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元オウム教団幹部 野田成人のブログ

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以下の記事は良い記事なので保存。

教えないことが指導することの要諦。これは、宮大工の記事(観念3)に書いたことと同じ。 それを引用してあるノムさんの記事も参考までに。

教えてもらえない状況下の能動的な学びは、やりがい、生き甲斐につながる。

逆に最初から押し付けられたマニュアル仕事には、やりがいも生き甲斐も感じづらい。

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本質を理解させたければわざと「失敗」させよ

12/4(火) 6:00配信

「失敗」こそが能動的な学びを引き起こす。
 (篠原 信:農業研究者)

 阪神大震災でボランティアに来ていた女子学生がいた。

 左手を絆創膏だらけにして、「こんなことなら、お母さんに料理を習っとくんだった」と、泣きながら、しかし必死になって、被災者の方たちのために料理を作っていた。ボランティアに来るまで、包丁を握ったことがほとんどなかったのだという。絆創膏は、包丁の扱いを誤って血だらけになった証だった。

 しかし私は、この経験は決して無駄にならないと思った。

 「きっとこの女性は、これから必死になって料理を習い、覚えようとするだろう」

■ 「分かりやすい」は定着しない

 私は塾で子どもを指導していたとき、正解をいかに分かりやすく説明するかに腐心していた。私自身、物分りの悪い子どもだったので、理解力の乏しい子どもにも噛み砕いて説明することには自信があった。実際、子どもたちは「すごくよく分かった!  どうしていままでこんな風に教えてくれなかったんだろう!」と、深く感動してくれた。私はずいぶん得意に思ったものだ。

 ところが、翌日になると見事に忘れている。あれほど感心し、その場で本人もきちんと解いてみせたから、もうできるようになったはずなのに。本人に聞くと、「すごくよく分かったと感動したことは覚えている」という。しかし、何が分かったのかはちっとも憶えていない。仕方なく、もう一度教えると、「ああ、それね、分かった、分かった。思い出した。もう大丈夫だよ」という。

 しかしまた翌日になると、きれいさっぱり忘れている。「分かったような気がしたんだけどねー」。・・・エンドレス。ちっとも覚えてくれやしない。私の教え方は、本当によく理解できるらしく、その場ではできるのに、翌日になるときれいに忘れてしまう。

 記憶力が弱いのか?  いや、そうでもない。大好きなマンガのシーンは、一読しただけで「あ、あれね!」と、セリフを正確に再現したりする。何がまずいのだろう? 

 私は、研究者として講演依頼を受けることが多い。私のプレゼンは大変分かりやすいらしく、とあるメーカーの方がえらく感動して、「すごくよく分かりました!  資料いただけますか。社内でぜひ説明したいです!」と頼まれたので、資料を渡しておいた。

 ところが数日後、「意気込んでいざ、社内の人間にプレゼンしようとしたら、まったく言葉が出てこなくて・・・。あんなに分かった気がしていたから、簡単に説明できると思ったのに・・・。すみませんが、そちらに伺うので、もう一度話を聞かせてもらえませんか?」と電話があった。分かりやすいのに、深く理解できたと思うのに、なぜその人は社内で説明することができなかったのだろう? 

■ 「教えない」指導

 ・・・私はある日から、子どもの指導も、学生の指導も、「教えない」ことにしてみた。私自身を振り返ってみると、まずはやってみて失敗し、失敗をよく観察することで、うまくいく方法を模索し、また試してみて・・・という、トライ&エラーを繰り返すことで、一つひとつマスターしていた。ならば、子どもも学生も、「失敗」を疑似体験してもらったほうがよいのではないか、と考えたためだ。

 「先生、これどうしたらいいですか?」と尋ねてくる子ども。

 「どうしたらいいかなあ。教科書を読んでごらん」と私。

 キョトンとする子ども。

 「・・・分からないから聞いているんだけど?」

 「大丈夫、読めば分かる。教科書のどこかに書いてあるから、読んでごらん」

 「分からないんだから、読んだって分かるわけないじゃん!  教えてよ!  ね、お願い」

 「大丈夫、君なら見つけられる。教科書を読んでごらん」

 押し問答を繰り返し、本当にこの人は教えてくれないんだと思った子ども。ペラペラ教科書をめくりながら、「この辺かなあ」といいながら、私の目を覗き込む。私の様子を見て、アタリをつけようとしているらしい。

 「君がそう思うなら、そこを読んでごらん」

 やった、アタリがついたと喜んで読んでみたら、まったく見当外れの場所。腹を立て、

 「ねえ!  少しくらい教えてくれたっていいでしょ!  ケチ!」

 私はまっすぐ子どもと向き合い、「大丈夫、君ならきっと見つけられる。教科書を最初から眺めて、探してごらん」。

 「わ!  か!  ら!  な!  い!  って、言ってるのに!」とかんしゃくを起こし、子どもによっては、ワンワン泣き始める。

 少し落ち着いたところで、私は「大丈夫、君ならきっと分かる。教科書を読んでごらん」と励ます。

 「はあああ!」深ーく、これ見よがしなため息。本当にこの人は教えてくれないんだ、とほとんどヤケになって、教科書を嫌そうにめくり始める。すると、問題とよく似た記述が目に入る。

 「先生、ここ、似てる」

 「そうか、よく気づいたね。よく読んでから、問題を解いてごらん」

 文章を読んで理解する、ということ自体をやったことがない子どもだから、読むのにもえらく時間がかかる。私は新聞を読みながら、横目でその様子を見守る。

 やがて解いてみる。「先生、これ」。

 マル。

 「よく自分だけの力で頑張ったな」

 とたんに有頂天。「ここ、似てると思ったんだよね!」。大興奮。なにせ、先生の力を借りず、全部自分の力で教科書を読み、理解し、解けたのだから。生まれて初めて。

 「よし、その調子でほかのも解いてごらん」というと、「うん!」と、勢いよく返事する。こうなると、その子どもは自主的に学びだす。たまに私がわざと「あ、それはね」と教えようとするとひどく嫌がり、「教えないで!  自分で考えるから!」と、慌てて拒否する。教えてもらうことは、意地悪されることに意味が変わってしまったからだ。

■ 「失敗」で刺激される思考

 学生の指導でも、同様。実験中、予想とは違う結果が出た。学生は失敗した、という。

 「先生、どうしたらよいでしょうか」と尋ねてくる。

 「そうだねえ、どうしたらいいんだろうね。僕も見当がつかないね。どうしよう?」と答えると、ビックリしたような顔で私を見る。

 「・・・分かりません」

 「そうだね、分からないね。僕も分からないから、何が起きたのか、丁寧に見ていこうか。このデータ、こういう数字が出ているけれど、これって何が起きたからなんだろう?」

 何か試されているのだろうか、と不安そうな学生。「・・・分かりません」。

 どうするか教えるのが指導者だろ、と、いろいろ不思議そう。

 「私も分からないんだよねえ。どうせ分からないもの同士だ、何でも気づいたことがあったら、言ってみて。今のところは、正解が何かなんてことは忘れてしまおうじゃないか。私も何が正解かなんて分からないし」と伝えると、オズオズと学生は答える。

 「お、なるほど、それは気づかなかったな。他には?」

 「だとすると、どういうことが起きたんだろう?  何でもいいから、仮説を言ってみてくれる?」

 そうして学生の発言を促すことで、学生の思考が刺激される。失敗は失敗ではなく、私たちが予想したこととは違う「別の何か」の存在に気づきだす。

 「お、いいね。その『何か』を突き止めるには、どういう実験を組んだらよいだろう?」と尋ねると、こうしてみてはどうか、という提案が出てくる。

 「それだとこういう結果が分かるね。ただ、まだここが検証できない。それを検証するには?」どんどん答えさせて、思考を緻密にする。

 こうしたやり取りをすると、学生は自分で考え、自分で取り組みだす。

 ところが、実験が「成功」するとうまくいかない。成功するということは、今までの理論で説明できる現象でしかなかったということで、つまらない。「失敗」したときこそ、思考が大いに刺激される。失敗は、濃密に思考を刺激することができる、すばらしい体験だ。

 私は、学生を指導する場合、わざと失敗してもらうことにしている。機械の使い方でも、危険がない限り、ありがちな失敗は、わざと失敗してもらう。すると、頭に刻み込まれる。

 人間は、何の失敗もせずにうまくいってしまったときは、何の感動もないため、何の記憶も刻まれない。しかし失敗に失敗を重ねた上、ようやくたどり着いた成功には、感動を覚え、決して忘れない。しかもその成功への道のりが、人から教えてもらったのではなく、(なるべく)自力でたどり着いたものであればなおさら。

 だから、私は、危険がないように見守るが、危険のない失敗、あるいは危険なことは「擬似失敗」(それを本当にやったら、こうなるよ、という説明をする)を体験してもらう。そしてなかなか成功させないと、逆に、二度と忘れない。

 しかも、失敗という失敗を重ねているから、仕組みをよく理解し、まだ経験していない失敗でも、「こうすれば大変なことになるだろうな」と予測することができ、失敗をあらかじめ回避できるようになる。豊富な失敗体験があるから、それを前向きに評価するから、理解力と推察力が高まる。

■ 「失敗」を前向きに評価せよ

 現代の指導者は、若者が「失敗しないように」、丁寧に教えようとする。しかし、それがあだとなって、仕組みを十分理解できず、指導者が予想もしないような、まさかという大失敗をやらかすことがある。

 「教える」という行為は、指導を受ける身からすれば、受動的だ。受け身だから、なんだか身が入らない。頭にも残らない。

 しかし、「教えない」指導法は、自分で考え、答え、試してみないといけない。能動的に考え、能動的に仮説を立て、能動的に実験する必要がある。このため、頭に記憶が刻まれるのだ。

 失敗は、そうして能動的に動いたときに、すばらしい学習効果をもたらす。「あれだけ考えたから、うまくいくと思ったのに!  なぜうまくいかなかったんだ?」。鵜の目鷹の目で、その現象を、しゃぶりつくすように観察する。失敗からものすごい情報を学び取る。能動的に動いたからこそ、学ばずにはいられないのだ。

 私は、もっと「失敗」を前向きに評価したほうがよいように思う。冒頭に紹介したボランティアのように、失敗した体験は、深く刻まれ、上達しようという意欲を引き出す大いなるきっかけになる。被災者のために料理を作ろうと「能動的」になった。しかし失敗の連続。そうなると、必死になって上手くなろうとする。

 これがもし、本人の意思ではなく、命令だったら違っただろう。「私は料理したことがないのに!」と文句ばかり出て、手が血だらけになったことに腹が立つばかりで、命令した人間を恨むかもしれない。「受け身」で始めたことは、失敗の原因を「命令した人間の指導力のなさ」に求め、学ぶ姿勢が失われるからだ。

 しかし、自分から能動的に動いて失敗した場合は、必死に失敗から学ぼうとする。その意欲はすさまじいものになる。このときに成立した学びは、最初からエレガントな「正解」を教えてもらうよりも、はるかに深い学びになる。

 失敗を恐れるのではなく、すばらしいきっかけが得られたのだと喜んでみてはどうだろう。目下の課題を解決するという意味では遠回りだが、若者の成長という意味では、最速、最良の結果が得られることだろう。なにせ、「上手くいく方法」だけを学ぶのではなく、「その現象そのもの」すべてを学び、失敗も成功も含めて、深く深く理解するのだから。

 失敗恐怖症から、そろそろ日本も脱却し、失敗から学ぶことの楽しさに目覚めてみてはどうだろうか。

篠原 信

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