元信者寄稿1
とある元信者からの寄稿です。87年頃出家、92年還俗。神仙の会のころからの古参信者。出家していたころはスワミまでで、本人曰く「あまり真面目ではなかった」とのこと。この度小生に、「オウムの教義の謎を解いたので、是非載せて欲しい」との依頼があり、以下に記事掲載。内容についての質問・意見等は、小生は対応出来ません(当人がコメントするかも)。
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教祖の死刑判決が、確定した日でしょうか、長岡会長が、インタビューを受けていました。
「いや!サッパリわからん。ヤツに土下座してもいいから真実がしりたい」
長岡会長の言いたいことは、麻原は人間のクズだが、一連の事件の背景には、宗教的動機があり、その宗教的動機がサッパリ理解出来ないと言いたいのでしょう。最初から対立していた人たちも、麻原は欲望や弱さを隠すために宗教を利用したと、結論をだしているでしょうが、それでも何かの宗教原理は信じていたのだろう、と思っているのではないでしょうか?
僕は、その答えを偶然発見して確信ももっています。で、その答えを最初から言います。
麻原は・・解脱するためには、悪業が最も必要である。
これです。これが彼が持っていた宗教理念です。この説を、私の体験を含め説明していきたいとおもいます。
教団で、初期のころ大師による教学指導がありました。出来の悪いサマナに幹部が、説法するもので、私を含め数名が参加しました。説法に現れた幹部が、新実なのです。新実幹部はホワイトボードに、大きな丸を描いて、説法をおこないました。
新実「ここに膨大な悪業があります。膨大です、同じ量の善業を用意して悪業を包みます、そうすると、悪業が小出しになり、それにより心が強くなります。」
少し口の開いた風船のような絵を描いて、説明します。私が質問します。
私「悪業は善業によって、相殺されないのでしょうか?」
新実「されません、悪業は悪業で消化しなければなくなりません」
私「小出しになっている、悪業が全部出てしまって無くなったらどうするのですか?」
新実「また、膨大な悪業を用意します」
私「小出しにしたり、膨大な悪業を用意する、修行をどれだけするのですか?」
新実「最終解脱するまでです」
説法が終わった後、わたしは新実を捕まえ、質問をしました。
私「いやぁ、今の説法が凄く気にかかるのですが、僕の人生がまるで今の説法とソックリに思えるのです、他人からは頻繁に虐められるし、仕事もよく失敗します、まさに膨大な悪業が、たえまなく 小出しになっている感じです。その修行を僕は今しているのでしょうか?」
新実「さぁ・・・・」
私「もしかして?その用意する悪業って?人を殺すってことでしょうか?」
その時点では、坂本弁護士事件は起きていなく、田口さんまでは殺されていましたが、僕は、事情をしりません。新実は顔が青くなり、引きつらせながら
新実「てめえ!変なことを言っていないで仕事にもどれ!!」
なぜ激怒したか事情が理解できず、逃げるように職場に私はもどったのです。すると新実が、すぐに私の所に来て話しかけます。
新実「○○君、いま君が殺人て言ったのは何故なんだ?理由があるのか?」
わたしは突然怒ったり、真剣に質問してくる新実に理解できず、答えます(以下述懐を含めた説明による新実への返答)。
青山荘で、むかしセミナーがあったころです、食事の休憩のあとA君とボーとしてると、Hさんが話しかけてきました。
Hさん「いま先生の占いを、コンピューターでBさんが占ってくれるみたいなの」
私とA君、Hさん3人でBさんの所にいくと、ウインドーズ以前のPCで占っているBさんがいたのです。占い方法が、、その人の運命の星の数を神社の大吉、小吉、凶てかんじで表すだけでした。さっそく順番に占ってもらうこととなりました、Hさんは小吉や中吉があるかんじで、何か普通の感じで、A君は慶応ボーイで、女にモテまくりにふさわしく大吉、中吉と並びなんだか良い感じの運勢です。
僕は、大吉、大吉、大吉、大凶、大凶、大凶、 僕は大凶が3つもある事にショックを受けていますと、Bさんが笑いながら話しかけてきました。
Bさん「大凶が、3つもあるのって珍しいね、普通の人間は1つあるか、無いかなんだが、でも大吉が3つあるじゃないか、大吉も普通の人は1つ、あるか無いかなんだよ。ちょっとこれを見て、」
そう言い、石井久子さんの占いを見せてくれたのです、大吉、大吉、大吉と大吉だけが3つあるだけの運命の星です、大凶も凶も小吉も中吉もありません。
Bさん「大吉が3つある人間も普通はいないから、君も大凶が3つあるが大吉が3つあるから、いいじゃないか」
私は、この占い以外に、青山荘で奇妙な体験をしたのです、はじめてオウムで教祖に対面した時、なぜかメラメラと憎しみの感情が、沸いてきたのです。初対面の人間にそんな感情が出てきて混乱した私は、へんな質問をしました。
私「いま奇怪な感情がでてきました、先生に対する憎しみです、何故でしょう?」
教祖「それは、私に対する嫉妬だろう」
教祖は、まったく気にしませんでした。あんな質問をして怒らないどころか、気にしていない教祖が不思議で、心に、ひっかかっていたのですが、ある説法で、大胆な仮説をかんがえたのです。
教祖「わたしは、前世グルの命令で人を殺しているからね、」
「この説法で、私は前世が教祖の弟子で、人殺しの修行をしたのだろうか?と考え、修行でも殺人は殺人で、そこで教祖に恨みを持ったのが、今にでたのだろうか ?占いの話も、辻褄が合うし、ミラレパ大師の話も合います」
このように説明すると、新実は酷く驚いた顔で、「それから?それから?」と説明を求めます。
私「いや・・それだけです・・あ・・でも人殺しても、現代の平和な時代では無いですよ。チベットが中共軍に侵略された時みたいに、正当防衛的な殺人ですよ」
新実「あ!・・なんだ、じゃいいや」
ホッとした顔で新実幹部は、去っていったのです。
わたしは、たいへん気にかかり、いちれんの出来事を、時たま思い出し考えていましたが、ある時、教祖の説法でこんなのがあったのです。
教祖「わたしの教えを、例えば、マイトレイヤーが、ソンシの教えは、こうでしょうとといっても全然違う、ケイマが言っても全然違う、ミラレパが言っても全然違う。わたしの真実の教えを理解するものは、誰もいないし、説くことも無い」
わたしは、密かに新実幹部の話が、オウムの秘密バジラヤーナでと思っていたのですが、教祖は、自信タップリに言っていたから、新実幹部の話も違うのだろうと思ったのですが、新実幹部は、いつも教祖の近くにいて雰囲気的に秘密バジラヤーナの実践をしていそうだから、あの話が一番真実に近いだろうと、自分なりに調べてみました。
奇妙な説法を、選び出しよく聞いてみることにしました。教祖が発言した話を元に箇条書きしてみると…
●オウムの修行をしても、けして幸福になることはない
●どんな人でも、本当の教えを理解できたら、修行したいとは思わない
この程度で、なんだか理解できないまま92年ころに還俗して、やがて忘れていきました。
教団を辞め、普通の生活を送っていたのですがわたしには、まだ知りたい法則があったのです。カルマの法則です、なにかよく理解できないのです。
何人かの瞑想家と接触して、ある時理解できたのですが、あっ! と思いだす、教祖の説法が、あったのです。
「あまり言いたくないが、殺人を犯して、ヤッタァ!ぶっ殺した!と、喜ぶとカルマにならない、まぁ、あたりまえか、だな」
そのとおりなんです。 殺人を肯定はしてませんよ。自然の法則で、そのとおりと同意しただけなんです。理屈を、知りたいですよね?でしょ?
まず前提として、この世界は心が全てを作り出しているんです。これを、説明して納得してもらう能力が私には無いのですが、ちょうどよい本があります。
ザ・シークレット ロンダ・バーン著
アメリカと日本でベストセラーになりまして映画もつくられています。
で、です、悪業ってなんだと思いますか? 悪業は何からできているか?です。実は、実は・・罪悪感から来ているのです。 罪悪感とは、罪の意識からバランスを崩して、そのバランスを修復しようと、悪業をよびよせるのです。
何回か前の、車の免許の書き換えで、交通事故の裁判の映画を見まして、被害者の奥さんが泣きながら、加害者に訴えます。
「主人を、返してくださいぃぃぃー」
旦那を、ひき殺した若い男性も泣きながら
「すみません!すみません!すみません!すみません!」
と謝罪するしか、ありません。
この加害者の若い男性は、罪の意識にさいなまれ、何度も謝罪することで、この罪悪感から、逃れようとしているのです。バランスをとろうと、無意識に謝罪をくりかえしているのです。
この状態にある人が、死んで転生し、その時のバランスをとるため逆に殺される選択をするのです。この話を笑う人がいると思いますが、瞑想をよくしている人は、ハッ!と気がつくはずです。そして、このバランスは、日常生活のほんの些細な、気になる事でもカルマを作ってしまうわけです。
ここで疑問が出てくると思います。
じゃあ、パリ人肉事件の、佐川さんは、気にしていないようだが悪業にならないのか?
と
そう!そのとおりです。!ただ悪業にならないかわりに、彼の本性、人間を食材程度にしか思わない世界に転生するのです。そこを地獄といいます。
で、新見さんの話です。膨大な悪業を小出しにするのは善業では無く、カルマ落としを喜ぶ心です。罵られ「あぁ!カルマが落ちて嬉しい」殴られ「あぁ!カルマが落ちて嬉しい」。馬鹿にされ「あぁ!カルマが落ちて嬉しい」。するとその人は不幸を喜ぶため、不幸を呼び寄せる体質になるわけです。
この世界は心が、作り出していますから、膨大な悪業が、カルマ落しを喜ぶ心で断続的に不幸が、やってきて常に苦しい状態が4アサンキャ10マンカルパ続くわけでです。現役の人で、納得できない人がいるとおもうのですが、この話には、徹底的な証拠が存在します。
坂本弁護士一家を、殺害したあと、実行犯に坂本弁護士一家は三悪趣に堕ちたと言っていたでしょ?あれはつまり悪業の分量を、増やすために言っていたのです。むかし教祖が、言っていたように、私のほんとうの修行をやりたいと思う人はだれ一人としていないと言っていましたが、そのとおりなんです。現役で、いや、やれると言う人は、リアルな想像ができない人でしょう。
(とりあえず第1話終わり)
コメント
愛の本質 ~ 悪いこともいいこともすべて経験させられる
ザ・シークレットの真実
私渉外からのお知らせ読んでザンゲすることに決めました!
それは道場の師2人が除名されてもこのブログで書き込みするだけで嘆願活動してこなかったことを!!
内ワークの方ではこんな動きやってたなんてお知らせ読むまで知りませんでしたから!
師は教えてくれないし!!
道場かっぱは内ワーク方面の情報過疎状態なんです(;_;)
渉外のお知らせで知ることできて良かった!
ありがとう!広報の心も外見も真っ黒けの◯さん(≧∇≦)
このブログで今後も頑張ります!!
寄稿した元信者さんへ
「私は空を飛んでいる」と心で思っても、空を飛べないのはなぜか分かりますよね?
浅い顕在意識で何を考えても、それが即座に現象化することはありません。
しかし、コーザルレベルの深い潜在意識で「私は空を飛んでいる」と確信したのなら、即座に現象化するでしょうね。
そして、このようにコーザルレベルの潜在意識で物事を自由自在に確信することは、通常、できません。
できる人がいるならやってみて下さい、「GENのコメントは消えます」とやってみて下さいな。
カルマになる、カルマにならないという話についても同様です。
いくら浅い顕在意識で「やった!人を殺したー」と喜んでも、それはカルマというコーザルレベルの存在を大きく左右することはないでしょうね。
そして、重要なことは、我々はこの人間世界に生きている以上、人間世界のカルマの制約を受けるということです。
どんな魂でも、周囲からカルマの交換、カルマの淘汰を生じさせています。
つまり、コーザルレベルの価値観もほとんど平均化されていて、カルマの法則もほとんど皆さん同じように発動してしまうわけです。
もし、コーザルレベルで、それも人口密度の高いこの日本で、周囲とは異なるカルマの法則性に至れていたとしたら、それこそ如来クラスとしか言えない気がします。
少しズレますが、そのレベルの人ならば、自動車に引かれても「いや~ラッキーだな~」と心底喜び、体には怪我一つ生じないかもしれませんね。つまり、世間一般とは異なるコーザルレベルの価値観がある、ということです。
寄稿した元信者さん、殺人してもカルマにならないかのような説法の背景をよく考えてご覧なさい。
世間一般からしても、出家信者からしても、殺人なんて当然認められないものです。
しかし、その観念を打ち破らないとならない理由がたくさんあったのではないでしょうか。
確かに理論上は「喜んでいるのならカルマにならない」ですからね。
そういう理想論を持ち出したにしても、背景があるようにしか私には思えないですね。
イヤー僕も、普通の人が、喜ぶから、カルマにならない
とは、思ってないですよ(^_^) 例えば、江戸時代の敵討ち
みたいに、何年も仇を探して、やったーとかだったらカルマにならないとか?
たぶん、どんな感じで深い意識にはいるか、しりませんから
ここで、言いたいのは悪業は、罪悪感で、麻原さんも同じ
事をいってて、ことです、だから出家して何年もカルマ落としを
喜ぶ訓練をさせて、実際に人を殺させてみたいに、
表面的にカルマになるなら瞑想のなかで人を殺せばいいわけだし
もしかして、勘違い的な回答だったらすみません
んまり頭よくないんです(^o^;)
心が作り出しているのは、認めるけど、そんな単純
じゃねえだろ? その説法ももっと深い意味があるんだろう?
てことですかね? もしそうなら家にPCが無いので、しばらく待って下さい
僕なりの回答を書いて野田さんに、わたすまで少し時間が
かかります
| 201409-03 23:16:36 | 元信者 #Q1g6nY3Q URL [ 編集 ]
| 201409-04 02:01:30 | 元信者 #mzNG57y6 URL [ 編集 ]
寄稿した元信者さんへ
ただ、悪業を積みまくって浄化しまくるというサイクルを、密かに奨励していた可能性には同意しますね。
経験を増大させますし、人も浄化できる。ただしその返りは辛い。
Wikipediaでバグワンを調べると、彼は面白いことを言ってますね。以下引用。
【だが、ほんとうにだれかを助けるつもりなら、厄介なことになる。いまと違った生き方へと導かなければならない。それは人のエゴの縄張りを侵すことになる。幾世紀もの歴史を背負った習慣や構造を相手にすることになる。これは反発を招く。人々は敵意を向けてくる。人々は怖がる。助けようとする人物を敵と見なし、ありとあらゆる方法で悪評をたて、誤解を広めようとする。】
話は代わりますが、盗みや殺しが戒律違反になるのは、他人の所有欲や生存欲を傷つけることなどが理由ですよね。
つまり他人の煩悩を傷つけるな、という意味合い。
法を説いて出家なんてさせたら、その家族のことを傷つけまくります。悪業もたくさん積んでしまう。
その業の返り(だけじゃないでしょうけど)が、被害者の会や、警察、マスコミから降りかかってきたと私は感じています。
ですから、高い質を伴った大乗活動は必ず失敗する。物凄く悪業も積んじゃうからです。オウムの理想はそこで破綻しているな、と。
ただし、もし大量の悪業の浄化に耐えられる魂ならば、、、いやいや、そんな人は普通は存在しないよって話ですね。
一応、地元素優位の修行者ならば忍耐は得意でしょう、今の師も多くが地タイプです。しかしそのタイプは上位のチャクラが不得手。
続き、楽しみにしてます。
少なくとも、あなたには無理ではないでしょうか?
(開祖)難しいなあ。というのは、愛というのは、愛情指していますか、愛を指していますか。
(質問者)大きな愛の方です。
(開祖)本当の意味の愛というのは、多分慈悲でしょうね、それは。
じゃあ慈悲とはどういうことかというと
例えば万物は宇宙意識によって、生育され、そして、破壊されています。
それは万物が経験し、最終的には成熟しきった段階で解脱するためです。
これはどうですか。
(質問者)あの、宇宙の解脱する…。
(開祖)そうです。宇宙まるごとみたいですね。
そして愛というものは、それを背景としてるとしたら正しい。
例えばどういうことかと言うと、愛の中にはすべてのものが許されています。
例えば殺生も許されています。盗みも許されています。もちろん、浮気も許されています。嘘も許されてます。すべてが許されてます。これはわかりますか。ちょっとわかりずらいでしょ。
例えばここに肉食獣がいたとしましょうね。例えばライオンでもいい、あるいは鰐でもいい、彼らは生きた生き物を食べない限り生きていけない。それはわかりますか。
つまりこれは自然というものはこれを肯定してるということです。いいですか、経験として肯定してるということです。
もしね、あなたが、どうしても生きていけなかったら、盗みをするだろう。しませんか。これも許されています。本質的には許されてるという言葉が合わないのかもしれないね。
しかし愛というのはそういうものなんです。すべてが認められてると。この世の事象認められてると。
そして解脱していく過程においてはそのすべてを経験させられます。
それは今言ったことは悪いことを言ったけども、いいこともすべて経験させられる。わかりますか。
(質問者)解脱のためにそれが必要なんですか。
(開祖)もちろん、それを通過しなくてもいいよ。要するに必要なのは何が必要かと言うと、経験したと、これは私にとって、あるいは不利益であるということを認識させる。
例えば殺生したと、その人のカルマによって、死んでいく。これはわかりますね。
盗みをしたとその苦しみによって私は苦しんでいると。
ところがこの経験がなければ、私達は、それを知ることはできませんね。
それどうですか。そういう意味で、愛というものはそれを認めているんです。
つまりもっと言い方を変えるならば、愛というものは、すべてを育んでいます。経験させ、成長させているわけです。
じゃ、慈悲とはどうかと言うと、これは同じことですね。つまり他人の喜び、他人の悲しみ、ね、これに対して、感応する、そして、相手を育む、そういう意味で言ったら愛です。これ。わかりますか。
そしてあなたが成就したらね、その愛の本質、慈悲の本質みたいものがね、完全に理解できます。それは成就するまで理解できない世界です。その愛の世界にはね、まず憎しみがない、嫉妬がない、怒りがない、そしてすべてを肯定します。そして逆に成就するまでのいかなる生命体も、それはエゴによって動いてること理解します。
〈1987年6月25日の質疑応答より〉