粘着
タイトル「粘着」って余りいいイメージじゃないですが、隣人さんご了承ください(隣人さん=vangisa=BhAradvAja)。
小生も土曜日彼に電話をかけるまで誤解してましたけど、多分皆さんも隣人さんに対して誤解していると思うので。
当初小生自身、なんでそんなに荒らし行為を続けるのかよく理解できませんでした。コメントも全部追ってませんが、断片的に拾うと、何か小生自身に非があるようにも受け取れます。小生もそれに対して
「なんか言いたいことがあるなら、直接電話で言ってくれればいいのに…」
と面倒な気持ちがしたのも事実です。その全ての面倒感が消えたわけではありませんが、電話で話して私なりには彼の事を一部理解しました。彼のコメントにも、よく読めばその理由が書いてあります。が、逆に隣人さんに言うならば、通常の人はそこまで気合い入れて理解しようと思わない可能性が高いと思われます。それが大きな誤解の要因であろうと。
ブログトップの「北村氏」の件にもある通り、彼は約束通り今朝10万円を小生の口座に振り込んでくれました。どうもありがとうございます。
隣人さんは、北村氏にブン殴られています。その経緯を隣人さんが2chで語っていたこともあり、50万円の貸金の件で情報交換をしだしたところから小生との関係が始まっています。
通常、誰かにブン殴られたとして、その殴った人物の借金を代わりに返してやるということをする人間がいるでしょうか?これはなかなかできないことです。
いずれにせよ、小生には隣人さんが悪気があるわけでもなく、むしろ純粋な人間であるというのはそれなりに理解しています。これはネット上のやりとりだけではなく、実際に現実で会うとか、最低でも電話くらいはしないとわからないことです。小生が、ことあるごとに「なんなら(小生が住んでいる)南浦和に来てください」と言うのは、こういう事があるからです。
いや、ROMしている読者等には大変失礼な話かもしれませんが、拙ブログの目的自体、電話以上のリアルのやりとりをするだめのものです。単に小生と絡めて教団関連情報だけを知りたい公安関係者・マスコミ他の方は別として、ここにご自身の人生に関して何らかの有益な情報を求めている方がいらっしゃるとしたら、ネットの情報などほとんど役に立たないとお考えになったほうがいいでしょう。それはこの「至言」に書いてある通り、単に自分を知識で取り繕っただけ。そうなる可能性が高いです。
小生は、自分自身を含めた現実を変えるために拙ブログを続けています。上から目線というわけではなく、認識する対象が目の前に存在しなければ、その対象との相互作用が起こりようがありません。対象との相互作用がなければ、自分も他人も何ら変わらないまま、ということになります。
対象との相互作用が起きたなら、それが悪いことであれば少しでもまともな方に変化させられるように、良いことであれば、それが周囲に還元できるように。そう考えてやっているんですが。
現実に隣人さんは、北村氏の仇を恩で返す実践をして、小生はそのまま賠償送金して、多少なりとも被害者への賠償金額を積み増すことができたわけです。残念ながらROM読者とは何の発展的相互作用も生じません。
勿論、拙ブログ上コメントも、ある種の相互作用であることは間違いありません。しかしそれは、電話以上のものに比べて余りにも影響力が小さく、切り捨ててしまっても変わりない、それが小生の経験則です。
経済的、精神的に困っている人は、数あまた存在します。しかしその対象との関係性が一定以上近づかない限り、相手にいい影響を及ぼすことは難しいです。そういう困っている人との相互作用においては、大抵一般的には喜ばしくないこと、ロクでもないことが起こります。しかしながらそれを昇華していかないことには、相手もその困った状態から脱することはありませんし、小生自身も許容量が増えることはありません。
たった3日ですが逮捕されるような事もありました。「相手の親に会いに行ったら、そこで逮捕されるかもしれない…」。そういうリスクを犯して、かつ、その後600時間くらい費やして、ようやく「ん~、ちょっとは変わったんだろうか…」というような事もありました。人間の成長なんてそんなもんです。
逮捕のリスクを犯してすらその程度なのに、ネット上で自分の氏名・立場その他を隠したまま、電話すらできない。その状態で自他共に何の影響がありましょうか?何千コメント、何万コメント書き込みしようとも、その果報はせいぜい「ネットでいい情報を拾った」程度でしょう。
ということで、勇気がある方は、隣人さんにメールしてみたらいいと思います。メールアドレスは、「vangisaアットマークjupiter.ocn.ne.jp (アットマークを@に置き換える)」。
でも、本当に隣人さん、コメントは1日3つまでにしておいてください。いろんな意味で。
コメント
結局
なるほど
縁があったらお会いしてみたいものです。
私は奥手でなかなか行動に出ないタイプなので今のところメールをしようとは思っていないですが、ここでのコメントを見れないのは残念です。
仏教についてもオウム事件についても、私自身が認識を新たにせねばならないことが分かりました。
自分自身の理解が大きく異なっていることにも気づかされています。
「奥手」なのはよく見えていないでデタラメに動くよりも慎重にありたいと今は思うからです。
私は往々にしてデタラメにでも動いてみることが多い反省もあります。
現在、3つ4つの同時並行で抱えている問題があるために、いろいろな出来事に慎重である時期でもあります。
森達也著『A』という本を読みました。
ノンフィクション映画も見ました。
さきほど、『A3』(上)を読み終わったところです。
アレフで残っている人たちの心情が少しばかり理解できました。
メディアのつくった麻原さんのイメージとは大きくズレているのだということも多少分かりました。
私はあまりオウム事件について関心はなく、むしろ仏教やその生き方に関心があったのですが、野田さんに会ったりなどすると、やはり私自身の生き方も問わねばならず、『A』を見ることでは、かつての自分の教会の問題について随分と教えられるものがあって、改めてそれを大きく整理しなおさねばならなりません。
仏教とかキリスト教とかの枠が込みに限定されない別に新たなテーマと取り組み始めたように思えます。
しばし、いろいろな問題が整理される必要があり、私の中の葛藤は小康状態を続けることになりそうです。
そのようなこともあって、ここのブログに来て野田さんにも会えて、隣人さんとコメントを交わして、かなりの変化が私には起こっています。
ありがたいことです。
以後、よろしくお願いします。
一日、コメントを3つまでの原則を守っていきます。
「ボクのこと見て(>_<)!かまって(>_<)!
ボクのこと見て(>_<)!かまって(>_<)!
ボクのこと見て(>_<)!かまって(>_<)!
ボクのこと見て(>_<)!かまって(>_<)!」
とひとつのブログ記事に
何百回もコメント投稿したということですよね?
「さびしがり屋の隣人ちゃん」が
「北村さんが野田さんにした借金の一部を肩代わりする」
というパフォーマンスを「わざわざ」見せつけたのも
「ボクのこと見て(>_<)!かまって(>_<)!
ボクのこと見て(>_<)!かまって(>_<)!
ボクのこと見て(>_<)!かまって(>_<)!
ボクのこと見て(>_<)!かまって(>_<)!」
ということですよね?
隣人ちゃん、さびしさが募ったら
「ボクのこと見て(>_<)!かまって(>_<)!
ボクのこと見て(>_<)!かまって(>_<)!
ボクのこと見て(>_<)!かまって(>_<)!
ボクのこと見て(>_<)!かまって(>_<)!」
となるのは自然なことだよね。
いいんだよ、それで。
だって人間だもの。