バベルの塔4(★補足7日21:00)
トロイカ体制(EU、ECB、IMF)が求める緊縮策の是非を問うギリシャ国民投票は、反対多数という結果になった。これでギリシャの債務問題のみならず、世界経済も混迷の度合いを増すことになるだろう。トロイカ体制側が譲歩しない限り、早晩ギリシャはユーロ紙幣自体枯渇してしまう。政府発行の借用証書などをユーロ紙幣の代わりに流通させるしかないが、事実上ユーロからは離脱してしまうことになる。
ギリシャ危機を、「借りた金を返さない方が悪い、ギリシャ人は怠惰だ」と切り捨ててしまうことは簡単だ。しかしながら元々ギリシャという国は、過去何度も債務を返済できずにデフォルトに陥り、その度ごとに何とか潜り抜けてきた。
通常、国がデフォルト状態になると、その国の通貨は暴落する。すると円安の時に海外から日本への旅行者が増えるように、通貨が暴落した国には観光客が多く訪れるようになる。ギリシャもその例にもれず、デフォルトごとに通貨ドラクマが下落し、ドラクマ安に乗じて賑わう観光業が経済を復活させてきた。
しかし今回はユーロ圏にいるので、そのような景気回復には至らず、緊縮策で経済は縮小する一方である。小生は、この問題についても、「通貨を統合したことによる弊害である」と述べておきたい。
抽象度を上げて換言するならば、単一のシステムに統合することにより、相対的に能力が劣ったものが排除されていくことは不可避である。そもそも一神教自体が、抽象的理念・普遍的に共有可能な概念を理想として掲げて、人民を束ねていく性質がある。これはある意味、巨大なバベルの塔を築き上げていくようなものである。しかしどのような理念であれ、多くの人間が束ねられるとしたならば、その中で温度差や能力差による格差が生じるのは避けることは出来ない。
金融という巨大なバベルの塔が高くなればなる程、何億何十何百億という資産を持つ雲上人と、最下層の資本主義奴隷・社畜との格差は広がっていく。バベルの塔上層階のシステム管理者側は、システムを自らに都合よく運営するためにルールを取決め、下層の社畜を永久に奴隷状態に留めておくように運用する。これが世の常である。バクチは胴元が常に儲かるように、宝くじは国家だけが儲かるように、仕切ったものが勝つのである。
実際、統合通貨ユーロにおける最大の利益を享受してきた国家は、ドイツであるとも言える。通貨安(ドラクマ安)になり得ず観光業で人を呼び込めなかったギリシャとは対照的に、通貨高(マルク高)にはならず自国輸出産業に有利な状況で輸出を伸ばしてきたからである。
通貨を統合してできたのはユーロだが、実際には先進国の通貨は、為替市場でいつでも売買可能である。これらの通貨は金融市場上で統合されていると言っても過言ではない。グローバリズムは、このように経済システムを統合して束ねることにより、便利・快適・安心・安全な商品・サービスの提供を可能にした。しかしこの経済システムは、バベルの塔最下層で隷属状態に置かれた社畜達により支えられている。
彼らは、奴隷労働に内心多大なストレスを抱えながらも、表向きは何事もなかったかのように取り繕い、今日も「0円スマイル」を大盤振る舞いしなければならない。彼らは、眼前にそびえるバベルの塔高層階富裕層やその煌びやかな生活・人生に憧れを抱きつつ、そのシステムから落ちこぼれないようにと必死なのである。
この表裏が分裂したような精神状態は、システムに追随できないもの・秩序を乱すもの・落ちこぼれたものへの、無慈悲で容赦ない攻撃を可能にする。なぜなら「自分が我慢していることを他人がやるのは許せない」「自分がルールを守っているのに、他人が破るのは許せない」からである。具体的には債務弁済が出来ないギリシャに対するドイツ他先進国の仕打ちもそれである。
もう一つ具体例を挙げよう。先日、新幹線内でガソリンをかぶって老人が自殺するという事件が起きた。煙に巻かれた女性一人を巻き添え死させたこの事件は、悲惨極まりないものであり、勧善懲悪・自己責任の一神教的見地からすれば全く同情の余地はない。他方、多神教的見地からすれば、この老人が置かれた貧困状態、それを作り出した社会構造にも原因がある。しかしながらネット上では、この老人に対する非難が圧倒的であり、社会構造そのものに疑問を投げかけるのは極々少数。
★読者諸氏も、ここまで酷い事件ではないにしても、日々類似の小事件に遭遇している筈である。例えば小生が昨日遭遇したのは
「武蔵野線は○○駅付近でのお客様の線路上への転落事故により、運転を見合わせております」
果たしてこのような場合、電車の遅延にイラつく人間と、転落した人間を気遣う人間と、どちらの方が多いだろうか?名前すら分からない人間に対する思慮・配慮など持たない人間の方が多いのではないだろうか。ここで転落した客が、自殺未遂でなく、単に落っこちただけの事故であったとしても、多分そうだろう。~★
ところで、格差に絡んでほとんど触れられていない問題について、ここで言及しておきたい。それは表面上取り繕った経済システムは、富裕層などの勝ち組・成功者の煌びやかなイメージに羨望を抱かせると同時に、相対的に惨めな境遇にある自分が不幸であると錯覚を起こさせる。例えば、戦中・戦前の多くの人が貧しかった時代だったならば、この老人も自己の置かれている状況に不満を抱いて事件をおこすこともなかったであろう。
他者の成功ストーリーのみならず、情報商材等詐欺まがいの話も、自己の境遇について錯覚を起こさせる。そのような情報に翻弄された上で信頼できる人間関係もないとするならば、あたかも自分だけが社会から切り離された孤独状態で不幸な境遇にあると錯覚しかねない。そう錯覚してしまったならば、新幹線事件の老人のように、社会に恨みを抱きながらテロまがいの事件を起こしてしまうかもしれない。実体験ではなく、情報に翻弄されるというリスク。
このようにバベルの塔を巨大に積み上げれば積み上げる程、目に見える格差だけではなく認識しづらい錯覚その他が生じてくる。その根本要因は繰り返すが、通貨を束ねて、便利・快適・安心・安全な商品・サービスの提供を追及したことにより、「金があるか、ないか」だけで判断されてしまう単純な経済システムに統合してしまったこと自体にある。残念ながらこれは一神教の不可避な宿命であろう。
(つづく)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/inoueshin/20150706-00047298/