渋谷ホームレス殺人
64歳ホームレス女性に対して、「何もしなかったことによる罪があると感じる」とコメントしている人がいたことについて。この女性は大林さんというらしいですが、以下のような記事があった。
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大林さんの知人は「大林さんがホームレスになって、相当な期間がたつ。かなり精神的に疲労していたが、仕事への意欲はあった。生活保護申請すると、家族が養えないかで照会の作業がある。自分で働いて生きていこうと頑張っていたので、家族に迷惑をかけたくなかったんだと思う」と話した。
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人の迷惑にならないよう、終バスが出た2時ごろに来て、始発が来る5時にはその場を離れる。心配して声をかけた人にも「大丈夫」と答えていたという女性。
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ん~、多分大林さんに小生が声をかけたとしても、「大丈夫」と返答されて終わってたと思いますよ。
小生もホームレス支援を始めた11年前は、こういう路上で困ってそうな人に手あたり次第声をかけたりした時期もある。コメントにも書いた通り、名刺を差し出して必要なら支援ができる旨伝えるわけだが、大体はハズレ。
そのハズレにも、全く問題ない人で見込み違いのハズレと、本当に生活が困窮しているけど、本人の意思で支援を受けないというハズレがある。
後者の「本人の意思で支援を受けない」場合でも、小生はサッサと撤退する。というのもそういう人たちの意思は固く、容易なことでは覆らないから。
最近はどうか分からないが、以前は新宿や上野の公園にブルーシートでテントというか家を作っているホームレスが結構いた。当初小生もそういう人に声をかけて、長々と話をしたこともあった。が、話している内にほどなく分かったのは…
「俺たちは、行政とか人の世話にはならないんだ」
彼らがそのような矜持(きょうじ)で生きているんだな、と。そこで本人の意思を無視して支援を押し付けようものなら、「余計なお世話」以外の何物でもない。それから彼らに声をかけるのは止めにした。
多分他の支援団体でも、食料は提供しても、無理やり生活保護を取らせようという話にはならないだろう。難しいことに、行政の世話になりたくない路上生活者に、炊き出し等の食糧支援を提供することで、意図せずも路上生活の安定化・固定化を促してしまう事すらある(炊き出しで生きている)。勿論、長い間食料提供しつつ、彼らとの信頼関係を少しずつ確かなものにして、その上で生活保護などの支援に結び付けるようなケースもなくはないのではあるが…。
要するに、ホームレス支援のプロからしても、声かけたからってどうなる問題でもない事があり、恐らく大林さんはそのケース。。
じゃあ声をかけてもダメなんだったら、「(何もしなかった)罪」はどこから来ているのか?というか、どうやって罪を清算する話になるのかってことですが、それを理解いただく為に、最近あったやりとりを以下に記す。
小生の支援活動には、九州・北海道を除く全国から家のない人がやってくる。北陸の方から来た人から意見があった。彼は北陸で派遣の寮に入っていたところ、切られて家を失った方。
「北陸とか、地方ではこういう支援はできないんですかねぇ~、空き家とか一杯ありますし」
小生のような人間が北陸にいれば可能だろう。しかしそういう人がそもそも少ない。尚且つ東京に近い首都圏なら生活保護も取りやすいが、地方なら生活保護自体が取りづらい。まして況やシェアハウスではかなり困難。これに対して小生が答えた内容は
「結局、金が回る間は、知らない土地から来た知らない人間同士でも、お互いえびす顔で『有難うございます』ってお金が介在する関係が成り立つけど、金が回らなくなって逆回転する時は、手のひら返したように知らん顔する関係にしかならないから難しい」
わざわざ地方の寮付工場に働きに行くのは、金になる仕事があるから。市場競争・グローバル化で製造業も国際分業が進み、地球上で人や物の行き来が盛んになった。金になる仕事が存在し、その仕事ができる人であれば、誰でも受け入れられる。これが人間の労働力商品化。それによって世の中には物があふれ、生活が豊かになる。
生活が豊かになれば、人間関係がなくとも物と金で何とか生きていける。同時にグローバル化と多様化の流れと反比例するかのように、個々の人間の視野は狭くなる。これについては近代合理主義の個人主義の流れと考えて頂いてもいいですが。
しかしこの流れが一旦逆回転しだすと、杜子春のように手の平を返した冷たい扱いになる。そうでなくとも、お金が介在しないところ、利害関係のないところでは、全く赤の他人同士にしかならないのであり…。
渋谷ホームレス殺人事件の犯人については、以下のような記事があった。
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約30平米の部屋で母と二人で暮らしていた吉田は、町内ではクレーマーとして有名だった。
「彼は自分のルールやルーティンを乱されると、急にスイッチが入る。ある日、ガレージにシャッターを取り付けたところ、『勝手に外観を変えないでくれる!? うちの窓から見える景色が僕の全世界なんですよ』と怒鳴りこんできた」(知人)
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犯人だけをやり玉に挙げるわけではないですが、価値観が多様化する一方で個々の人間はそれぞれの狭い領域でしかものを考えられなくなっている。死者を鞭打つようで申し訳ないが、生活保護を受けないで頑張ってきた大林さんにも当然そういう視野の狭さ・思考の固さがあったわけであり…。
そうなると、豊かで便利な世の中自体が事件の背景を生み出した罪であって、誰もそれを逃れられないことになる。余りにも普遍的な価値基準に原因があると小生は考える。地球温暖化対策・大阪都構想含め、現代の政治家がやれる範囲の改革すら、全く無意味・無力。
(根底からひっくり返る以外無理でしょうねぇ~)
ってことで、その根幹に横たわる金融・経済に関して、アリの一穴程度でも打撃を与えんとして継続しているのが小生の生活保護支援活動。
「根底からひっくり返る以外無理でしょうね」という言葉を見て、
解決策は無いのだな...と思いました。
まぁ落胆していてもしょうがないので、自分にできることをしようと思います。
野田さんの考えはちょっと違うのかもしれませんけど。
素直な気持ち
はしためであったことは永遠にのこるであろう。
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