元オウム教団幹部 野田成人のブログ

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前回記事で、グローバリズムにおける雁字搦めの規律・縛りが、人間の生き甲斐やアイデンティティーの問題となることに触れた。噛み砕いて言えば、マニュアル通りの働き方、生き方が面白いかどうか、ということである。これについて少し考察してみる。

マニュアル通りの生き方が問題である、という提起は、体制側から呈示されることはまずない。なぜなら、体制側にとっては、マニュアル通りに生きてくれる人間こそが、体制側にとって扱いやすく有難い人間だからであり、体制側はむしろ一般大衆をその枠組みに填め込もうとする。

そもそもマニュアルとは、どういうものであろうか?営業マニュアルにしろ、接客マニュアルにしろ、そのマニュアル通りにやれば、地雷を踏まずに首尾よく成功する確率が高い。そのようなノウハウ蓄積の集大成がマニュアルであるとも言える。

どのようなマニュアルであれ、マニュアルが作成・完成するまでは、試行錯誤や紆余曲折のようなものがあったであろう。マニュアルの裏には、様々な失敗の経験がある。マニュアルを作った側からすれば、失敗を通して成功に至ったビジネスの集大成と言えるかもしれない。

しかし最初からマニュアルを与えられた新入社員の側からすればどうであろうか?失敗の経験が無ければ、「なぜマニュアルはこのやり方を推奨するのか」が理解しづらい。仮にマニュアル記載事項の背景にある失敗談を聞いたとしても、それは生の体験ではない。生の体験を通さず、「あれをやっちゃだめ、これをやっちゃだめ」という枠組みだけが先に決められている生き方は面白いだろうか?既存のやり方にはめられることは、失敗しながらも色々な試行錯誤や工夫をして創造するチャンスやその過程における喜びを奪われているに等しい。

喩えて言うならば、これは数学の問題を見て、直ぐに回答を覚えさせられるようなものである。読者の中でどれだけ共感できる人がいるかは分からないが、数学が好きな人間は、頭をひねらせながら問題を解く過程が面白いのである。「1+1=2」のように、最初から簡単に解けてしまう問題だと何の面白みもない。一見して回答にすぐには辿り着けそうにない所、あれこれと頭の中の思考を巡らせ、その過程を紙に書いたりしながら、答えを導き出すのが面白いのである。

しかしマニュアルというのは、問題の回答である。数学問題の解答丸暗記ほどつまらないものはない。しかも自らの頭と体で試行錯誤することがないとするならば、その個人の思考力・想像力・行動力というものは、劣化していく一方である。

現代の若者は、子供の頃からこれがデフォルトの教育であり、当たり前の環境になっている。社会における価値観は多様であり、選択肢は多い。にもかかわらず、その中で親から望まれる成功のパターンは、良い大学を出て良い企業に入る、あるいは公務員、弁護士、医師になるなどである。その成功パターンに乗るよう親は逆算して、「あれやっちゃダメ、これやっちゃダメ」と選択肢を狭めつつ、塾や習い事ばかりを押し付ける。そして膨大な知識を詰め込み、ほとんど○×式に近い回答練習ばかりを繰り返すという、型にはめられた6・3・3教育をこなしていく。

しかし本来子供というものは、好奇心から何でも試してみたい存在である。危険なことであろうと何であろうと、触れてみたりして、時には痛い思いをする。その生の実体験から、子供は思考力や創造力を身に着けていく。現代の若者には、この創造のための試行錯誤プロセスが欠落している。これについては、拙ブログの「三鷹光機」の記事を参照されたし。該当箇所を下記に引用する。

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@創造力の原点はこどもの遊び

他の子供がそうだったように、子供の頃の勝重も創意工夫を働かせて自分の遊び道具を作った。

遊びで使う刀を作った時のこと。木を鉋で削って刀を作ったが、どうしても日本刀の反りが出せない。いろいろ考えた勝重は野川の土手に生えていた低木に石をぶら下げた。石の重みで木がしならせるためだ。そして、ちょうどいい反りが出たところで木を切り、刀を仕上げた。絵を描くための墨がなかった時も、天文台で紙の燃えかすをもらって墨汁を作った。裏を返せば、自分の力で考え抜くという行動原理が見についたのは何もなかったため。モノがなければ考える――。人はそういう風にできている。

だが、現実を見れば、遊びの中で創意工夫を発揮する場面はめっきり減った。何かを作ろうと刃物に触っても、「危ないのでやめなさい」と大人は止める。「無からモノを作る原点は子供の時の遊び。そう考えると、今の子供はかわいそうだね。だって、遊びまで大人が取り上げているからね。子供ほどの天才はいないのに」と勝重が嘆くように、遊びを通して何かを作るという機会は失われつつある。

もちろん、勝重が幼少期を過ごした昭和20年代と今では時代が違う。だが、作りたい何かを思い描き、答のない中で知恵を絞って理想の形に近づける。この反復運動以外に、創造性を身につける術はない。教科書の知識を積み重ねただけでは、無から有を生む力は得られないということだ。

そう信じているがゆえに、勝重は社員にものを教えない。

新入社員に求めるのは、先輩社員の動作を見て覚えること。学歴がどれほど高くても、観察ができない人間はものづくりに向いていないと判断する。そして、実際に触らせる。ドリルやバイトなどの切削工具も使い方は教えるが、コツは教えない。材料も高価な材料を惜しげもなく与えている。

当然、うまく削れず、ドリルやバイトが破断することも少なくない。結果として、工具や材料は無駄になる。それでも、勝重は気にしない。先輩と自分の違いを観察し、うまくいくように自分の頭で考える。それが、無から有を生む基礎になる、と考えるためだ。「板前が腐ったマグロで刺身の練習をしても意味がないでしょう」と勝重は笑う。

@「見て覚える。また見て覚えろ」

赤ん坊は二本足で立つ時に倒れて泣き、歩けるようになった後も壁におでこをぶつけて泣く。言葉をしゃべり出した後も、親や兄弟に悪口を言っては怒られる。このように、いいことも悪いこともやってみて覚えるもの。創造性はその過程で育まれる。「だから、教えちゃいけない。『見て覚えろ。また見て覚えろ。さらに見て覚えろ』。これ以外にないですね」。

こういった三鷹光器のやり方は古くさく、時間とカネが余計にかかる。だが、ここまでしなければ、三鷹光器のアイデンティティは維持できない。迂遠に感じるが、自分で解決策を考え抜く癖をつけない限り、無から有を生むことはできないということだ。現実を見れば、勝重が求める人材は減り続けている。人材育成の難しさは増しているが、愚直に人材を育てない限り、会社の未来が描けない。
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小生がこの記事で指摘したいことは、人間の存在意義・人生の意味・生き甲斐というものを考えた時、個々人の自由意思による創造過程は極めて重要である、という点だ。既存の社会システムが何もない所から始まる時、何もない所から色々なものを創造する余地は大きく、万民がこれを共有できる。しかしシステムがあらかた完成してしまうと、創造の余地は少なくなり、与れる人間も限られてくる。これが現代である。

現代の格差社会においては、大多数の構成員が狭い檻の中で飼いならされた家畜のようになってしまう。飼いならされた社畜は、規定された枠組みには群れをなしつつ従順に従うが、当然これは表の顔である。前回記したように、その抑圧された内面ではストレス・怒りを蓄積する。狭い所に閉じ込められた彼らの一部は、いじめを起こす(参照記事「いじめたくなる環境」)。

しかし群れをなして大勢に従う者ばかりではなく、群れから離れる「カモメのジョナサン」的な生き方を模索する者も出現する。集団の中でいじめが存在するならば尚更である。昨年そのような日本人でニュースになった人物もいた。

欧米では、十代の少年少女らがイスラム国に参加したケースがいくつか報道されている。彼らは「イスラム国の宣伝ビデオに洗脳された」とされている。しかし別の視点に立てば、家族関係を含めた人間関係において、自分の居場所・生き甲斐やり甲斐・アイデンティティーに問題があり、そこから逃れたいという要因があった、とみるべきであろう。広い意味で、グローバリズムが呈示する窮屈な枠組みではない選択をした、とも言える。

(試行錯誤で文章にまとめていますが、多分続くでしょう)

コメント


中心とつながる力を育む  

    
みなさん、こんにちは。

さてさて、今日は子育てや教育における「危険の役割」と、「中心につながる」というお話しをしたいと思います。


【危険は偉大な師である】

気候も良くなってきたことで、先日は家族で田舎に帰省しておりました。

そこで、毎年のことですが、子供達を連れて近所の山に登りました。

山道を歩いていると、ロッククライミングができそうな崖が出てきたりします。

そういう時はいつもそうなのですが、

「のん。この崖登ってみ!」

と言って、崖を登らせます。

なんでそんなことするのか? と言われると困りますが

あえて言うとすれば、そこに崖があるからです。冗談です(笑)。

『危険』というものが如何に人を育てるかを知っているからです。

子供達は「え~、登れるかな~?」などと言いながら、嬉しそうに登っていきます。
「おお~。やるやん。」と、おだてると更に得意気になって登っていきます(笑)。

子供は身体を使ったチャレンジが大好きですね。

そして登ったら当然今度は下りてくるわけですが

崖は登るのは簡単でも下りるのは怖いものです。

「あかん。怖い。あぁぁ。」と娘の足がすくみます。

崖を握りしめている手は自ずと力が入りプルプルと震えます。

生命の危機を感じてます。

「あぁ。助けて。」

弱気なことを言います。

「大丈夫や。自分で下りてみ。」と私は励まします。

「えぇ~」

娘は足で崖をさすりながら、足場になるとっかかりを探しています。

「そう。大丈夫や。落ちたら受け止めたる。」

「うぅぅ……。」

弱気な声を上げます。

「こっちを見るな! 自分でちゃんと察知するんや。行けるかどうか。その足場で大丈夫かどうかは、のんしか分からん。自分の感覚を頼るんや。」

「……。」

意識が集中して感覚が研ぎ澄まされたのがわかります。

「そうや。自分の中の感覚を信じるんや。どうしたらええかは、のんの感覚が知ってる。」

「……。」

「そう。ええぞ。」

「……。」

一つ一つ足場を探り、体重をかけては強度を確認し、自分の力で下りてきます。

そして無事、地面に着地しました。

「そう! よくやった。ええぞ。安全かどうかは、のんの感覚が一番頼りになるからな。わかるか?」

「うん。」

誇らしそうな娘の顔に、父としても嬉しくなります。

山に登ってこういう体験をする度に、子供達がほんの短時間で頼もしく成長していくことに驚きます。表情が凛として、動物的と言ってよいような覇気を発するのです。

それこそが危険に晒される中で教育することの力だと私は思っています。

父性的な教育の目指すところです。

そして、今回特にお伝えしたかったのは、こういった教育を通じて、自分の中心とつながるサポートをすることがいかに大切か、ということです。


【中心とつながる教育、中心から離れる教育】

最初、崖を下りる恐怖を感じた時、娘は私を見て助けを求めました。

足をどこに置いて、手はどこを持ったら良いのか、客観的な指示を求めました。

でもそれをやってしまうと、判断や指示系統が私になり、子供は自分の中心につながるのではなく、私につながることになります。子供は指示を待つ単なる肉体となります。

それでは彼女に生きる力を与えてあげられないのです。

私が教えたかったのは、危機を感じた時にも自分の中心とつながり、自分のセンサーを信頼する力を養うことです。それは危機にさらされた中でも自己一致感を保ち続けることとも言えます。

ブルース・リーに言わせると、「Don't think! Feel!」ですね(笑)。

敵と相対して死の恐怖の中にいても自分の中心とのつながりを切らないこと。

思考を捨てて感覚を信頼すること。これは武道の要諦です。

そしてこれは人生を生きる上でも大切な姿勢です。

自分の中心につながり、自分の感覚を信じて選択すること。

そして間違ったら修正することを通じて徐々に感覚の精度を高めていくこと。

その積み重ねによって、生きるセンスを高める。

その繰り返しによって自己信頼、つまり自信を深めていく。

それが自己成長の王道です。

逆に激しい指示出しによって、子供に中心から切り離されるメカニズムを与えてしまうと、危機や緊張に瀕した瞬間に自分とのつながりが断ち切れて、意識が周りに行き、中心を欠いたあたふたした動きをするようになってしまいます。

あなたも、そんな子を目にしたことはありませんか?

大切な本番になると、動きがちぐはぐになって力を発揮できない子を。

その子は決して能力が無いわけではありません。

自分の中心から切り離されて、持っている能力を統合して出力できなくなっているだけなのです。

【その声がけの意図はどちらか?】

つまり親としての関わりや教育にも、2種類の方向があります。

1つは、子供自身が自分の中心感覚につながること、そしてそこを信頼することをサポートする教育。

もう1つは、子供に自分の中心への信頼を損なわせ、外側(多くは大人)のメッセージに従うように方向付ける教育です。

前者は自己信頼という安定した土台の上に教育や経験が積み上がり、才能を上手に使える子供になっていきます。

後者は努力の割には自信が持てなくて、指示が無いと上手く力を発揮できなかったり、周りの目が気になる子供に育ちます。

同じかけ声をかけたとしても、それが子供が中心につながるためのサポートなのか、中心から切り離すサポートなのか。

そこを見ることが大切ですね。

大人側の意図によって言葉に乗るエネルギーが変わり、子供の無意識にかかる作用が変わります。そしてやがては、その子の在り方が変わります。

とても大切なことなので、意識してみてくださいね。


~ 佐原幹春さんのメッセージ ~


中道


中道を実践しなさい。


自己を帰依処としなさい。


自己を灯明としなさい。


~ 仏陀釈迦牟尼の言葉 ~


7日目追記
今回の内容は、だまされたと思って6:30まで聞いてみ

7日目追記2
6:30まで聞いて少しでも面白いと思ったら、試しに
8:32まで聞いてみ

久しぶりにコメントさせていただきます。
私はマニュアルを作る側の立場なのでとても興味深く読ませていただきました。
いくつか思ったことがありますので書かせていただきます。

1.マニュアルとは失敗させないためのものである
試行錯誤のために生まれたマニュアルというのは最低限の失敗をさせないためのものです。マニュアルというか、システム化されたものは全てその集合体です。
現在の複雑化を極めたあらゆるシステムは個人の人智で及ぶようなものではありません。

2.マニュアルは関与されて進化する
マニュアルというのはすべての参加者が進化させるものです。特に日本においては現場発の意見が多く反映させられる場合が多いです。というか、そうでない上からの押し付けのマニュアルというのは失敗します。
QC活動と言われるようなものは現場発の意見を反映し、作られてゆくものです。

3.マニュアル好きの人のほうが遥かに多い
創造的な能力を発揮できる人は、物凄く少ないです。多くの場合、与えられたものをその通りこなすということだけが好きな人のほうが多いです。
私の見たところ9割以上の人はそうです。しかし、創造的なものを生み出さない場合でも反対意見は多く生まれるのですが、何らそこから新しい物を生み出す意見はほとんど生まれません。要するに文句だけを言うのが好き、というケースが非常に多いわけです。
個人のエゴを優先すれば企業、組織、社会は成り立たず難しい選択になるわけです。
多くの場合、個人の利益しか考えないため、そのような意見を取り入れるだけでは社会は成り立たないでしょう。

上の ”マニュアル” さん、北朝鮮で働けばいいんじゃない。

あんたの言うところの「社会」ってのがどんなものか知らないけどさ、善人面して人の悪口言うのは、「最低」。

残念ながら人間の能力は平等ではない。
公平であるべきであるが、能力は同じではない。
人の上に立つということは公平にその能力を判断しなければならない。
であるからこそ、上に立つ人間にはフィロソフィーが必要なのだ。
上に立つ人のフィロソフィーの欠如した組織は、宗教でも民間企業でも国でも堕落する。

ピーチクパーチクうるせえーな。

麻原屋

マニュアル屋さんへ

よりよいマニュアルを作るとした場合、古いやり方を一掃するような形でガラッと根本から変えていく必要があったりすると思います。そうではなく、古いやり方の根本を変えずにやろうとすると、どんどん詳細箇所での矛盾や歪みが少しずつ増大していくはずです。

問題は、今の資本主義・民主主義(特に前者)が、様々な歪みを孕むものになっているに関わらず、根幹のシステムを変更できないというところです。


野田さん、その通りです。
小手先の変換は大した意味はありません。誰でも出来ることです。
ですから多くの場合、根本的に変える必要があります。技術的な側面においてはめったにないことですが、そういったことが出来ることのほうが案外多いですね。

>問題は、今の資本主義・民主主義(特に前者)が、様々な歪みを孕むものになっているに関わらず、根幹のシステムを変更できないというところです。

同意いたします。
しかしながらその点に関しては私自身ができることは選挙の投票程度であり、何も出来ません。
クライアントには何が起こっても対応できるようにするという対処方法以外にはアドバイスしておりません。
また、現在、国という単位での活動はほとんど意味を成さなくなっており、日本の国自体の変換にはあまり期待しておりません。
想像ですが世界的な経済的カタストロフィが起きる時以外には変わることはないでしょう。
本当の危機的状況時以外には人間の大多数は動かないし、行動を起こしません。殆どの人にできるのは、その時に備えるだけのことだと考えております。

一番言いたいのは、宗教を信じて活動する人間は典型的なマニュアル人間であるということです。
生き方をマニュアル化されるということの意味すらわかっていないということだと考えています。
それが楽だからなのだと思っております。

それに較べれば仕事のマニュアル化など大した問題ではありません。

野田さん及びマニュアル屋さんへ

お二方の御議論、興味深く拝読させていただきました。
もしよろしければ、私に末席を汚させては頂けないでしょうか。

近代経済学の祖、アダムスミスは、言うまでもなく資本主義の提唱者ですが、一方で彼は、他者に対する共感の必要性を力説しております。
他者は包含的概念ですから、ここでは喜怒哀楽を持つすべての存在を差しているとみてよろしいかと存じます。
言うまでもなく、経済的困窮は、社会生活を維持することを困難にしますし、生命を奪われることは、最大の苦痛をその者に与えます。
そして、「共感」を前提する以上、自分にとって耐え難い苦痛を他者に与えることは、否定されます。
すなわち、資本主義にあっては、誰かを極度の貧困に追いやったり、その生存を危うくすることは、否定されるのです、たとえそれが自由競争の経緯・結果であったとしても。

一方、冷戦終了後、野放図となったマネーゲームは、世界規模での勝ち組と負け組、地球規模での環境破壊をもたらしました。
競争自体が、多くの生き物にとっての生存の否定を生み出しているのです。
これは、資本主義ではありません。弾丸を貨幣に替えただけの戦争行為であります。

資本主義が確立した18世紀は、同時に近代人権思想の確立期でもありました。
その骨子は、「人は生まれながらにして平等であり、健康で文化的な生存を実現するだけの財を有する権利を持つ一方、自己のなした行為につき責任を負う」というものです。
あえていうと、資本主義と人権の尊重は双子の両輪であり、どちらが欠けてもその目的は達成されないのであります。
しかし、現代における経済競争にあっては、かかる人権の尊重は参加資格となっておりません。

人間の自由な活動を肯定し、その可能性を増大させることを目的とする資本主義思想は、否定されるものではないものと存じます。
しかしながら、「資本主義」を機能させる前提となる「道義性」が、今見失われつつあるように思われます。

資本主義の定義にもよりますが、いずれにせよどういう理念・思想・システムであれ、それが多くの人を巻き込む巨大なシステムになっていくにつれて、最初のものからズレて行きます。その要因の一つは、構成員がその原理を理解するのではなく、ルーチン化した単純作業に囚われ、それに甘んじるようになるから、とも言えます。

資本主義においては、単にお金(を稼ぐ)ことが、人との繋がりより重視されていくことであり、何度も説いていますが、オウムのグルイズムにおいては、グルを盲信することが、他のすべてより優先されてしまうことです。後者の結末としてあの事件が起きたわけであり、前者の結末としても、システム自体の自滅を導くことになるであろうと予測してます。

構成員が目の前のこと(お金、あるいはグルイズム)だけに囚われることにより、システム全体が迷走していく過程は、誰もそれほど悪気はなく、むしろクソ真面目・真剣にその正義を追求することにより狂っていくという「凡庸なる悪」のようなものです。

この集団の方向性は容易に変更できるものではなく、痛い目を見なければ結局無理なのではないか、と私は考えています。今に至って、アレフの構成員は、どれ程社会との摩擦が起きようとも、「グルグルグル」とやることが正義だと思ってますし、今の社会の過半数の人々は、経済成長が社会正義であり、もっと露骨に言えば自分にお金が回ってくることを良しとしているわけです。

野田さんへ。

御返信ありがとうございます。

資本主義システムの自滅・「痛い目」の到来、とは、環境破壊による異常気象・天災の頻発、モラルハザードによる社会の衰退、ボーダーレス犯罪の増加、地域紛争・国家間戦争の増大、そしてこれらの複合作用による文明の衰退あるいは人類存続の危機を意味していると捉えてよろしいのでしょうか。

将来を予測するのは困難なことです。確かに、人類は、自己責任から生じる帰結として、「絶滅する自由」をも有しています。また、地球という大自然は、必ずしも人類の存在を必要としておりません。

しかしながら、私は、人類が滅亡するとは予測しておりません。

理由は簡単なことです。破滅と存続の二つの道が提示される時、人類が自滅の道を選ぶとは考えにくいのです。

野田さんは、人類史における教訓から、人類は「痛い目」に合うしかないと予測しておられます。しかし、人類の歴史は、同時に、人類が進歩してきた・争いによらずして対立を解決してきたことをも明示しています。

第二次世界大戦まで、人類はイデオロギー上の対立を戦争によってしか解決できませんでした。
しかし、その後現れたイデオロギー対立、資本主義と共産主義の対立―冷戦は、熱核戦争によらずして解決されております。
四十年以上にわたって展開された冷戦期間中に現れた諸々の危機に際して、人類が案出しそして実行した破滅回避の努力は、それは見事なものでありました。両次対戦前夜に展開された欧州諸国首脳の駆け引きなどとは比較になりません。

人類は、確かに進歩しているのであります。

人類は、過去の失敗から学ぶ能力があります。
たとえば、台風による堤防の決壊は、幾多の苦痛と涙を生み出します。しかし、この苦しい経験を無駄にさせまいとする努力が、成功で頑丈な治水技術を生み出し、その後、多くの命を救ってきたのであります。

かくして人類は存続し、より高度の文明を生み出してきました。
今、私たちがこのようにお話しできるのも、過去数千年に亘って繰り返されてきた人類の過ちと涙と努力の賜物であります。

大戦中に犠牲となった五千万の人々が人類の進歩と存続を招来した如く、今日、地球規模で現出している異常気象・天災、その他諸々の困難による犠牲者は、人類全体を絶滅から救うはずであります。

野田さんが、今日、過去の経験から学び、そして諸々の試行錯誤を繰り返されているのは、とりもなおさず、人類が生き残りそして今日の文明を築いてきたのと同じ道を敷衍しているように思われてなりません。

私たちのためにお働きいただき、感謝しております。

>私たちのためにお働きいただき、感謝しております。

いや、まあなんと返して良いか困っちゃいますが…

私は人類の文明は12000年前に一度滅んだと考えています。勿論その時に人類が滅亡したわけではなく…、それ以上はここでは言いません、関心がある人は岩槻(←南浦和から引っ越した)まで話を聞きに来てください。

今回の文明が滅ぶ前には、今の経済システムが再生不能になるようなクラッシュが起こるだろうと考えています。それはハイパーインフレかも知れないし、それ以外かも知れませんが、現時点では専門家含めて誰も具体的には予想しえないブラックスワンです。しかし起こった後は、「必然的に起こった人災であり人類は愚かであった」と評価されることに間違いありません(起こったなら)。

そもそも今のマイナス金利だ、国債バブルだ、経済成長率が~、とか言ってる状況が、あと1万年続くと思いますか?1000年続くと思いますか?私は10年程度なら続いても、50年も続かないと思ってます。

12800年周期というのは、地球の歳差運動の半周期です。あと40数億年続くという地球からすれば、人間の存在など人間の大腸に住む細菌みたいなものでしょう。高々人間ですよ。


過去の失敗

ヒロシマナガサキ
スリーマイル
チェルノブイリ
東海村

フクシマ

川内・伊方

学べてる?
進歩してる?

野田さんへ。

重ねての御返信、真に有難うございます。

12000年前に人類の文明が滅んだとすれば、その記憶は人類の遺伝子情報の中に刻み込まれているでしょう。この遺伝子情報が、野田さんの予見する現代文明崩壊の根本原因であるものと理解されます。

遺伝子の存在は肯定されます。しかし、それが全てではありません。
遺伝子―カルマー運命は、過去―現在―未来の時系列によって把握されます。しかし、現実において、過去および未来というものは存在しません。存在するのは現在のみです。
すなわち、運命なるものは、人間の知性が作り出した幻影にすぎないのです。

この世界のあらゆる存在は、瞬時に現滅する現在にしかありません。この瞬間なる現在において全ての行為・現象は完結します。そこには、過去の文明崩壊も未来のクラッシュもありません。たとえば、野田さんが過去に滅んだ文明の実態や未来に起こるかもしれないブラックスワンの把握に過度に勤しむならば、野田さんを頼りにしている店子さんたちの生活状態を悪化させかねません。逆に言うと、今この瞬間に、過去も未来も忘れ、ただ野田さんを頼りにしている店子さんたちのために働けば、野田さんの収入も安定し、未来の見通しも明るくなり、過去の文明崩壊も本当に12000年前のものとなるでしょう。これが現実です。

かつて、マルクスは、資本主義のもとに起こる定期恐慌によって資本主義社会は崩壊し、全生産手段の所有は労働者階級に移行すると主張しました。しかし、それは起こらなかった。なぜなら、マルクスの時代に当然のものとされていた資本家―労働者の二極対立が崩壊したからです。労働者はいくばくかの資産を株式購入に当てることによって資本家の仲間入りをします。会社経営を考慮することは小資本家たる労働者の利益となる一方、労働者の生活向上を考慮することは増資を求める経営者の利益となります。ここからわかるように、今日、社会は闘争と革命から共存共栄のラインにシフトしてきました。これがマルクスの資本主義崩壊論が挫折した最大の原因です。

それで、野田さんの言われるように、マイナス金利・国債バブル・経済成長率云々なる議論が遠い将来においても継続するということについては、私も否定的です。ただ、それは経済の全面的クラッシュによるものではなく、その時期にあるであろう社会の実態に応じてより新しいカテゴリーにより経済が把握される結果によるからであろう、というのが私の個人的見解であります。

野田さんの言われるように、人間とはちっぽけな存在であるかもしれません。ただ、否定しえない厳然たる事実として、人間は紛れもなくこの大宇宙の一部であります。私たちの生命活動は、まぎれもなく大宇宙の息吹であります。分かりやすい表現をするならば、私たちが水を飲みご飯を食べるときには、大宇宙も水を飲みご飯を食べているのです。

以前別の記事でどなたかが仰っておられましたように、エネルギー保存(不滅)の法則は大宇宙に存在するエネルギーの一部である生命にも適用されます。生命はそのかたちを変えるだけで、決して滅びない。それは大宇宙が決して滅びないのと同一であります。

>資本家―労働者の二極対立が崩壊したからです。

やったー!
もう搾取の時代が終わったんだ~!
途上国は、貧困国の民は株主になるんだーーー!!!
ポジティブポジティブポジティブポジティブ、
破局とかクライ話すんなよ、みんなやめろよ、引き寄せちゃうだろ?「私は富士山噴火しません」、ほらもう止めたよ富士山のこと俺。うん。

一つ上の方、

あんたが一番クライ。

二つ上の方、

自分がムダメシ食いだって白状すんなよ。

三つ上の方、

追い出される前に家賃払っとけよ。

四つ上の方

自分から売っといて逃げるんじゃねぇ。

や…家賃が何だよ!うるせえ!
そんなんで人間の価値決めんなよ!
俺だって払いたいよ!
ちくしょう…誰か助けてくれ…。

しーん…

なんか寂しいんだよな最近。前はもっとキャラ濃いのが常駐してたのになぁ…。

マニュアル屋さんね、野田さんってリアル生活を重視してるから、コメント欄で何回かやり取りしてそこからリアルの付き合いとかに進展でもしそうになかったら、そんなに長く構ってくれんと思うよ~。
野田さんって抽象論も話すから、マニュアル屋さんが自分と同じ匂いを感じ取って喜んでたかもしれんけど、ブログ記事が具体論・具体例がメインなことからも分かるように実際はリアル重視タイプ。水瓶っぽいアナタと真逆やね。

無題

アディムッタさん、綺語っぽい似顔絵のストックがあったら見てみたいです。
20世紀のような、面白い話はいろいろあります。

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