fc2ブログ

野田成人のブログ

累積賠償額1640万円

HOMEPR 都市難民 シリーズ物 経済 ニュース イスラム国 幸福功徳 陰陽 オウム 団体存続 雑多 建築リフォーム

以下のような質問を頂いた。それを元に回答を記事にしてみる。

質問:

煩悩を滅するという生身の人間では不可能という矛盾についてどう納得しているのか?

キリスト教の牧師さんにも似たような事を聞きました。キリスト教のことは詳しく無いながらも、「隣人愛や左の頬を差し出す」的なこと、そういった所謂綺麗事とどのように向き合われてますかね?と。

するとこんなような答えが返ってきました。

キリスト教はイエス様に救ってもらうというスタンスでいる。
自分で何とかできるというのは傲慢で、それは自分の黒さにすら気づいていない。
神と出会うということは、こんな汚れた醜い自分でも救ってくださると言う感覚を持つこと。救われているのだと安心感を持つ事。
よって牧師であっても矛盾はしていて、完璧にはならない。自分がイエス様になるわけではない。しかし信仰をする中で少しでも聖なるものに近付こうと努力は出来進歩はできると。

大凡こんな感じの回答が返ってきました。

この回答自体にはとても納得感がありました。なぜならば少なくとも牧師さんは信奉はしてはいれど自分は聖なるものではないと認めているからです。だから開き直ればいいわけではないですが、論理的には一致しています。

しかし仏教、少なくとも旧オウムについては疑問が残ります。なぜならば元教祖は解脱した。という前提から入るからです。

そうなると揚げ足取りも含めて論理矛盾を感じます。わかりやすいところでは肉食妻帯。その他色々批判の的となっている世俗的な煩悩についてです。

おそらく世間が素朴に思うのは、「欲望を滅したのであればなぜ?」いうものです。

これについて野田さんはどのように納得・説明されますか?


回答:

その牧師が回答したことは、確かに一貫したものであるし、宗教者として素晴らしいものであると考えます。要は穢れた自己を滅する、その穢れた自己を救い上げて頂く大いなる存在としての信仰対象(ここではイエス様)がある、と。

小生が仏教を学んだオウムの元教祖も、そういうスタンスで、自分を救い上げて頂く大いなる存在としてシヴァ大神を掲げていたのだと考えています。

ではイエス様を掲げた牧師と、シヴァ大神を掲げた元教祖と、どこがどう違うかというと、自ら解脱したと公言したかどうか、でしょうか。

どのような宗教であれ、末端信者に対しては幹部以上のものが指導する必要が出てきます。当然その穢れているはずの牧師も、末端信者にあれをやれこれをやれ、というような指導をした筈です。

その上で視点を変えると、牧師や元教祖は、末端信者と同様に単に上を向いているだけではなく、下を向いて指導しなければならないわけです。上だけではなく下も向いて対応する一人二役というか。それで下を向いた時に、どういう指導するかという技術的な話が加わってくると思います。

一時期教団トップのような立場にいた小生もよく分かるのですが、下を向く立場になると、どうしても「ええ格好」をしなければならない場面があります。解脱の定義にもよりますが(その問題は置いておいて)、それで解脱を公言したという事ではないかと思われます。

例えば煩悩を有した魂が存在したとして、その魂を穢れた状態から引き揚げようと認識する事。この穢れた魂に対する認識は、認識主体の側に穢れを生じさせることとなります。認識主体の中に、「穢れ」が全く生じないとするならば、それはその穢れた魂を全く理解しない、全くの他人事として見ていることになります。これは生身の人間の指導者であっても、人間以上の魂であっても、同じです。

お腹の空いたアメリカ人が英語で「I'm hungry.」と訴えたとして、英語が理解できない人にはなんか言っている雑音としか聞こえません。その苦しみを解消させるには、同じように食欲が満たされない苦痛を思い起こす同情・共感が存在することになります。つまりその食欲という穢れの生起無しには、対象を救えないわけです。

20億以上の信者を有するキリスト教、その信仰対象のイエスが今どこで、その20億人に対して、どう認識しているかは存じませんが、その認識による穢れの生起は免れません。しかしどこで何をしているかすら知られない存在であれば、生身の人間のように揚げ足取りをされることもないでしょう。そのイエスに対する信仰が、信者の救いになっているなら、それはそれでいいのではないでしょうか?

生身のグルについて修行を勧めようとする場合、帰依の対象であるグルの穢れを現世的な思考で見るならば失敗する、と言われています。麻原元教祖だけではなく、色んな宗教の生身の教祖について、マスコミ含めた世間一般は俗物批判を繰り返します。それに乗っかってしまえば、修行は失敗するという事です。この意味において、小生は団体での経験を必要以上に語るつもりはありませんし、誰かを二度と指導する事がない元教祖についても余り触れる意味がないと考えます。

では、どのグルが自分を本当に導いてくれるのか?その問題は難しく、単にブログの一記事で正答など記しようがありません。ただ以前にもアングリマーラの話を挙げたように、解脱悟りに対する強い欲求があれば、結果的に導かれるという事です。単にネット検索しただけ、知ってそうな人に聞いてみただけ、それで答えの出る問題ではありません。

コメント


10、どうすれば心は静かになるのでしょうか?


「私は誰か?」
と尋ねることによってである。

「私は誰か?」
という想念は他のすべての想念を破壊するだろう。

そして燃えている薪の山をかき混ぜる木の棒のように、ついには
「私は誰か?」
という想念そのものも滅ぼされてしまうだろう。

そのとき真我は実現されるだろう。


11.「私は誰か?」という想念を絶えず心に保つにはどうすればよいでしょうか?


他の想念が起こっても、それを追いかけることをやめ、
「この想念は誰に起こったのだろうか?」
と尋ねるべきである。

どんなに多くの想念が起ころうとかまわない。
想念が起こるたびに
「この想念は誰に起こってきたのか?」
と入念に探究すべきである。

それに対して現われる答えは
「私に」だろう。

そこですぐに
「私は誰か?」
と探究すれば、心は源に引き戻され、起こった想念は静まるだろう。

このように修練を繰り返せば、
心は源にとどまることに熟達するだろう。

微細な心が脳や感覚器官を通って外に出ると
粗大な名前や形が現われる。

心がハートの中にとどまっていれば
名前と形は消え去る。

心を外に出さずにハートの中にとどめておくことは
「内にあること」(アンタール・ムカ)
と呼ばれる。

心をハートから外へ出させることは
「外へ向かうこと」(バヒール・ムカ)
として知られる。

このように、心がハートの中にとどまっているとき
すべての想念の源である「私」は消え去り
永遠に存在する真我が輝き出す。

人は何をするときにも
「私」という自我性なしにそれをすべきである。

もしそのように行動すれば、
すべてはシヴァ神の本性として現われるだろう。


~ ラマナ・マハルシ対話集「私は誰か?」より ~

タターガタ(如来)は二つの極端(快楽主義の左道と苦行主義の右道)を離れ、中道を悟った。

~ 仏陀最初の説法 初転法輪より ~


修行者たちよ
チャンダ(意欲)によってチッタ・エーカッガター(心の一点集中)を得たならば、これを名付けて
チャンダ・サマーディという。

修行者たちよ
ヴィリヤ(努力)によってチッタ・エーカッガター(心の一点集中)を得たならば、これを名付けて
ヴィリヤ・サマーディという。

修行者たちよ
チッタ(心)によってチッタ・エーカッガター(心の一点集中)を得たならば、これを名付けて
チッタ・サマーディという。

修行者たちよ
ヴィーマンサ(観察)によってチッタ・エーカッガター(心の一点集中)を得たならば、これを名付けて
ヴィーマンサ・サマーディという。

~ 仏陀の言葉 原始仏典 神足相応より ~


修行者たちよ
「修行者が広大無辺な心によって、光り輝く心を修習する」というのは何であろうか。

修行者たちよ
ここに修行者がいて、光の状態をよく保ち、一日中光の状態を完全に保っている。

このような状態を
「修行者が広大無辺な心によって、光り輝く心を修習する」というのである。

~ 仏陀の言葉 原始仏典 神足相応より ~


世尊は無上の法輪を回転させなさった。そして無量で巨大な光が現れた。

~ 仏陀最初の説法 初転法輪より ~



四つの無量の心がある。

友よ、ここに修行者が
慈しみ(メッター)に満ちた心を一つの方角に広げる。同じように第二、第三、第四の(方角に広げる)。
このように、上に、下に、横に、あらゆるところに、すべての場所に、世界中くまなく、
慈しみに満ちた、広く、大きく、無量の、恨みのない、怒りのない心を広げる。

哀れみ(カルナ―)に満ちた心を一つの方角に広げる。同じように第二、第三、第四の(方角に広げる)。
このように、上に、下に、横に、あらゆるところに、すべての場所に、世界中くまなく、
哀れみに満ちた、広く、大きく、無量の、恨みのない、怒りのない心を広げる。

喜び(ムディター)に満ちた心を一つの方角に広げる。同じように第二、第三、第四の(方角に広げる)。
このように、上に、下に、横に、あらゆるところに、すべての場所に、世界中くまなく、
喜びに満ちた、広く、大きく、無量の、恨みのない、怒りのない心を広げる。

平静(ウペッカー)に満ちた心を一つの方角に広げる。同じように第二、第三、第四の(方角に広げる)。
このように、上に、下に、横に、あらゆるところに、すべての場所に、世界中くまなく、
平静に満ちた、広く、大きく、無量の、恨みのない、怒りのない心を広げる。

~ 仏陀の言葉 原始仏典より ~


アーナンダよ、タターガタ(如来)は三千大世界を光で満たす。あるいは望むだけ。

~ 仏陀の言葉 原始仏典より ~


※三千大世界は広大無辺な宇宙空間をあらわす仏教の言葉


管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

↑ はい、データの交換が起きたんだと思います。

江戸のかたきを長崎で討つ。ようでありたい。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://alephnoda.blog85.fc2.com/tb.php/1583-8782c21b

 | HOME | 

プロフィール

alephnoda

alephnoda

野田成人のブログです
メール返事欲しい人は氏名・電話番号必須だけど、書いたからと言って返信が保証されるわけでもありません。結局人間関係は共通の関心ごとがないと成立しないのであって。私が内容に関心を持った場合にやり取りが成立します。
ブログ手伝ってくれるスタッフ募集中
メールは上の画像の vv9919662014 @ じーめいる。コム(gmailです)

月別アーカイヴ

2037-12 : 1
2024-02 : 3
2024-01 : 5
2023-12 : 4
2023-11 : 5
2023-10 : 5
2023-09 : 6
2023-08 : 5
2023-07 : 4
2023-06 : 4
2023-05 : 4
2023-04 : 3
2023-03 : 4
2023-02 : 3
2023-01 : 6
2022-12 : 3
2022-11 : 4
2022-10 : 5
2022-09 : 3
2022-08 : 5
2022-07 : 4
2022-06 : 5
2022-05 : 4
2022-04 : 4
2022-03 : 6
2022-02 : 5
2022-01 : 2
2021-12 : 4
2021-11 : 5
2021-10 : 7
2021-09 : 5
2021-08 : 4
2021-07 : 4
2021-06 : 4
2021-05 : 4
2021-04 : 5
2021-03 : 5
2021-02 : 5
2021-01 : 5
2020-12 : 5
2020-11 : 5
2020-10 : 5
2020-09 : 7
2020-08 : 5
2020-07 : 7
2020-06 : 5
2020-05 : 7
2020-04 : 1
2020-03 : 5
2020-02 : 5
2020-01 : 5
2019-12 : 5
2019-11 : 4
2019-10 : 7
2019-09 : 4
2019-08 : 5
2019-07 : 2
2019-06 : 5
2019-05 : 6
2019-04 : 3
2019-03 : 6
2019-02 : 5
2019-01 : 5
2018-12 : 6
2018-11 : 4
2018-10 : 4
2018-09 : 4
2018-08 : 4
2018-07 : 6
2018-06 : 6
2018-05 : 8
2018-04 : 6
2018-03 : 7
2018-02 : 5
2018-01 : 5
2017-12 : 5
2017-11 : 4
2017-10 : 2
2017-09 : 2
2017-08 : 4
2017-07 : 4
2017-06 : 6
2017-05 : 4
2017-04 : 6
2017-03 : 6
2017-02 : 6
2017-01 : 5
2016-12 : 5
2016-11 : 4
2016-10 : 3
2016-09 : 3
2016-08 : 4
2016-07 : 4
2016-06 : 5
2016-05 : 3
2016-04 : 6
2016-03 : 3
2016-02 : 4
2016-01 : 6
2015-12 : 7
2015-11 : 9
2015-10 : 7
2015-09 : 5
2015-08 : 6
2015-07 : 8
2015-06 : 6
2015-05 : 8
2015-04 : 8
2015-03 : 8
2015-02 : 11
2015-01 : 11
2014-12 : 5
2014-11 : 8
2014-10 : 9
2014-09 : 9
2014-08 : 7
2014-07 : 6
2014-06 : 5
2014-05 : 5
2014-04 : 9
2014-03 : 9
2014-02 : 6
2014-01 : 5
2013-12 : 2
2013-11 : 5
2013-10 : 8
2013-09 : 8
2013-08 : 9
2013-07 : 13
2013-06 : 8
2013-05 : 12
2013-04 : 8
2013-03 : 10
2013-02 : 9
2013-01 : 12
2012-12 : 6
2012-11 : 10
2012-10 : 9
2012-09 : 4
2012-08 : 9
2012-07 : 10
2012-06 : 8
2012-05 : 8
2012-04 : 6
2012-03 : 13
2012-02 : 14
2012-01 : 15
2011-12 : 9
2011-11 : 14
2011-10 : 6
2011-09 : 10
2011-08 : 8
2011-07 : 9
2011-06 : 11
2011-05 : 9
2011-04 : 6
2011-03 : 11
2011-02 : 4
2011-01 : 6
2010-12 : 6
2010-11 : 7
2010-10 : 9
2010-09 : 10
2010-08 : 10
2010-07 : 7
2010-06 : 7
2010-05 : 7
2010-04 : 6
2010-03 : 6
2010-02 : 7
2010-01 : 4
2009-12 : 2
2009-11 : 3
2009-10 : 5
2009-09 : 3
2009-08 : 4
2009-07 : 9
2009-06 : 10
2009-05 : 10
2009-04 : 13
2009-03 : 7
2009-02 : 1
2009-01 : 4
2008-12 : 9
2008-11 : 9
2008-10 : 6
2008-09 : 7
2008-08 : 7
2008-07 : 8
2008-06 : 5
2008-05 : 4
2008-04 : 7
2008-03 : 7
2008-02 : 7
2008-01 : 7
2007-12 : 10
2007-11 : 8
2007-10 : 5
2007-09 : 8
2007-08 : 12
2007-07 : 7
2007-06 : 15
2007-05 : 18
2007-04 : 9
2007-03 : 17
2006-04 : 1
2004-04 : 6
2004-03 : 8
2003-12 : 1
2003-09 : 2
[RSS 1.0]  [RSS FEED]