光)を体得することである。

~ 仏陀の言葉 原始仏典より ~


修行者たちよ、修行者が欲(意欲・チャンダ)によってサマーディに至り
心の一点集中(チッタ・エーカッガター)を得たならば
これを名付けて欲サマーディという。(チャンダ・サマーディ)

修行者たちよ、修行者が勤(努力・ヴィリヤ)によってサマーディに至り
心の一点集中(チッタ・エーカッガター)を得たならば
これを名付けて勤サマーディという。(ヴィリヤ・サマーディ)

修行者たちよ、修行者が心(チッタ)によってサマーディに至り
心の一点集中(チッタ・エーカッガター)を得たならば
これを名付けて心サマーディという。(チッタ・サマーディ)

修行者たちよ、修行者が観(観察・ヴィーマンサ)によってサマーディに至り
心の一点集中(チッタ・エーカッガター)を得たならば
これを名付けて観サマーディという。(ヴィーマンサ・サマーディ)

チッタ・エーカッガター
心   一   向かう、至る

チッタ・エーカッガター 心の一向性、心の一境性、心の統一、心の集中、心の一点集中

四神足  欲神足  勤神足  心神足  観神足

別名
四如意足 欲如意足 勤如意足 心如意足 観如意足

~ 仏陀の言葉 「神足相応」より ~


修行者たちよ、サマーディを修習しなさい。
修行者たちよ、サマーディに入った修行者はあるがままに知る。

何をあるがままに知るのであろうか。

「これは苦しみである」とあるがままに知る。
「これは苦しみの生起である」とあるがままに知る。
「これは苦しみの滅尽である」とあるがままに知る・
「これは苦しみの滅尽に至る道である」とあるがままに知る。

修行者たちよ、だから

「これは苦しみである」と心を集中しなさい。
「これは苦しみの生起である」と心を集中しなさい。
「これは苦しみの滅尽である」と心を集中しなさい。
「これは苦しみの滅尽に至る道である」と心を集中しなさい。

~ 仏陀の言葉 「真理相応」冒頭より ~


懸命に修行しているバラモンに
もしすべての真実が明らかになれば
彼を魔を打ち破って端然としていることができる。

あたかも、太陽が宇宙全体を照らしているかのように。

~ 成道した直後の仏陀の言葉 原始仏典より ~


修行者たちよ、「修行者が広大無辺な心によって、光り輝く心を修習する」というのは何であろうか。

修行者たちよ、ここに修行者がいて、光明の状態をよく保ち、一日中光明の状態を完全に保っている。

修行者たちよ、このような状態を「修行者が広大無辺な心によって、光り輝く心を修習する」というのである。

~ 仏陀の言葉 「神足相応」より ~


アーナンダよ、タターガタ(如来・真理到達者)は三千大世界(十億世界)を光で満たす。あるいは望むだけ。

※太陽と月が照らす範囲が一世界 一宇宙
 一世界の千倍の世界が小千世界 千宇宙
 小千世界の千倍の世界が中二千世界・百万世界 百万宇宙
 中千世界の千倍の世界が三千大世界・十億世界 十億宇宙

~ 仏陀の言葉 原始仏典より ~


四つの無量の心がある。(チャトゥ・アッパマンニャー・チッタ)

友よ、ここに修行者が
慈しみ(メッター)に満ちた心を一つの方角に広げる。同じように第二、第三、第四の方角に広げる。
このように、上に、下に、横に、あらゆるところに、すべての場所に、世界中くまなく、
慈しみに満ちた、広く、大きく、無量の、恨みのない、怒りのない心を広げる。

哀れみ(カルナ―)に満ちた心を一つの方角に広げる。同じように第二、第三、第四の方角に広げる。
このように、上に、下に、横に、あらゆるところに、すべての場所に、世界中くまなく、
哀れみに満ちた、広く、大きく、無量の、恨みのない、怒りのない心を広げる。

喜び(カルナ―)に満ちた心を一つの方角に広げる。同じように第二、第三、第四の方角に広げる。
このように、上に、下に、横に、あらゆるところに、すべての場所に、世界中くまなく、
喜びに満ちた、広く、大きく、無量の、恨みのない、怒りのない心を広げる。

平静(ウペッカー)に満ちた心を一つの方角に広げる。同じように第二、第三、第四の方角に広げる。
このように、上に、下に、横に、あらゆるところに、すべての場所に、世界中くまなく、
平静に満ちた、広く、大きく、無量の、恨みのない、怒りのない心を広げる。

~ 仏陀の言葉 原始仏典より ~

P正悟師は鍼灸で5本の指に入ると言われたけど、教祖が一番だったと言ってましたね。
船橋の鍼灸院でたくさん稼げるのに放り出して、命懸けで修行を始めて魔境にも入って奥さんは大変だったでしょう。

辞めさせられた正悟師・正大師は生活を心配して本の知識だけで満足しているので、野田正悟師は先頭で命懸けで修行して教祖を超えてください。

理解できたらバカみたいな苦しみの消滅の 理屈

しかし理解度繋がるまでは絶対、 意味が分からない 仏教とはそういう教えである可能な限り前回提示した教則本群の教えを実行するのみである 信じて行じているとある日突然ヨルガの方からあなたに降りてくると言った風です そんでこれが降りてこない ほどの行弱者には解脱の見込みはゼロである そしてまた確かにこの方法なら驚異的な努力によっては確かに最 短い7日で離脱できる と後付で今思えました そういうわけで諦めず全体伝達した 仏教経典 群を繰り返し読みつつ実践してください 野田さん ほどの 知能を持った人間ならば 修行中に 4 諦 が現れ これを理解することを 明 と言いますが 何も見えない人は 無明 と呼ばれます すなわち 明 が起きれば 全てが止まるんです それは ちょうど子供が高層ビルからダイブしたら死ぬ と理解すれば ビルからの
飛び降り自殺をしないように なるが如しです。 そう自らが苦しみを起こすということが身体的に 止まります これが 知慧解脱 です

仏道修行の件

先日もう連絡はしないと言っておきながら 電話したりして申し訳ありません でした いや野田さんのブログを見て 何かの変化を感じたので もしやもはや分かってしまった? と感じてしまい嬉しくなって 電話してみました また未だ 実践中と言う ことに関しても 嬉しくなりました 身勝手な希望ですが個人的には 野田さんが到達し 迷いの中にいる 元信者達に対し 絶対の自信を持って 指導にあたる というような 境地に達するのならば それは私にとってこれ以上の喜びはありません 私は周囲に 仏道に関心のある 人間や 真剣に行を行っている 人が一人もいないので 私が仏法をとくことはありません その点において野田さんは 旧友にも知人にもそのような人をかなり多く知っておられると思うので 答えがわかれば その教えを説く 対象に事欠くことはありません それだから 私の「 野田さんはもしかしたら」 と思って嬉しくなってついつい連絡してしまいました あなたほどの知能で 法を説くのならば たちまちに仏教は 広がっていくような そんな気がしたのです 通常人間は 多くの財を蓄えれば それに酔いしれてしまい「 修行? 馬鹿らしい もうそんな手に乗るものか」 となってしまいがちですが それでも なお道に思いを馳せている あなたのことが嬉しかったのです そんな単純な動機に感動して ついつい電話をしてしまいました それだから今後は 野田さんにアクセスしたりすることを 控えて 見守っていくつもりです がてーがてーパラガテー パラスんガテ ボディスヴァーハー 摩訶般若波羅蜜多心経。 それではさようなら。

コロナ

「コロナ」宇宙の仕組の中で必然的に起こってること。「ワクチン打て」って、宣伝されても、私は打たない。この大きな動的な宇宙の営みの中に自分があるということに気づき、謙虚さを知ることを学びとこの「コロナ」は教えようとしてくれてる。
自分の自己免疫力を高めることや生活習慣を見直す、人間が地球にしでかしたことの反省、調和の大切さ。
エンドレスなワクチン接種は、人間の愚かさを露呈してるようなもの。
自分だけ助かりたい、人間だけ良ければいい、そういう枠から出る。生も死もないことを気づくこと。そうすると、とっても楽になるのに。

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